「博物館新聞資料体」を構築する

西野嘉章

 すでに新聞等のマスコミで報じられている通り、東京大学総合研究博物館研究部は資料部植物部門でおし葉標本の保存 乾燥用とされてきた新聞紙のシステマティックな回収にのり出し、二〇〇二年春からそれらの学術資源化を始めている。 二〇〇三年春には博物館工学ゼミのメンバーの参加を得て作業がいっきじ加速化し、これまでのところ明治中期から昭和 二〇年代にかけ日本国内および旧日本統治下地域内で発行された新聞紙約一万点の分類整理を終えている。とはいえ、これでも想定される全体量の五分の一から十分の一に過ぎず、今後なおデータベース化を含む資料化事業を相当期間にわたり継続していくことになる。

 博物館資料部植物部門には、明治の初めの理学部植物学教室創設からこのかた現在に至るまで営々と蓄積されてきた百万点超のおし葉標本が蓄積されている。フィールドに出て、植物を採集し、平たく伸ばし、乾燥させる。そのさい、生の植物をできるだけ早く乾燥させるため、手近にある新聞紙に挟み、圧をかけるというのがもっとも簡便なやり方である。 そうした状態のままに残された乾燥標本を、新聞紙のあいだから取り出し、定型の台紙に固定してデータの記載を行う、 というのが植物標本の整理の手順である。植物部門のスタッフは、このようにして標本化された植物を同定分類し、調査研究を行ったのち、現代の多様なニーズに応えられるよう保存管理する作業に日々追われている。

 こうした一連の作業を行うなかで、標本の保存乾燥紙として使われてきた新聞紙が大量に排出される。それらの多くは古いものであり、簡単に廃棄処分にするわけにもいかない。そればかりか、余剰物となる古い新聞のなかに、歴史的な大事件を報じた記事、時代の風潮を反映した商業広告、あるいは人気作家の連載小説など、現代のわれわれの眼から見て興味深い内容を有するものが数多く認められることを、部門のスタッフはしばしば話題にしていたのである。

 そうしたこともあり、博物館植物部門は新聞資料を扱っている社会情報研究所、史料編纂所、明治新聞雑誌文庫、東洋文化研究所など、学内諸部局に古新聞の提供を申し入れてきたが、大量に供出される古新聞を学術資料として保存しよう という声はどこからも聞こえてこず、束ねられた古新聞は行き場を失った。大量の新聞を受け入れる場所もなければ、それらの登録業務じ割く人員や予算もないというのが本音のようであるが、専門研究機関が古い新聞の受け取りに積極的で なかった理由は、そればかりでもなさそうである。

 第一に、植物標本の保存乾燥紙として使われた新聞は、その多くが中央部で半裁されており、一般的な言い方をするなら、史料としての首尾が宜しくない。第二に、資料体がかたちづくられた経緯を顧みるなら当然のことであるが、系統的に収集されたものでないため、新聞タイトルはもちろん、発行号数も区々で、既存の研究機関の(主として新聞タイトルに基づく) 資料保存システムに組み込み難い。第三に、古い新聞資料については、酸性紙対策としてマイクロフィルム化が進められていることもあって、扱いに不便な現物を所有することに積極的な意味が見出し難い。おそらく、このようないくつかの事情を斟酌した上で、既存の機関は受け入れ不可能との判断を下したのではなかったろうか。

 総合研究博物館もまた、たしかに、場所、人員、予算のいずれにおいても余所と同じ事情を抱えてはいる。しかし、最終的には十万点を超えようと予想される新聞資料のその総体の価値について、既存の研究機関とは異なる考えに立っている。新聞は、ただ単なる記号情報担架体でなしに、物性を有するモノである。したがって、それらモノとしての博物資源価値の総体を保存するにはマイクロフィルムやデジタル画像といった記録媒体への情報移転だけでは充分でなく、あくまでモノとして保存・管理・活用できる学術環境を整備しておくことが必要である。また、博物館はつねに展示品として利用可能なモノを必要としており、その意味で零葉状態の新聞紙は利用価値が高い。さらに、人文科学や社会科学の研究利用に資料保存の目的が特化された研究機関と違って、博物館では理・工・医学系諸科学の研究との超域的な複合研究が実践されていることもあって、新聞資料を従来型の研究目的と異なるかたちで活用し、新たな学術研究分野を聞拓することも可能である。

 こうした展望のもと博物館研究部で保存管理することになった新聞資料総体(以下、これを「博物館新聞資料体」とよぶことにする)の特性とそれを生かすための保存管理システムについて、以下に略記しておくことにする。

1.保存状態

 空調管理と防虫対策の行き届いた植物標本資料庫に長く保存されていたため、大半のものがきわめて良好な状態にある。一部に国内の遠隔地や海外の旧植民地等から東京大学へ送付される過程で傷みを生じたもの、標本整理後古新聞として括り紐で束ねられ四辺に傷みを生じたものなども見られる。 また、ごく一部ではあるが、頁の一部や記事の一部が切り取 られているもの、植物の名称や採集地名などの記載のあるもの、墨ツキのあるものも見られる。

 用紙そのものについては、外光が遮断されていたこともあり、明治期のものは黄変やシミなどを生じておらず、ほぼ理想的な状態にある。木版を使った機械刷りカラー印刷あるいは多色刷り石版印刷の紙面など、発行当時の鮮やかさをそのまま保つものも多い。大正期に入ると、酸性紙特有の劣化を生じ始めているものもあるが、状態はおおむね良好である。昭和前期の史料には劣化が進行し、深刻な状態にあるものも一部に認められるが、保存状態はおおむね良好と言うことができる。

 似たような出自を持つ新聞資料として、明治後期の植物学者牧野富太郎博士のおし葉標本から回収された新開資料が明治新聞雑誌文庫に保存されでいるが、幾度も再利用が繰り返された牧野資料体 ( 『牧野新開目録』、平成一〇年、参照 ) に較べ、博物館新聞資料体の保存状態は格段に良い。発行後聞をおかず乾燥紙に転用され、そのまま入手に触れねまま現在に至ったと想像されるものが多いからである。

2.新聞紙面

 博物館新聞資料体の多くは、中央の折り線部分で半裁きれ、二つ折りないし四つ折りの状態にある。たしかにこれは、 紙史料としての大きな「キズ」である。しかし、一般の書籍などと違い、新聞の場合には、その版面の最上部に新聞紙名、 発行号数、発行日などが印刷されており、零葉状態にあっても個々の紙面の素性や出自を特定することができる。また、標本製作が規則正しい手順で行われていたからなのだろうが、同じ新聞の同一紙で頁や付録が揃い、結果として全頁を復元できるケースも少なくない。とくに明治期に発行された頁数の少ない新聞についてはそうである。

 ほとんどすべての新聞紙が、欄外の余白ならびに中央の「柱」の部分を発行時の状態のままに留めている。これは博物館新聞資料体の大きな特長のひとつである。既存の機関等に保存されている新聞史料の多くは、新聞タイトルごどに分類さ れているだけでな〈、発行年ごとに合本されているため、中央の「柱」の部分がノドに食い込んでいたり、三方の小口部分が断ち落とされていたりなどして、「柱」の部分の情報や紙面のオリジナル・サイズを把握し難い状態にある。とくに明治後期の新聞では、「柱」の部分に印刷されていた気象、占い、広告、交通時刻表などに関するミニ情報にも有意的なものが多く、合本状態で保存されている既存の資料の欠損部を補完することができる。

3.史料形成

 新聞タイトルの分布は東京大学植物学教室の研究動向を直接反映したものとなっている。 国内外を問わず、植物学教室の教官や研究者が調査研究に出向いた地域については、当然のことながら、ローカル新聞諸紙が大量に残されている。また、国内各地に在住する専門学術研究者ないしアマチュア愛好家、あるいは海外の研究機関などとの重複標本交換や標本貸与が長期間にわたり恒常的に行われてきたことから、それらに関わった有力な個人や機関の所在地の周辺で発行されたローカル新聞諸紙も多く含まれる。こうしたことから、植物採集のフロンティアとなった遠隔地や辺境地のローカルな新聞や小新聞も多く、その地理的な分布は近代日本の国家的覇権の範図と一致している。

 残存する史料から見て、新聞紙を用いたおし葉標本作製術が定着をみたのは明治10年代後半のようである。 以後、新聞紙の残存数は年ごとに増加の傾向を辿っており、昭和10年代にピークに達する。戦後は海外での大規模な学術調査が各地で行われており、植物標本仁付随して大量の外国語頼関紙が持ち込まれているが、これらの戦後の新聞については目下取組中の資料化事業の対象外とした。

4.史料分布

 幕末から明治初期に発行された新聞は小冊子の形状をとっていたこともあり、博物館資料体のなかで残存が確認されていない。明治10年代の、いわゆる「大新聞」と「小新聞」の並存時代のものとしては、東京日日新聞、読売新聞、郵便報知新聞、絵入自由新聞、改新新聞などの有力紙を確認できるが、全体の中に占める割合は少ない。明治20年代に入り、「中新聞」の全盛期を迎える時代には、上記の新聞諸紙の他に、都新聞、時事新報、日本、国民新聞、ニ六新報、萬朝報、東京朝日新聞など、中央紙を含む主要な新聞のほとんどが含まれる。また、川北新報、新愛知、大阪日報、大阪毎日などの ローカル紙やブロック紙も多く登場する。

 大正期以降は史料の地理的な範図が飛躍的に拡大し、朝鮮半島、中国大陸、台湾、南樺太などで発行された中央紙のローカル版、現地語と日本語との併用版、完全な現地語版をはじめ、地域の読者を対象とする地方新聞、業界新聞、教育新聞 など、もちろん数え方にもよるが、総タイトル数にして二百五十紙を超える数が確認されている。これまでそ存在が確認されたことのない新聞、たとえば、弘前大日報などの稀少紙や、発行号数の知られていない紙面、あるいは有力紙の号外なども少なからず見出される。

5.保存管理

 博物館新聞資料体の保存にあたっては、二つ折りの状態にある新聞を、そのまま B3版の透明なフィルム袋に入れ、発行年を賦した抽斗に平置きで収納することにした。発行年による新聞資料の分類整理は異例であるが、これにより上述した史料の特長を最大限に生かすことができる。

 保存の対象となる新聞は、とりあえず明治初期から昭和20年代末にかけて発行された新聞諸紙とする。この下限は国内の公共機関や発行元の新聞社の資料保存の現状を掛酌した上での判断である。この坪外にあるものは、当面資料整理の対象とならないが、後々のことを考え廃棄処分とせず、箱詰めの上で館内に保存することとした。

 資料化事業に着手してから、これまでにおよそ一万点の新聞紙の分類整理を終えて いる。それらのうち約三千点については記載が済み、データベース化されている。 フォーマットは「明治新聞雑誌文庫」の手がけた牧野資料体のそれに準じており、近い将来、博物館学術標本デジタル・アーカイヴで閲覧できるようになる。

 

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