西アジア考古美術写真データベースについて
Photographic database of archaeological sites in Western Asia

総合研究博物館には西アジア産の関係資料が多数保管されているが、その中には10万点をこえる写真資料が含まれている。古いものでは建築史家、伊東忠太が今世紀初頭に旧オスマントルコ領内で撮影した建築遺構のガラス乾板写真群(建築史部門)があり、また、戦後の資料には理学部人類学教室関係者が撮影したレヴァント地方先史遺跡写真などがある(人類先史部門)。撮影時期も内容も多岐にわたっている。中でも最大規模を誇るのが考古美術部門が保管している写真群である。それは、東洋文化研究所の関係者が撮影・収集してきたもので、イラク・イラン遺跡調査団(1956-1965)、イラン・イラク学術調査団(1976-1978)、シリア先史遺跡調査団(1985-1995)、西アジア先史遺跡調査団(1996-)と時々の名前を変えてはいるけれども、1950年代から続いている西アジア遺跡調査グループの成果のたまものである。質量とも、西アジア考古美術に関する国内最大の写真コレクションといってよいだろう。

このコレクションは、調査団の公式カメラマンが撮影した作品の他、関係した隊員の退官、物故などを契機に個人撮影分が寄贈されたものなどからなっている。写っているのは、遺跡やその発掘風景、出土品や現地博物館が収蔵する遺物、建築遺構や歴史建造物、遺跡に残されていた壁画や彫刻など美術作品、さらには現地の地形や風俗、人物など多様である。形態も35mmのネガ・ポジはもちろん、ガラス乾板、ブローニ、4×5インチ判の大判フィルムなど様々ある。総数は万の単位であることは間違いないが、実は、正確な数字はいまだ、つかみきれていない。デジタルカメラの導入にともない、数年前からモノとしての写真標本の増加は減速したとは言え、半世紀以上にのぼる調査がもたらした写真コレクションの規模は圧巻である。

1970年代初頭以後、西アジア各国は考古美術関係の文物を自国にとどめおく方針をとっており、外国調査団が持ち帰ることはほとんど許可されなくなっている。その現状では、これらの写真が貴重な研究資料となっているのは当然である。また、いったん発掘された遺跡や遺構はもう元の姿を失ってしまったわけであるし、年々すすむ経済開発、あるいは観光を目的とした修復作業によって往時の状況を変えてしまった建造物、地形、風俗も現地には多々ある。その点でも写真がもつ資料的価値は増しているといわねばならない。

こうした状況をふまえ、総合研究博物館は1996年の開館直後から、写真資料を末永く保存し活用するべく、それらのデジタル化を進めてきた。本データベースが収録しているのは、そのうち、2000年開催の『デジタルミュージアム2000』展において公開した写真類である。1950年代、西アジア調査の開始初期に撮影されたものを中心とする。各所からの利用希望が多い写真類であり、今回、詳細な解説を加え、改めて公開することとした。


2013年2月

東京大学総合研究博物館  西秋 良宏