保存用紙としての新聞

学術標本と学術廃棄物

新聞はモノを保存するための道具として使われてきた。動物や植物や鉱物の標本、あるいは壊れやすい道具や器具が新聞紙に包まれる。これは大学人だけでなく、一般人が日々の暮らしのなかで実践してきた「生活の知恵」でもあった。大学では標本が更新されるたびに、大量の新聞紙が放出され、いたずらに廃棄されてきた。しかし、それらは本当に無価値なのだろうか。紙面の上辺欄外部にそのタイトル、巻号、発行年月日が刷られている新聞紙は、標本の来歴や素性を知るための手がかりとなりはしないか。もしそうだとするなら、標本の保護紙もまたそれ自体を有意的な「学術資料」と見なくてはならないのではないか。古くなり、劣化の進んだ新聞紙といえど、軽々に廃棄するわけには行かないのである。

1. 日刊英字新聞『ザ・ジャパン・デイリー・ヘラルド』

ハンサード編集発行
巻号未詳、一八七五年一〇月一六日発行
横浜、印刷所未詳
温度計
ベルリン、フランツ・グレイズラー製造
総合研究博物館小石川分館蔵、三宅コレクション、第一二六番

The Japan Daily Herald

A.W. Hansard(Director)
Unknown Issue Number, 16 October 1875
Yokohama Unknown Printing House
Thermometer n. Celsius
Berlin, Manufactured by v. Franz Greisrer
Koishikawa Annex, The University Museum, Miyake Collection, No.126
360 x 10(384 x 20)

近代医学の発展に寄与した三宅秀博士の旧蔵になる温度計。イギリス人商人ハンサードが文久元年(一八六一年)一一月二三日に横浜で創刊した英字新聞『ザ・ジャパン・ヘラルド』の付録として、文久三年一〇月二六日から発行の始まった国内最初の日刊英字新聞『ザ・ジャパン・デイリー・ヘラルド』の一八七五年一〇月一六日発行号の紙片にくるまれている。当時の横浜居留地には五百人程度の外国人がいたようで、同紙の発行部数は二百部程度であったという。紙面にはアジア協会が開成学校で講演会を開催する旨の告知をはじめ、サンフランシスコに向かう太平洋航路、上海・香港を経由してヨーロッパに向かう極東航路などの旅客船の広告、ヘラルド社が発行を予定している横浜、東京、神戸、大阪、長崎、新潟の情報ガイド・ブックの広告などが見られる。これらは国内で発行された新聞における最初期の「広告」であった。


2. 日刊紙『ラ・フランス』

編集者未詳
巻号未詳、一八八四年初頭発行
パリ、印刷所未詳
眼病標本(蝋製ムラージュ)
パリ、トロモン商会製作
蝋製ムラージュに彩色、和製紙箱
総合研究博物館小石川分館蔵、三宅コレクション、第七番

La France

Unknown Editor
Unknown Issue Number, Beginning of 1884
Paris, Unknown Printing House
Medical Speciments(Wax Moulage)
Paris, Manufactured by the Maison Tromond
Koishikawa Annex, The University Museum, Miyake Collection, No.126
125 x 96 x 51

一八八四年初めにパリで発行された日刊紙『ラ・フランス』の紙片が保護材として使われている。模型は一九世紀後半パリの医学部通りに開業し、パリ万博に出品するなど解剖学模型専門店として良く知られていたトラモン商会の製品であろう。仏語新聞はこの推察の状況証拠となる。


3. 日刊紙『新愛知』

巻号未詳、大正八年三月二〇日発行
名古屋、新愛知社
熱田高倉貝塚骨標本
大正八年三月出土
木製平箱
総合研究博物館人類先史部門蔵

The Shin-Aichi
Unknown Issue Number, 20 March 1919
Nagoya, Shin-Aichi-sha
Skeletal remains from Atsuta-Takakura shell-mound, Aichi Prefecture
Excavated in March 1919
Wooden box
Department of Anthropology & Prehistory, The University Museum
514 x 377 x 100

発掘を指揮した医学部解剖学教室教授小金井良精の名にちなんで「小金井標本」と呼ばれる。緩衝材に使われているのは、大正八年三月二〇日発行の「新愛知」。まさしく発掘当時に、手近にあった新聞紙で取り急ぎ標本をくるんだ様子が彷彿とされる。

4. 日刊紙『毎日新聞』

巻号未詳、昭和一一年頃発行
東京、毎日新聞社
伊川津遺跡骨標本
昭和一一年出土
木製平箱
総合研究博物館人類先史部門蔵

The Mainichi-Shimbun

Unknown Issue Number, Ca. 1936
Tokyo, Mainichi-Shimbun-sha
Skelton from Ikawazu site, Aichi Prefecture
Excavated in 1936
Wooden box
Department of Anthropology & Prehistory, The University Museum
514 x 377 x 100

医学部解剖学教室教授鈴木尚先生が発掘された縄文人骨標本。発掘当時の「毎日新聞」によって保護されていた。

 

 

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