場所 | 中国 |
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時代 | 宗時代 (11〜12世紀) |
大きさ | 高さ22.2cm、直径11.9cm |
所蔵 | 総合研究博物館美術史部門 |
中国・朝鮮の陶磁器では「白磁瓜形水注」が特に素晴らしい。 ほんの少し青みを帯びた白磁のつややかな釉の美しさ、 ふっくらとした瓜形の胴部と垂直に立ち上がる首の微妙なバランス、 そしてすっと伸びる注口のくっきりとしたフォルム。 もっとも高度な技術が求められる白磁の中でも、 ひときわ見事な作品を残した宋時代の景徳鎮から生み出された優品である。 これに温かいお酒を入れ、熱いお湯を注いだ輪花の深鉢に浸し、 お酒が冷めないようにしながら楽しんだものらしい。 このような状態を描いた壁画が、宋時代のお墓にのこっている。 宋文化の豊かさを、 私たちはこの水注一つから容易に想像することができるだろう。
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「白磁瓜形水注」
の項を参照して下さい。
場所 | 朝鮮 |
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時代 | 李朝時代(18〜19世紀) |
大きさ | 高さ32.0cm、胴径 20.4cm |
所蔵 | 総合研究博物館美術史部門 |
「白磁十長生文瓶」は朝鮮李朝時代の佳品である。 李朝陶磁の真骨頂はやはり白磁に示される。 この瓶は下ぶくれの親しみやすい器形を、 明るく澄んださわやかな釉調で仕上げて、 使ってみたいなあという気持ちを起こさせる。 李朝後期の典型的な瓶ということができよう。 十長生は延命長寿の表象となる朝鮮独特の吉祥文様だが、 「いっちん」技法とも相まって、 プリミティーフなおもしろさが生み出されている。 「いっちん」はちょうどデコレーションケーキを作るときのように、 白土を絞り出しながら描いていく手法である。 李朝白磁の中では、 心にしみいる落ち着いた釉調をもつ初期の作品が特に高く評価されている とはいえ、 このような初期作品とは別種の軽快・明朗な美しさが、 この瓶の見どころとなっている。
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「白磁十長生文瓶」の項を参照して下さい。
場所 | 日本 |
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時代 | 江戸時代 (十七世紀) |
形態 | 紙本墨画淡彩、巻子装 |
所蔵 | 総合研究博物館美術史部門 |
「探幽縮図」は、 狩野探幽が目に触れた古画を縮小模写したものを一巻に集めた図巻である。 探幽は有名な狩野永徳の孫にあたる画家で、 小さいときから天賦の才をうたわれた。 早く徳川幕府との関係を深め、その御用絵師となった。 それまでの豪壮華麗な桃山障壁画様式を、 新しい時代に合う瀟洒淡泊な画風、いわゆる江戸狩野様式に変え、 江戸時代における狩野派の基礎を固めて、発展に導いた画家である。 このような探幽のもとには、鑑定のため、 和漢を問わず多くの古画が持ち込まれることになった。 現在の美術史研究者が、調査のとき作品を写真に撮り、 フィールド・ノートをつけるように、探幽はそれらを手早く縮写し、 その脇に年月日、所蔵者、筆者、鑑定結果などを書き込んでいった。 探幽にとって、それは同じような作品を鑑定するときに、 みずから創作するときに、そして弟子を教育するときに、 絶大な威力を発揮することになった。時代を経て、 探幽縮図は現在の美術史研究者にとっては 極めて重要な研究資料となっている。 しかし、一つ一つ丹念にながめていけば、さすが探幽の筆、 絵画として充分楽しめる確かな描写に裏打ちされている。
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「狩野探幽 探幽縮図」の項を参照して下さい。
場所 | 日本 |
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大きさ | 縦20.9cm、横53.8cm |
時代 | 室町時代 (16世紀) |
形態 | 紙本墨画 |
所蔵 | 大徳寺真珠庵、 入江波光氏、 ハリー・パッカード氏、 メトロポリタン東洋美術研究センター旧蔵 文学部美術史研究室 |
「雪景山水図扇面」もじっくり見てほしい。 寒い冬の日の感じがとてもよくでている。 それに一役かっているのが左側の樹木で、 ちょうどかじかんだ手のように見えるところがおもしろい。 もっとも、これは古く中国で生まれた表現で、蟹の爪に似ているので、 蟹爪樹 < かいそうじゅ > と呼ばれる樹木の描き方なのだが、 画家はそれを非常にうまく使っている。 舟のなかには漁師が一人小さく描き込まれているから、 この漁師になったつもりで絵の中に入り込んでみるのも、 よく味わうための方法の一つだろう。
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「元久印 雪景山水図扇面」の項を参照して下さい。
場所 | 日本 |
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大きさ | 縦21.0cm、横52.8cm |
時代 | 室町時代 (16世紀) |
形態 | 紙本墨画 |
所蔵 | 大徳寺真珠庵、 入江波光氏、 ハリー・パッカード氏、 メトロポリタン東洋美術研究センター旧蔵 文学部美術史研究室 |
「柳に鵯図扇面」は「雪景山水図扇面」と同じ 画家の筆による同じシリーズの中の1枚で、 鵯の可愛らしい表情に心ひかれる。 風になびくさわやかな柳の描写も、 なかなかほかの画家に真似のできるものではない。 この2枚の扇面には「元久」と読める壺形の印章が捺されているけれども、 詳しいことは何もわかっていない。 ただ画風から、室町末期から桃山初期にかけて活躍した狩野派の画家であろう と推定されているだけである。 実をいうと、これは六曲一双の屏風に貼りつけられていた 扇面60面のうちの2面なのである。 この屏風はもともと大徳寺真珠庵の所蔵であったようだが、 近代に入って有名な日本画家であった入江波光が愛蔵するところとなった。 戦後、ハリー・パッカードというすぐれたコレクターの手に移り、 その基金により運営されるメトロポリタン東洋美術研究センターから 美術史研究室へ寄贈されたものである。 60面のうちには、現在所在がわからなくなってしまったものもある。 このような変転のドラマに思いをはせながら美術品を鑑賞することも、 けっして悪いことではない。
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「元久印 柳に鵯図扇面」の項を参照して下さい。
シンメトリーを基本とする堂々たる構成、陰影表現による確かな量感、 強くしなやかな輸郭線、それは見るものすべてを感動させて止むことがない。 如来や菩薩の端正な顔だちは、宗教美術がそなえるべき理想の表現である。 しかし、このような崇高美は、 我が国で独自に生み出されたものではなかった。 遠く敦煌の石窟には、 明らかにこれのもとになったと思われる壁画が残っている。 唐の都長安 (現在の西安) の寺院にも、相似た壁画があったらしい。 そう思って法隆寺金堂壁画を見直せば、 如来や菩薩の顔がどことなく日本人ばなれしていることに気づくだろう。 この大壁画の前にたたずむあなたを、 敦煌・長安・奈良を結ぶ雄大な古代のロマンが やさしく包んでくれるにちがいない。 ここに紹介した美術品について、もっと詳しく知りたい方があったら、 この総合研究博物館の前身である総合研究資料館から出されたカタログ 『東京大学コレクション I 東アジアの形態世界』 を是非参照してほしい。 この他にも紹介したい美術品はまだまだあるけれども、 また別の機会に譲ることにしよう。
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