第2部 展示解説 植物界 大場 秀章 清水 晶子
自然界での植物の存在は大きい。砂漠などを除けば陸上は植物によって被われている。この地表を被う植物の着物のことを植生というが、植生は土地々々の気候や土壌などのちがいによって独特の模様をつくっている。 環境の悪化による植生の大規模かつ急速な破壊が世界的に危倶されている。これは植物の絶滅に止まらず、連鎖的に植物に依存して暮している動物、その動物を餌として生きる動物の絶滅をもたらすからである。陸上では、あらゆる生物が必要とするエネルギー源である、炭水化物を自前で生産できるのは植物だけであることを動物の一員である人間も熟知すべきである。 総合研究博物館では植物部門、森林植物部門、薬学部門が植物についての基礎的または応用的な研究に関連して収集された植物標本やその産品の資料を保管する。日本とヒマラヤ地域の植物の分類学的な研究では、当博物館は国際的にも重要な研究センターと なっている。各部門の経歴については別項 (p.188) を 参照していただきたい。
植物とはなにか 歴史を再構成することはむずかしい。生物の誕生についてもこのことは当てはまるが、地球上の生物はおよそ今から 35億年前に誕生したと推定されている。現在の分類体系によれば最初の生物は植物でも動物でもない。 それは細胞に核をもたない原核生物で、後にその原初 の生物はメタン細菌に代表される古細菌、大腸菌のよう な真正細菌、そして核のある細胞からなる真核生物に分かれていく。さらに真核生物は大きく植物、動物、菌類へと進化していくが、その過程には数多くの特異的な生物を生み出した。そのほとんどは海や水中に暮らす 生物であり、真核生物のうち陸上で暮らすのは植物、動物、そしてキノコの仲間である菌類に限られる。 地球の誕生後、10億年ほどが経過した頃、水素や硫黄、アンモニアなどを酸化してエネルギーを生産することができた始原的な生物が登場した。その後にこうした始原的生物の増殖より生み出された有機物を分解して暮らす別の生物が新たに誕生した。 しかし、地球上には上記の化学物質が無尽蔵にあったのではない。資源の枯渇からこうして登場した生物の絶滅を救ったのが無尽蔵ともいえる太陽エネルギーを捉えて利用するクロロフィルとそれをもつ生物の登場である。クロロフィルは一般には葉緑素と呼ばれるが、植物の最大の特徴はクロロフィルをもち、必要とする エネルギーを自分で生産していることである。 陸上植物 藻類の一部は、海中の多様な環境に適応して進化を遂げていったが、そのなかの一群が新天地をもとめて陸上に分布を広げていった、と考えられる。水中と陸上とでは環境が大きく異なる。陸上の環境に適応するためには、乾燥から体を護るしくみをつくりあげる必要があった。乾燥に強い表皮をもつこと、体の内部での水分の通導組織の確立などが進むが、陸上植物 のうちでももっとも単純な体制のコケ植物では、通導の役割りを果たす維管束がなく、また根・茎・葉の構造をもたないため、単に湿った岩の上や地面に広がって生活するだけで、空中高くに幹や枝を伸ばして暮らす樹木のような生活はできなかった。 これに対して、シダ植物は維管束をもち、根・茎・葉の構造があり、ときには木生の巨大な体をもち、光を求めて上方への成長を始め、森林を作るに至った。 恐竜が生きていたのはこのような世界である。 コケ植物もシダ植物も胞子によって繁殖していたが、やがて乾燥により強い種子によって繁殖する裸子植物 が現れた。配偶体は母体に寄生し、受精に際しても精 子が外界を泳いで卵に達せねばならないような危険性はなくなった。その後さらに、乾燥に弱い胚 (胚珠) を保護し、受精後は種子を保護する果実となる雌しべが登場した。雌しべをもつのが被子植物であり、陸上植物として最後に登場してきた。その生殖器官である花 の多くは、美しい花びら ( 花冠 ) をもち、また果実も多様化し、花のときには受粉に、果実のときはその散布 に見虫や鳥その他の小動物が関与する共生が進んだ。 安全性を高めた雄性の生殖器官である花粉には生産 される数が著しく少なくなったものもある。こうした植物では花粉を雌しべへと確実に運ぶことが重要になってきた。見虫などとの共生はこの花粉の運搬に絡んだものである。 ここにあげたコケ植物、シダ植物、裸子植物、被子植物はひとつの祖先から進化してきた子孫であると考えられており、陸上植物は陸に生える植物という意味だけではなく、ひとつの系統群の名称でもある。コケ植物から維管束をもつ維管束植物 ( シダ植物、裸子植物、 被子植物からなる ) が進化していった。さらにその中から種子をもつ種子植物 ( 裸子植物 + 被子植物 ) が進化し、最後に雌しべ ( 果実 ) をもつ被子植物が誕生 した ( 図 1) 。これが現時点に推定される陸上植物の進化である。
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of Tokyo
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