記録媒体としての新聞
158.日刊紙『大阪朝日新聞』
皇太子殿下御着英画報とある。昭和天皇は皇太子時代、英国をはじめヨーロッパ諸国を半年間外遊した。掲載写真によると、英国王ジョージ五世のヴィクトリア駅までの出迎えをうけている。 159.日刊紙『萬朝報』
九月一日に起こった関東大震災後、仮事務所から発行することのできた第一号。以後しばらくこの判型が続くが、これは用紙の確保が難しかったためだろう。被災状況のほか、「火災保険はどうなる」といった記事、米大統領の救援支援声明、張作霖による米の寄贈を紹介する記事もある。
160.日刊紙『大阪毎日新聞』夕刊
関東大震災で未曾有の受けた国民に対して、摂政宮(昭和天皇)が心情を述べ、自らの結婚の延期を決めたことが報じられる。
161.日刊紙『大阪時事新報』付録
五月二三日に発生した北但馬地震の惨状を報じる。マグニチュード六・八で、死者四百二十八名を数えたという。付録とはいえ、発行年のないものは珍しい。
162.日刊紙『東京日日新聞』
明治五年二月、東京における最初の日刊紙として創刊された。震災前に撮影された東宮妃(香淳皇后)ご成婚直前の写真がようやく発見され、掲載。神宮競技の記録や写植機の誕生など興味の尽きない紙面である。
163.日刊紙『時事新報』
石狩硫黄山大爆発と見出しにはある。知床硫黄山はあるが、噴火記録がない。気象庁の記録によると、前日に噴火したのは十勝岳。情報が混乱していたのだろう。
164.日刊紙『大阪朝日新聞』第二号外
大正天皇の御容態が思わしくないことを報じる。照宮(第一皇女子照宮成子内親王)が両親宮に呼ばれ葉山御用邸へとある。葉山に向かう朝香宮ら三殿下の軍服姿の写真も。一週間後の二五日に大正天皇は崩御された。
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