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[新聞錦絵の情報社会]


太政官日誌 第十八

明治五年(一八七二)
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
東京日々新聞錦絵の第一号(次頁)にとりあげられた事件のもともとの形は、この太政管日誌の貞婦顕彰の記事であった。太政官日誌から新聞記事(図154)へと引用され、さらにそれが錦絵として絵解かれる。貞婦を顕彰して広く世に知らしめようとした日誌の意図と、新聞錦絵の悪人の力強い姿とでは、伝えようとしたことがすでにずれているだろう。ニュースは、しかしながらこうした情報の引用の重層のなかから、立ち上がってきたのである。

図153

東京日日新聞 第一号

明治五年(一八七二)三月一六日
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
枠内が該当記事。

図154

東京日々新聞 第一号

明治七年(一八七四)七月
病気の夫を抱えた妻が、不幸を払うために読経を頼んだ僧におそわれて斬り殺された事件。一号と記してあるのは、このニュースが本紙『東京日日新聞』の一号に掲載された記事からとったものだという意味である。しばしば誤解されるが、この新聞錦絵のシリーズの創刊号ではない。

図155

東京日々新聞 第一号

長野/県下/信濃国更級郡今井村に貞婦
あり名をせんと云/夫宇兵衛一朝病の
床/に臥遂に身/体不随/となりしを/
せんハ/女の身/一個に昼ハ雇/ハれ
聊の/賃を/請得て糊口を計り/夜ハ
看病に眠もやらず然るに或日夕まぐれ
道に迷ふて宿乞僧あり/せんハ宿世の悪
かりて斯も不幸のつづけるならん良 夫
の為に読経を頼まん/ものと伴ひ入れ
しが此僧無類の悪僧にてせんが容儀の艶
なるに忽ち/起る凡脳心道ならざりし引
導貞婦ハ更に肯はず刃物を以て/迫りし
かど身ハ是刀下の鬼となる共争不貞の
名をとらんと/意倍々金鉄の錆と成けるを
/朝廷これを賞せられ祭粢の料を若干賜ひ門閭
に/掲げ悪僧はケン下に引れ罪に処し
正邪忽ち/判然/たり

 

官報号外「長崎港虎列刺病勢及自己予防ノ概略」 明治一八年(一八八五)九月六日

東京大学総合図書館蔵
明治一八(一八八五)年夏、長崎からはじまったコレラ流行は、またたくまに全国に波及し、最終的には一四〇〇〇人近い犠牲者を出す。この間『官報』では全国の府県別の患者数を毎日掲載する一方で、このような感染予防策を紹介し、国民の注意を呼びかけている。こうした保健衛生に関する記事は、現在の『官報』の記事には見あたらない。

図156

大日本通俗衛生会 明治一八年(一八八五)

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
『官報号外』九月五日号「自己予防ノ概略」の内容をわかりやすく錦絵にしたもの。もともとの漢字の多い記事にくらべ平易な平仮名が中心になっている。衛生学的な知識に基づいた予防法が説かれる貝殻(貝は衛生会に重なる)の外では、そうした予防法を守らなかった者が伝染病で苦しむ様子が対照的に描かれている。

図157

大日本通俗衛生会

さてみなさんコレラ病になるのが
いやならかみほとけにいのる
よりこのとふりおまもりなされ
 
一 あしきもの○いわし、まぐろ、かつを、
たこ、あわび、ゑび、かひるい、あぶらつよき
さかなるい○すいか、うり、そのほか
日をへたるくだものるい○てんぷら、そば
すし、ひやむぎ、
一 あしきこと○つよくからだをつからす事
よふかしする事、おほくのみくひする事、から
だをきたなくしてをく事、ねやのおとぎを
おほくする事、よふけにのみくひする事
むやみにコレラをおそれる事
一 ねるときハかならずはらまきをすべし
一 水をのむときハかならず一どにたてて
のむべし
一 せついんごみためはきれいにすべし
一 くひものハよくにやきしてくらぶべし
一 コレラびやうあるきんぺんへハ
たちいるべからず
一 いいのよハき人ハいしやニみてもらふべし
一 こころもちあしきハまたハすこしのはら
くだりにてもはやくいしやにたのむべし
一 はきたるものくだりたるものハせきたん
さんをかけなければすてべからず
一 はきくだしたるもののつきたるよごれ
ものハ井戸川ニてあらふべし
一 もしコレラ病人あるときハはやく
びやういんへやりてりやう
ぢをたのむべし {中段右}


いま
しい
差配人めが
 
{中段左}
はき
だめ
と。
どぶを
早くさらいや
ながら
ない
から
おいらハ
こんなめに
あわにやならねへ
 
{中段中央}
「此かいの
中へはい
つて先生た
ちの話を
聞て居れ
バなるほ
ど安心で
すわい
「ヒやヒや
おふだ
などハ
コレラの
予防
にわなら
ないて
{下段右}
「あ、
くるし
いくるしい
「あ、くるしいゆ
ふべすしをくつた
むくいぢや
なー
「あ、くる
しい
かみ
さま



まも
きこへません
いくらおがん
でも
養生
なくバ
こんなめに
あうのかなあ

違式●違條例(東京日々新聞附録)

明治五年(一八七二)一一月
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
明治五年(一八七二)一一月八日に東京府で出された違式違条例は、翌六年七月一九日には太政官布告によって全国にも施行される。今日の軽犯罪法にあたるもので、混浴や、裸体での外出を禁止している。当時の庶民には理解しづらかったらしく、「女子供にも分解やすきやういたし」た錦絵が各地で数多く刷られた。

図158

図解五十五ヶ条

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
「違式●違条例」の内容を図解してわかりやすくしたもの。本条例は区戸長を通じて一般庶民に伝達されることに重点がおかれたが、その際にこうした錦絵が多用されたのであろう。明治期にはこのような民衆啓蒙のための錦絵が数多く出された。

図159


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