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緒言

かつて知の枠組みは百科全書、博物館、万国博覧会によって一定の捕捉が可能であると考えられていた。水平線や地平線を見ても地球のかたちを思い浮かべるなら、人々を穏やかな憧憬と理性的冒険へと誘う認識の枠組みのようなものである。そのような知の枠組みの時々の確認こそが、明るい未来へとつながる人類の安定した発展という信仰の根拠の一つとなった。確認の作業と信仰の力によって支えられ、学問の領域は明確な輪郭をもつと同時に、それぞれの輪郭に間隙を生じさせることのない構築性をもって近代西洋科学という総体が形成されたのである。

現代に生きるわれわれは、そのような確認の作業が膨大な時間と労力を必要とすること、および、その作業の過程で確認すべき対象自体が大きく変容し得ることをよく承知しており、同時にそのような作業の推進を支える信仰の力もいまや変わりはてていることを認識している。そうであるなら、かつてのような確認の作業は現代においてはもはや無意味であり、不必要と化したのであろうか。

過去数十年間の学問の営為は、近代西洋科学を構成するそれぞれの学問領域の内外にいくつもの大きな欠漏と間隙があることを発見し、それらの充填ばかりでなく中仕切りとしての輪郭の変更を、学問の自律的要請と社会の需要に対応して行ってきた。しかし、西洋近代科学という構造を前提とする修補としての側面は否定できず、それぞれの領域における研究の先端化と深化への学術資源の投入は、総体としての知の中核にある学問の先導力を分散させ、情報社会における知の平坦化という巨大な力を無視できないほどの状況にいたらせている。

そのような状況を正面から見据えるなら、知の先導力の組織的創出源として期待される大学は、これまで以上の柔軟性、機動力、そして流動性を確保することによって知の磁極としての場を実現していかねばならない。そのためには、総体としての知の確認作業を必要とする社会的認知を待つことなく、大学という枠組みの中における学問の過去と現在を点検し、未来を展望する作業を大学自体が行う必要がある。社会に認知された教育研究組織として大学の、内と外、過去と未来をヤヌスのごとく展望することにより、いま一度、大学とは何であったのか、そして何であるのかを自ら問い直すためである。そのような目的をもって「東京大学展——学問の過去・現在・未来」は企画されたのである。

一九九七年十月

東京大学総長
蓮實重彦


大学のイコノロジー

明治十年四月十二日に開学した東京大学は一九九七年の本年、百二十周年を迎えることになった。この節目の年にあたり、わたくしたちは教育研究機関としての東京大学が果たしてきた役割や、そこで培われてきた学問の営為と魅力を社会に広く提示し、大学とは何であり、如何にあるべきかをいま一度自ら問い直し、大学の将来を展望する一助とするため「東京大学展——学問の過去・現在・未来」と題する企画展を開催することにした。もちろん、展示可能な資料や画像化・映像化の可能な成果や活動に限定されているため、東京大学全体の営為をつぶさに提示しているわけではなく、そのごく一部の紹介でしかない。しかし、それらのすべてが東京大学のこれまでの活動もしくは現状に深くかかわっているという意味において、大学の全体像へと展開しうる部分であり糸口なのである。

この企画展は四部から構成されている。「学問のアルケオロジー」と題する第一部は、明治十年に設立された東京大学の黎明期とその前後の学問の状況を、丹念にしかも謙虚にたどってみようとする試みである。おもな展示品は、当時の大学における教育研究活動の状況を示す標本、教材、実験器具、試作機器などであり、お雇い外国人教師の講義ノートなども含まれている。東京大学の各部局からだけでなく国内外から収集されたこれらの資料は総数にして二千五百点を超える。これほどの数にのぼる資料を展示しようと企画したその趣旨は、「学問のアルケオロジー」というタイトルに明確に示されている。

アルケオロジーという言葉は周知のようにギリシア語のアルカイオス(遠い昔)をロゴス(考察する)するという意味であり、この企画展においては学問の過去を考察もしくは再構築するという意味で用いられている。ある時代や文化を考察し再構築することを目的とする学問領域には歴史科学があり、その一分野として歴史学や考古学などがある。学問の過去を対象とするのであるから歴史もしくは歴史学という言葉を用いてもよさそうなはずを、あえてアルケオロジーつまり考古学と題したのは次のような理由からである。

歴史学の主たる研究資料である文書や文献はそれ自体が自らを語る資料であるのに対して、考古学の資料は遺物や遺構のような「もの」が中心であり、貨幣や碑文などを除くと自らを語ることはない。その意味では文書・文献のような歴史資料は裁判における証言のようなものであり、考古資料は物証のようなものである。この考古資料を語らせるのは、遺物などを包含する層位の上下関係から明らかとなる年代の相対的新旧関係であり、その年代情報との組み合わせによって「もの」は考古学の研究資料としての学術価値を獲得するのである。第一部の二千五百点にものぼる展示品の多くは、考古学における遺物のようなものであり、それ自体で多くを語ることはない。しかし、それらが活用されていた当時の高等教育制度や大学組織など、考古学の層位に相当する制度組織と関連させながら展示品を観察すれば、証言と物証から正確にしかも生き生きと事件を再現できるように当時の大学における教育研究活動を再構築できるはずである。しかも東京大学は、創立百周年事業として出版された『東京大学百年史』によって詳細かつ正確な大学の歴史をすでに記述しているが、そこで行われていた教育研究の営為と環境を手にとるような実感をもって読みとることはかなり困難である。第一部の展示品を目にすることによって搖籃期の東京大学のイメージをモノクロ写真からカラー写真に転換するほどの新鮮さと実感をともなってその時代の東京大学を頭に描くことができるのではないだろうか。第一部の表題にアルケオロジーという言葉を用いたのは以上のような意図からである。

第二部は「精神のエクスペディシオン」と題されている。明治後半期から現在にいたるまでの東京大学が行ってきた海外学術調査を紹介することにより、学術研究の動機の多様性と大学という組織の特質を明らかにしようと企画されている。とくに大学の組織としての特質が海外学術調査の紹介によってこれまで以上に明確となることを意図している。なぜなら、海外学術調査で獲得した新知見を蓄積、整理、分類して活用できるシステムもしくは施設がなければ、せっかくの新知見もその価値を十分に発揮できないことになるからである。そのために、分類学等の学問分野があり、博物館が設置され、さまざまの図鑑や事典が出版されるのである。これらのシステムと施設やメディアは、未知の世界へ船出する調査船の母港のようなものであり、それなくしては結果として漂流の憂き目にあうことにさえなる。

これまでのわが国が派遣した数多くの海外学術調査のその多くが大学を母港としていたのは大学自体が知の蓄積装置としての機能を有していたからである。とくに東京大学は創立当初から総合大学としての枠組みを有しており、学問の現状がさらに総合的、学際的、横断的となり、融合化とシステム化を進めている現代にあって、その役割をいっそう強化していく必要がある。しかし、その機能のいっそうの充実のためには、還元主義の研究だけでなく分類学のような知の総体を蓄積できる学問領域のさらなる発展が必要であると同時に、学術情報の蓄積が情報メディアの発達によって分散化を可能としているがゆえに同じクライテリアによる個々の集積と全体を検索可能とする方策が必要となっているのである。そのような展開こそが「母港」の整備なのであり、遠隔の時空にある未知なる世界へのさらなる「精神のエクスペディシオン」が可能となるのである。

「建築のアヴァンギャルド」と題する第三部は、教育研究を行う学術的な環境においてデザインが有する重要性を再確認し、とくに建築という空間芸術に焦点をあててその作業を行うことを目的としている。西洋近代科学の台頭に期待と信頼が寄せられていた時代、西洋近代科学の総体はマトリックスのように整然としかも緻密に分割することが可能であり、系統樹のように分類することが可能であると信じられていた。その枠組みと系統には設計(デザイン)があり、特定された学術環境である大学キャンパスにもそれに対応する設計があったことを明治期の本郷キャンパスに見い出すことが可能である。

しかし、西洋近代科学の枠組み自体に疑問が呈され、学際的研究が進捗し学融合による新しい領域の創成が問われる現在、かつてのデザインに替わる新たなデザインが必要とされながらも、なお現在、模索の状況にある。そのことは大学キャンパスという空間においても同様であり、教育研究の活動と内容に対応するデザインが待ち望まれている。大学における教育研究がつねに第一線にあるために、その営為の場である大学キャンパスもアヴァンギャルドたることによって使命を果たしうるのではないだろうか。

第四部「知の開放」は、東京大学の教育研究の現状をデジタル化された画像や映像によって紹介し、来るべき大学像を模索しようとする試みである。それぞれの学部・研究科や研究所等における活動状況と研究成果など画像化、映像化の可能なものを中心としているので、すべてを網羅しているわけではない。しかし、今後ますます重要となる社会の理解と支援を大学が享受していくためには、紹介可能なものはできる限り紹介し発信する必要があるとの認識から、現時点で伝達可能な画像・映像メディアを主要な手段としている。そうであるが故に、新たなメディアの登場やさまざまなメディアの組合わせによる伝達範囲の拡大を将来の課題に見据えた企画ともいえるのである。

高等教育がマッシフケイションからグローバリゼイションの状況へと移行し、「象牙の塔」に象徴されるような過去の大学イメージは払拭されつつあるにもかかわらず、人類が蓄積してきた学術・文化を継承すると同時に、独創的な教育研究を先導することにより人類が抱える諸問題に対処し、人間精神の涵養を行うという社会が大学に付託し期待する機能に代わりうる組織を見出しえない現在、大学が果たしうる役割を社会の需要と調和させながらこれまで以上に推進させていかねばならない。そのことは、大学という自己の認識を深化させると同時に、社会との関係において自己を相対化させることでもあり、そのための試みの一つとして以上の四部から構成される「東京大学展——学問の過去・現在・未来」は企画されている。そして、今回の試みは先に記したように標本、教材、実験器具、試作機器や建物の実体雛形などかたちのあるもの、それに画像や映像を中心としている。したがって、かたちあるものから大学を考えようとするこの企画展は、大学のイコノロジー(アイコノロジー)とも称することができるのである。

一九九七年十月

東京大学副学長
青柳正規


大学公開の世紀

二十一世紀を目前にして、日本の大学は次々と周年記念事業をおこなっています。昨年に実施された北海道大学の創基百二十年記念事業、そして今年には東京芸術大学百十周年、京都大学百周年、東京大学百二十周年の各記念事業と続きます。

なぜこれらの大学があたかも示し合わせたように公開の記念事業をおこなうのでしょうか。それは多くの大学人が、二十一世紀とは「大学公開の世紀」であることを予見しているからに他なりません。もちろん大学はその教育・研究の成果を社会に還元してこなかったわけではありません。学会活動や研究論文の発表、民間企業との共同研究、公開講座、そしてなにより優れた人材の社会への輩出。大学は地味ながら社会に対して種々の方法でその成果を還元してきました。

しかし、いま大学に求められている社会への開放は、より直接的、継続的、全面的なものなのです。多くの大学人がそのことを正面から受けとめているからこそ、二十一世紀を目前にして公開の記念事業をおこなおうとしているのです。 大学は、社会に対して開かれていると同時に大学人自身に対して開かれていなければなりません。二十世紀は学問の飛躍的発展によって無数の分野、領域を創生した世紀でした。このような専門分化は、学問の深化を達成するための必然的な帰結でありましたが、その代償として、私たちは学問の全体像を見失っているのではないかとの危惧を抱きつつあります。さらにそれぞれの専門分野があまりにも先鋭化したために、協調性よりも無関心あるいは排他性の弊害が問題視されるようになってきました。

幸いなことに、東京大学の百二十周年を記念して企画された東京大学展には、専門分野を越えて多数の学術標本が展示されています。大学創立前夜から明治後半まで東京大学の教育・研究に貢献したこれらの学術標本(実験器具、教育教材、試作機器など)に触れたとき、東京大学人は学問の初心に帰ることができるにちがいありません。

東京大学展は一九九七年十月から十二月までの二ヶ月間で終了しますが、その記録は私たちの心の中に、そして図録やデジタル情報として二十一世紀の人々に残します。こうした素晴らしい記念事業を可能にして下さいました多くの方々に、記念展実施小委員会の座長として心から御礼申し上げます。

一九九七年十月

東京大学創立百二十周年記念展実施小委員会座長
東京大学総合研究博物館長
林 良博