空間の覚醒

セルジオ・カラトローニ
東京大学総合研究博物館
3/6

Cose[物] 新しい物を新しい方法で作る。上手に作ること。いや、最高の仕上がりにすること。2千年前と同じくらいに良い仕上がりにすること。近代的な新しさと伝統。過去と未来。歴史が我々に残した記念物は、その新しさがとても強い感銘を与える。ともかく、とても良く作られており、無駄がなく斬新である。技術は手仕事で行われている。伝統、発明、適応が継続して試みられている。文明と文化の表現。

 建築家は、昔風の節度を持ち、常に新しい心を持っていなくてはならない。過去と未来を結びつけることを知らなくてはならない。アヴァンギャルドと伝統。自らの生きる時代によって抽象化することを知らなくてはならない。先人達に借りがあるのである。謙虚さは、建築家にとって、静かで得るところの大きい技となるだろう。

Deserto[砂漠] 息を呑むほどに何も無い世界が広がる。8月の休暇を過ごすのに理想的な場所。ラジオの音量を一杯にして流すような輩に出会うこともない。進むべき方向を考え始めるためにも優れた場所である。

Design[デザイン] プロジェクトを立てるとはどういうことか。リサーチヘの試み、何かを捜そうと努めることを言う。ある場所から次の場所へ。頭の中で、何かについての解決法を見出すために巡礼することを言う。素直で不安定かつ気紛れな行動である。そして、少しずつ最後の半分に近づいていく。つまり、物に。

Donald Judd[ドナルド・ジャッド] 彼は、デモクラシーについて「ls it bad thing to imitate the bad, and not even to wish to imitate the good」と述べている。

È[される] 物が象徴的な機能を持つ、というのは、予測されることである。

Energia[エネルギー] 時間と空間の中を動く塊から発する強さを言う。

Esperimenti[試み] これは経験(esperienza)と韻を踏んでも良さそうなものだが、そうではない。これらふたつの単語は、2本の平行線の上をというよりも、上下に重ねられた透明なふたつの面の上を動くように思われる。しかし、アイデンティティは変えずに、混成のイメージが出来上がるような方法で。

 試みは、時間の経過と共に取り払われてしまう。試み、というのは、理解もされないし、好まれもしない。理解を得るまでには、何年もの月日を待たなくてはならない。経験は、試みを収集して蓄える倉庫とも言える。その中は挨っぽく、混沌として、しかし、有用な事柄がごまんと転がっている。

 建築家にとって重要な性格の条件のひとつは、自分の周囲の出来事について好奇心が旺盛であるということだ。大抵の発見は、偶然の連続の中から始まっていることを思えばよい。このことは、即ち、我々は、信じたいと願うことについては、ほぼコントロールをしないのだ、という意味に連なる。実験あるいは試みの仕組みは、予測を越えることばかりである。驚きに充ちている。この部分を研究することこそが、本当のプロジェクトとみなされ得るように思う。

Fotografia[写真] 建築写真。建築の断片、遺跡、住居の、住居内の写真。都市の鳥瞰図、家具や日用雑器、時代を経た物などの写真。郊外の、消費や浪費といった文明によって侵蝕されていない大自然の中に潜む地についての写真。調査研究の道具としての写真。比較対照を行うための写真。観る者から常に距離を持つ起源を、感光紙の上に暴露するもの。物の背後を発見し、実証する写真。紙の上に発酵し、予想を越える関係を暴露するもの。遠くの方にある痕跡を捜す探偵のように、建築物を撮影する建築家達。磨きをかける貴重な素材の鉱脈や、破片を拾って歩くこと。旅人は、強い根を複数に持つ者である。写真を撮る旅人は、行動することと同時に内省することについても情熱を持つ者である。

 思ってもみなかった瞬間に、期待もしていなかった場所でシャッターを押す。こうした写真について考えるのが私は好きだ。突然に収穫がある、とか、幽霊を見たとか。忍耐強く待って留まる、ということはしない。私を取り巻く世界中のスペクタクルを眺める喜びを、捜し続けている。

Fotografia[写真] ファッション写真は、時代性についてを表現するものである。「現代とは何か」という伝達を行うための、最もシンプルなメッセージのフォルムであり、そのメッセージを一般に普及させるための道具である。ファッション写真は、排他的な世界について語る。非現実的な台座の上に立つ、たどり着き難い世界について語るものだ。一般の観客が、この新しい世界に入場するための鍵が、ファッション写真なのである。受け身の観客は、ファッション界が商業上及びイメージ伝達上の戦略によって、規則的なリズムで連日繰り広げられる華やかな発表会に参加させられる。

 ファッション写真は、雑誌の、ポスターの、カタログの紙の上に、しっかりと載せられる。あるいは、店のショーウィンドゥ内に掲げられる。このようにして、商品への信仰が造られていく。世界の町のそこかしこに見られるファッション写真は、以前より一段とその数を増している。今や、その大きさも拡大されて、建築がイメージを支える巨大な広告記号に変形しつつある。

 ファッション写真は、感覚の爆弾のようなもの。予想できない語りを詰めた爆弾のようなものである。現実とは異なるイメージを刺激するものである。服という製品を通じて、習慣の種類を変えるように促すものだ。

 観念的な服は、逃避の出発点であり、所属する階層の違いを際立たせるための目印のようなものだ。ファッション写真は、この変身が、どの人にとっても可能であると伝えるのである。幾つかの典型的な暮らしの在り方を類型化して単純な図式に仕立て、変身の道具として服を紹介するのである。

 昔は、製品そのものが、その品質を伝えたものだった。今は、それでは充分ではないのだ。メッセージは、否みの限界を更に広げなくてはならない。イメージそのものが主要な製品となり、製品そのものの役割は二義的なものになってしまっているからだ。

 あるひとつの観方が受け容れられるように、画策する。ショーウィンドゥの中の、明るく照らし出された大きなポスターは、夢を手に入れたい通行人達への贈り物にも等しい。

Giovanni Sacchi[ジョヴァンニ・サッキ] 毎回一緒に仕事をする度に、ジョヴァンニ・サッキは、「建築模型には色をつけてはならない。天然木の色そのままが良いのだ」と繰り返す。色は自然さを損なわせると。マレーヴィッチは、1915-16年の模型の最初のシリーズを紙の上に実現した。石膏を使い始めるのは、1922-23年頃からのことである。

 私は、スタディ模型には、常に白い紙を使う。時を経るにつれて、それは明るいクリーム色の美しい味わいとなる。




前頁へ   |   表紙に戻る   |   次頁へ