博物館の古人骨コレクションとしては、当館にある標本群は、縄文時代から近代までの各歴史時代を網羅する、国内外でも有数のものである。 理学部人類学教室と医学部解剖学教室の歴代教官による研究活動の賜物である。 その数は10000体を超えるとも言うが、系統だった原薄に基づいた推計ではない。これらの標本のうち、特に縄文時代人骨と弥生時代人骨について、現状確認と再整理を伴ったデータベース化を現在推進している。 今後、より正確な標本数情報などを提供できるであろう。
研究者が精力的に標本を収集するとき、その研究に必要な整理状況は保たれるものの、不特定多数の第三者の標本利用に適した状況には必ずしもない。標本の出自や由来などに関する情報も、収集した研究者グループ内では理解されているものの、誰にでもわかる状態には必ずしもなっていない。
そうした状況下で世代交代がおこり、学内に様々な状態の学術標本が継承されてゆく。これが大学博物館の宿命である。
利用頻度の高い標本は手厚く管理され、付随情報も明らかであることが多い。一方で、たまたま注目されなかった標本は収蔵時から手付かずのこともある。後者の場合、半世紀以上前に梱包されたままの状態のこともある。代々継承されてゆくうちに、標本の付随情報があいまいになってしまったものもある。あるいは、引越しや研究利用の過程で、標本間の混同が起こってしまったものもある。
管理・運営体制として、博物館は何を目指すべきか。言うまでもなく、それは未来永劫に標本とそれに付随する情報が維持されてゆく体制である。そこで2000年度から縄文時代人骨について再整備事業を開始したが、果たしてどれだけ効果的なキュラトリアル・ワークが達成できただろうか?主力は年度ごとに入れ替わりながらも、大学院生もしくは非常勤職員など、のべ10名ほどである。
標本の整理作業においては、骨学の実力が問われる。特に、標本の現存状態の確認に加えて、破損や混同などの混乱を解消することも目的のひとつとしているので、細かな破片の同定を行い、標本ごとのまとまりを確認する必要がある。また、文献や未公開資料をさかのぼり、標本の位置づけを検討する。
データベースのフォーマットは、遺跡ごとの収集史の要約と、現存する標本状態の基本情報からなる。当該標本群と標本資料報告との対応さえわかれば、 博物館標本として知りうる限りの履歴と情報に、実質的に全て到達できるシステムを目指している。
気持ちとしては、恒久的に機能する標本収蔵・管理体制の達成を目指した再整備事業である。
骨をみるのは楽しい。
まずは部位の同定である。細かい破片でも決め手となる特徴が残っていれば、部位が分かる。特に、頭や顔には独特の骨構造が多くある。
性別判断は、特に骨盤で行いやすい。それは頭が特に大きくなってしまった人類ならではのことでもある。 人間では他の動物と比べ、特に骨盤の性差が大きく、出産を手助けしている。骨格は、ほとんどの部位で、男性のほうが女性より、おおよそ5%から10%ほど大きい。
骨盤の内腔の大きさに関わる骨だけ、この関係が逆転し、女性のほうが大きい。
例えば、現代人の骨盤では、関節部は男性のほうが大きいが、恥骨は女性の方が長く、坐骨部が開いている。ここでは、姥山貝塚の人骨のうち、大坐骨切痕の形状から性別判定したものを一覧してみた。
年齢推定は、様々な方法を組み合わせて行う。出生から成長期を通じ、いくつかの現代人集団において、歯と骨格の各部位の形成・成長スケジュールが調べられている。 そうした既存の基準を利用し、おおよその年齢を推定する。成人後は老化現象を年齢指標とするしかない。そのため精度は低くなるが、一応の指標とはなる。 人の骨格で「成長」が最も遅くまで続くのが恥骨結合面であり、おおよそ30歳くらいまで続く。 これも、頭の大きな新生児を出産するための、人類に独特な進化の知恵の一つである。ここではBrooks&Suchey(1990)から、恥骨結合面による年齢推定の6段階の評価基準を示した。
種内の変異に様々、精通することが、同定能力を向上させるために必要となる。人類化石を扱う場合、種差をも考慮しながら破片を同定し、 そもそも動物骨と区別して人類のものと気付かなければ、「発見」にすら至らない。
ここでは縄文人、保美貝塚の大腿骨を一同にならべ、大小様々、頑丈さも様々な個体をみてみる。縄文人の特徴の一つとして、柱状性の大腿骨というものがある。大腿骨幹の後縁が梁状に突出しているものを指す。
その機能的意義は、大腿骨全体にかかる曲げに対する頑丈さを増すことにあるのか、太ももの筋構造と関連して形成されるのか、いくつかの可能性が考えられている。
一般に、新人段階以降の狩猟採集民において大腿骨の柱状性が強いことが知られている。
成長途上の骨を調べることで、大人の骨格にみられる特徴の成因や成長速度の違いなどを検討することができる。
今回の整備事業の進展により、縄文時代人の子供の骨を網羅的に抽出し、調べることが可能となった。そこで、縄文時代人の柱状性の大腿骨とは、そもそも出生時からそうした傾向が萌芽的に見られるものか、
それとも、成長期のどこかで特にそうした傾向が現れるのか、現在調査している。
姥山貝塚接続溝1号(B9号)住居址から出土した5人分の個体骨の再評価を、今回の再整備事業を通じて行っている。展示では、大正時代、
1926年の発掘現場の臨場感を再現してみた。当時の姥山貝塚の先端的な発掘調査による大発見の思いが、今も伝わってくるようである。
出土した5人の個体骨をここで紹介する。これらの人骨は一つの竪穴住居内で折り重なるようにして発見され、その出土状況から、同時に死亡した可能性が示唆されてきた。 考古学分野からの考察では、食中毒や感染症による突然死だっただろうとの説もあり、5個体の間に何がしかの血縁関係が想定されてきた。