第8回新規収蔵品展

三宅コレクションの世界

藤尾 直史


三宅コレクションは、日本の医学史に代々名を残す、江戸期以来の医学一家である三宅家に伝わった数々の歴史資料−書物、写真、標本、文書・書簡、原稿・日記、物品・器具類からなっている。

 三宅艮斎(ごんさい)(1817-68)は、安政5年(1858)の江戸神田松枝町の通称お玉ケ池種痘所(現東京大学医学部の起源)の創設に際して、前年8月に大槻俊齎宅へ集まった、当時の有力な蘭方医家の1人である。

 三宅秀(ひいず)(1848-1938)は艮斎の子で、東京大学で最初の博士(医学)・名誉教授となった人物で、文久3年(1863)の遣欧使節の随行者としても知られる。帰国後は横浜でヘボンに英学、ウェッドルに医学を学び、慶応3年(1867)に金沢藩に仕官し英書翻訳や英学教授に従事する。明治3年(1870)に大学へ出仕、中助教、大助教、文部少教授となり、明治7年(1874)に東京医学校長心得となる。

図1 文久3年(1863)遣欧使節の写真(『日本人』34、明治新聞雑誌文庫蔵)。エジプトの砂漠で元治元年(1864)2月28日に撮影されたもの。スフィンクスの肩に上って写っているのがのちの三宅秀。当時は復一と名乗っている。 図2 同じく文久3年遣欧使節の写真(三宅コレクション)。ナダールの刻印がある。中央がのちの三宅秀。

 明治9年(1876)に渡米し万国医学会の副会長に推された。帰国後、東京大学医学部教授・医学部長、医科大学教授・医科大学長を歴任、明治21年(1888)に本学最初の医学博士、明治36年(1903)に本学最初の名誉教授となっている。明治24年(1891)から貴族院議員をつとめ、昭和13年(1938)まで92年間生きた。

 三宅鑛一1876-1954は秀の子、仁1908-1969は秀の孫で、ともに医学部名誉教授となった。三宅コレクションは艮斎—秀—鑛一—仁の4代にわたるもので、資料の形態・内容とも多岐にわたっている。

 幕末期の写真類は貴重なものの1つである。中浜(ジョン)万次郎撮影と伝える三宅艮斎の写真、ナダールが撮影した三宅秀らの写真などがある。また前号紹介の明治初期の旧東京医学校本館(現小石川分館)の写真もある。

図3 三宅艮斎・秀が江戸時代から所持したとされる六連発銃(内法33.6cm×16.8cmの木箱入、三宅コレクション)。
図4 旧東京医学校本館(現小石川分館)を背景とする集合写真(「於東京大學醫學部本學撮影」、三宅コレクション)。明治16年(1883)1月27日撮影。最前列中央が三宅秀。
 絵葉書などの記念品も多い。昭和初期の国会議事堂の竣工記念品や、貴族院議員永年在職の記念として有志から贈られた銀製議事堂模型などもある。

 物品類も貴重なものがある。例えば文政10年(1827)長崎でシーボルトが昼食に使用したとされる皿や、鹿鳴館で藤(秀の妻)が着用したとされる衣装もある。

 植物や鉱物の標本があるのは、江戸期の医学・薬学の性格を示すものともいえる。植物標本は寛政期(1789-1801)のものとされ状態もよい。鉱物標本は、本来は艮斎が収集したものが多数あったが、シーボルトが調査と称して海外に持ち出し、結局大部分が未返却とのことである。

 医療・科学器具も多い。江戸時代の鉄砲鍛冶猪俣作と伝える手術器具もある。文久3年(1863)にパリで秀が購入したとされる羅針盤、慶応2年(1866)にウェッドルからもらったとされる顕微鏡、独国製の黄金色の望遠鏡などは、昨年から小石川分館に展示している。

 書簡・日記類は当時の要人らとの交友関係や活動内容を示している。

 文書の類も多く、とくに遣欧使節関係、金沢藩関係、東京大学関係の文書は貴重である。本学最初の医学博士学位記は、今年度から始まる学位記展にも活用できる。

 三宅コレクションは1点1点丁寧に包装され医学図書館で長年保管されてきたものである。昨年の小石川分館の開館準備中にその存在を知り、数点を借用して展示してきたが、今回の新規収蔵品展を機に、物品類を一括して総合研究博物館へ移管していただけることとなった。今後は三宅家ゆかりのコレクションとしてのまとまりを保ちつつ、1点1点の収蔵品に多角的な観点から検討を加えていくこととなる。また新規収蔵品展終了後は小石川分館へ収蔵され常設展示される。

 現在小石川分館には明治初年の大学草創期以来の各種学問領域の貴重な物品類—例えば機械模型・製図器具(工学系研究科産業機械工学専攻旧蔵)、御雇外国人教師エアトンの大型木製什器(工学系研究科電気工学専攻旧蔵)、モーセ像(人文社会系研究科美術史学専攻旧蔵)、初代総長加藤弘之の胸像(総合図書館旧蔵)などが集まっているが、ここに医学系のコレクションが新たに加わることとなった。

 三宅コレクションは江戸期以来の科学物品類を含む点で貴重である。江戸期の蘭方医学は当時最先端の学問の1つであるとともに、西洋から入ってくる科学全般と関わりをもつものでもあった。実際艮斎の関心も広きにわたったようで、多くのエピソードを残している。また子の秀も若い頃から進んだ教育を受けている。その点明治期以前の研究教育のあり方の一端を示すものともいえるし、大学史と深く関わる点でも小石川分館の展示コンセプトと符合するものである。

 三宅コレクションが小石川分館(旧東京医学校本館)に収蔵展示されることは、土地建物の由緒の点からも意味がある。旧小石川薬園・養生所の土地、旧東京医学校の建物に、日本最初の医学博士ゆかりのコレクションが収蔵展示されることとなるからである。

 最後に今回の新規収蔵品展に際して移管をご快諾いただいた医学系研究科・医学図書館をはじめ、関係各位に改めて謝意を表しておきたい。

 

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(本館助手/工学史料学・建築史)

  



Ouroboros 第17号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成14年5月10日
編集人:西秋良宏/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館

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