広告媒体としての新聞

デザインとタイポグラフィー

 

官製の発行物を別にすると、大半の新聞は広告料収入に大きく依存している。紙面のなかで広告の占める割合が大きいのはそのためである。国内発行紙に全頁大広告が登場し始めるのは日露戦争後で、出版、化粧品、酒造、薬、自動車、百貨店など、有力企業が新聞紙上で個性的な宣伝意匠を競い合った。明治後期の「図按」から昭和の「デザイン」へ、イメージとタイポグラフィによって構成される新聞広告は、つねに時代の流行の最先端にあった。

 

88.日刊紙『やまと新聞』

第六一五号、明治二一年一〇月二〇日発行
やまと新聞社

The Yamato-Shimbun No.615, 20 October 1888 Yamato-Shimbun-sha P.4, 510 x 355

神田たなか洋物店大売出し広告、他。

89.日刊紙『郵便報知新聞』 

第六〇四五号、明治二五年一二月九日発行
東京、報知社

The Yubin-Hochi-Shimbun No.6045, 9 December 1892 Tokyo, Hochi-sha P.4, 560 x 380

天賞堂時計発売広告、他。

90.日刊紙『函館毎日新聞』

第六五九〇号、明治三六年一月一八日発行
函館、函館毎日新聞社
The Hakodate-Mainichi-Shimbun No.6590, 18 January 1903 HakodateHakodate-Mainichi-Shimbun-sha P.6, 560 x 380

アッキス、ピンヘット、カメオという煙草の発売広告、他。

91.日刊紙『東京朝日新聞』

第六八三六号、明治三八年八月七日発行
東京、東京朝日新聞社
The Tokyo-Asahi-Shimbun No.6836, 7 August 1905 Tokyo, Tokyo-Asahi-Shimbun-sha P.8, 540 x 400

健脳丸の全面広告。

 

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