欠損した注口部を砂混じりのアスファルトで埋め、漆液の容器としたものである。中山遺跡は八郎潟にほど近く立地し、アスファルトの入手にはきわめて便の良い遺跡と考えられるが、その遺跡でさえ漆を栽培管理し、漆液を積極的に使用していたことを物語っている。 目次へ 前に戻る