はじめに

 

 このたび、わたくしども総合研究博物館は、十八回目の東京大学コレクション公開事業と して「プロパガンダ1904-45---新聞紙・新聞誌・新聞史」展を、学術研究拠点形成プログラム「先進国における政策システムの創出」の協力を得て開催する運びとなりました。

 あらためて言うまでもありませんが、近代の日本社会にはおよそ無数の新聞が生まれています。その始まりは、国内最古の『官板バタヒヤ新聞』がそうであるように、国外の出来事を海外の印行物や風説書を基に伝聞として纏め、それを定期的に刊行した邦訳新聞でした。維新前夜から明治初めにかけては、和綴じ小冊子型のローカル新聞が、混沌たる社会の鑑そのものとして各地に乱立します。明治10年代に入ると、自由民権や国会開設をめぐる政論中心の「大新聞」と、庶民大衆の生活感情に応えようとする「小新聞」の併存時代を迎えます。明治23年マリノニ輪転機が導入されると、新聞の発行量は一気に拡大し、それと軌を一にして大手新聞社による寡占化、系列化が進みます。日露戦争は号外発行、写真版の副産物を新開界にもたらし、国内ジャーナリズムを飛躍的に発展させることになりました。以後、明治末期から大正・昭和初期にかけ、国家の版図拡大とともに、発行される新聞の種類や発行量も、いや増しに大きくなります。

 政治、経済、社会、文化、教育、科学など、近代生活における新聞の役割を考えるなら、当然のことではありますが、 新聞と直接間接に関わる研究は、法制史、政治史、経済史、産業史、教育史から、マスコミ論、コミュニケーション論、 メディア論、印刷史、社会史、風俗史まで、およそあらゆる学術分野に亘ります。そのため、新聞は研究用の一次史料と して、他に代えがたい価値を有しているという認識が広く世間に定着し、縮刷版、マイクロフィルム、デジタル媒体による利活用の環境整備も図られています。しかし、その反面で、新聞の現物については、保管施設の狭隘化等の問題もあり、原形のまま保存することは難しいと考えられてきました。「新聞」といえば、そこに印刷された記事(テキスト)を論うことに終始し、紙(モノ)として存在する「新聞」については、およそ等閑に付されているのが実情ではないでしょうか。

 すでにマスコミ等で報じられている通り、総合研究博物館は、そうした新聞資料保存の憂うべき一側面を鑑み、資料部、植物部門でおし葉標本の保存乾燥用に使われてきた「新聞紙」の資料化と取り組むことにしました。2002年から始めら れた事業は、2003年に本格化し、すでに一万点を超える「新聞紙」が回収されています。とはいえ、これでもなお、想定される最終到達量の五分の一にも届きません。今後なお、資料のデータベース化を含む回収事業を、長期にわたっで継続していきたいと考えています。

 本展の狙いは、これまでまったく知られずにきた「新聞資料体」の存在を公にすることにあります。と同時に、大学博物館が取り組むべき重要な課題すなわち、自然史標本の一部として保存蓄積されてきた資料を文科系の一次史料としてリサイクル活用する手法の研究−−その具体的な例証のひとつになれば幸いです。

 最後になりましたが、本展の開催にあたり、ご協力項いた学内外の関係各位に、 この場をかりて厚く御礼申し上げる次第です。

高橋進 総合研究博物館館長

 

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