羊毛のドメスティケーション

ウールの発達と紡錘車


紡錘車
  筆者はかつてシリアとイラクの前5千年紀の遺跡から出土した紡錘車を分析し、当時の繊維利用について検討した(須藤2004;Sudo 2003,2006)。紡錘車は細かい繊維を撚り合わせて糸に紡ぐ道具の一部である。先史時代の繊維加工を示す数少ない証拠のひとつである。現代では木製のものがよく見られるが、先史遺跡からは土製・石製のものが多く出土する。

 繊維を紡ぐのに最も単純な方法は、片手で原料となる繊維の塊を掴み、もう一方の手でその塊から適当な量の繊維を引き出し、指先でねじったり膝の上で転がすというものである。さらに効率を上げるのは、紡錘車を取り付けた紡錘を空中にぶら下げ回転を与え、その重みと回転で繊維を塊から引き出すと同時に撚りを加える吊下げ紡ぎ(drop-spinning)という方法である(図2,3)。このとき、紡錘に繊維を引き出す重さを与え、紡錘の回転を安定・持続させるのが、紡錘車である。紡ぎだす糸の太さ、撚りをかける繊維原料の質(長さ、木さ、硬さ、強度、絡みやすさ)によって適切な紡錘車の重さが異なる。柔らかい繊維から細い糸を紡ぐのに重い紡錘車を使うと、繊維同士が絡み合う前に分断されてしまう。逆に太く硬い繊維を紡ぐのに軽い紡錘車を使用した場合、張力と回転力が弱く撚りがかからないのである。このことからバーバーは、紡錘車の属性が、当該時期、地域において利用された繊維の質、種類を推測する手がかりとなると主張している(Barber 1991:52)。亜麻の繊維は強いが表面が滑らかで巻縮度が弱いため相互に絡みにくい。このような繊維を撚り合わせるには強い回転が必要となるので重い紡錘車が選択される。一方、ウールなど細く柔らかく短い繊維には比較的軽い紡錘車が用いられるというわけだ。

図2 吊下げ紡ぎ(Keith 1998:Fig.3を改変)
図3 シリア、セクル・アル・アヘイマル村での糸紡ぎ

 筆者はこの原理をふまえ、遺跡から出土した紡錘車の重さを測定し、時期別に比較した。まずはシリアのテル・コサック・シャマリ遺跡(表1)から出土した25点の紡錘車を見てみよう。北シリアのウバイド前期からウルク中期にかけて、散発的ではあるが継続的に出土する。重さは、162gの特に重いもの1点のほかは、9〜47gのものであった図4)。民族誌例によると亜麻で太い糸を紡ぐには100〜150g以上、ウールを紡ぐのには8〜33g程度の紡錘車が使用されているようだ(Barber 1991:52;Ryder 1968:81)。コサック・シャマリの重いものは亜麻用でそのほかがウール用と使い分けられていた可能性がある。トルコのハジュネビでも重さで3グループに分類でき、用途によって使い分けられていたようだ(Keith 1998)。さて、コサック・シャマリの9〜47gの紡錘車について重さの変化をグラフに示すと、時期が下るにつれて軽量化する傾向が見て取れる(図5)。次いで東京大学に所蔵されている、同時期の北イラク、テル・サラサートⅡ号丘出土の紡錘車107点中、出土層位の分かる45点図8)についても重さを計測し、同様のグラフを作成してみた。するとコサック・シャマリの場合よりは緩やかであるが、やはり時期が下るにつれて軽量化する傾向が見られた(図6,7)。

表1 コサック・シャマリとテル・サラサートⅡ号丘、層位と時期区分

 先述の紡錘車の重さと繊維の関係から考えると、徐々に繊維原料あるいは繊維製品が上質化していったことを反映しているのではないだろうか。この推測を補強するデータがコサック・シャマリ遺跡の動物遺存体の分析で示されている。同遺跡の北方ウバイド前期では、ヒツジ・ヤギは若干の二次産物(ここではミルク)利用がうかがえるものの肉利用の傾向のほうが強かった。続くウバイド後期とポスト・ウバイド期にはミルク利用の傾向が強くあらわれるようになり、ウルク期には若干の肉利用とともにミルクとウールに一層の重点が置かれるようになった(Gourichon and Helmer 2003)。筆者は、コサック・シャマリにおいてミルクやウールへの関心が高まったことは、ウールの質の向上をもたらし、それが紡錘車の軽量化に反映されたのではないかと考えている。

 西アジアでは前4千年紀に都市が成立し、広範囲にわたる交易網が発達した。羊毛利用を示す動物考古学的データも頻繁に確認されるようになる。前3,000年頃にウール・タイプのヒツジが文書記録に記述されていることは、前4千年紀にはすでにウール・タイプヒツジがかなり普及していたと見てもよいだろう。ウール製品はメソポタミアの輸出品として経済的にも重要な位置を占めていた。都市化・文明化の中でウール利用の強化は重要な要素であったと考えられる (McCorriston 1997)。ここで扱った2遺跡とも前5千年紀の遺跡である。都市化への移行期とされる時期だ。もしウールの開発が都市化への動きと関連するならばこの時期のウール利用の様相を明らかにすることは重要な課題となる。本稿では紡錘車というシンプルな道具でアプローチを試みた。紡錘車はたいていの遺跡で出土するものであり報告も多数あるが、なぜか重量は記録もしくは発表されない。現時点で統計的に分析できるデータは少ないものの、少なくとも2つの遺跡で同様の傾向が見られたことは一つの成果といえよう。これまで積極的な議論は少なかったが、今後も検討していく価値はありそうだ。

■おわりに

 繊維利用に関連する人工物としては他に、ビーズ、針など穿孔のあるもの、封泥や土器に残る縄や布の圧痕が挙げられよう。ビーズ、針などの穿孔は当時使用された糸の太さを知る手がかりになる。かなり小さな孔もあるのでどれだけ細い紐、糸を使用していたか知ることができる。また封泥や土器に残る圧痕からはほとんど残ることのない繊維製品の姿を見ることができる。撚りの方向や糸、縄の太さ、編み、織りの技術を実物と同様に観察することができる(図9)。現状ではこれらの資料は数量的な分析ができるほど充実していないが、興味深い資料である。

 ヒツジの家畜化は前7,000年頃とされている。その後しばらくしてミルク利用が始まり、前3,000年頃にはウール・タイプのヒツジが確実に認識され、ウールが広く実用化された。すなわちヒツジ・ヤギのドメスティケーションは、動物自体のドメスティケーション、それからミルクやウールなど二次産物のドメスティケーションと、数千年をかけて段階的に完成したといえるのではないだろうか。



図4 コサック・シャマリ遺跡出土紡錘車の重さと径 (◆:両円錐形、■:円盤形)
図5 コサック・シャマリ出土紡錘車(重量変化)

図6 テル・サラサートⅡ号丘出土紡錘車の重さと径
図7 テル・サラサートⅡ号丘出土紡錘車(重量変化)

図8 テル・サラサートⅡ号丘出土の紡錘車
下から1列目=ウバイド前期、2列目=ウバイド後期から終末期、3・4列目=ガウラ期

図9 コサック・シャマリ遺跡出土封泥(Sudo 2003:Fig.15.16)