第2部
展示解説

動物界

REGNUM ANIMALE

 

 

哺乳類 部門紹介

 

人類先史部門

 東京大学において人類学研究は活発に行われ、従来から現在に至る調査活動は世界国宝級の人類化石にまでおよぶ。そのため、本館には更新世の化石人骨若干数と共に、実物標本に準ずる貴重なレプリカ標本が多数収蔵されている。また、人類の起源から現生人類までスケールの大きな進化史を論じるために対照する霊長類標本が収蔵されている。特記すべき標本の一つは、今回の展示に使用されている、320年前の猿人「ルーシー」(アウストラルピテクス・アファレンシス)の全身復元骨格で、アファレンシス化石の第一次研究を実施した米国研究者グループが1980年代に作成したものにもとづく、研究史上も貴重なレプリカ標本である。

 また、日本最古の化石人骨、有数の縄文時代人骨コレクション、弥生時代から各歴史時代にわたる膨大な古人骨コレクションがあり、これらは日本の人類学と日本人生成論のまさに基盤をなしてきた資料群である。

 我国では、人類学の草創期以来、民族学、先史考古学などとの連携のもとで人類学が推進された経緯があり、日本の先史学研究に欠かせない土器・石器標本、アジアの民族学を代表する古写真資料などが収集されてきた。モースによる大森貝塚発掘品、最初の弥生式土器など学史的にも重要なものがあり、縄文時代の土面1点、銅戈鎔笵1点、埴輪2点が重要文化財に指定されている。

 

医学部門

 医学は人類学などとの接点を有し、自然史との関係も深い。医学部門の所蔵標本のうち、自然史標本としての性格が強いものには、解剖学の小金井良精による、いわゆる「小金井標本」がある。今回の展示に用いた動物骨格標本の多くもこれに属するものである。小金井標本は現在日本・諸外国人など解剖学のみならず特に人類学の分野において重要なコレクションを含む。西成甫による比較解剖学液浸標本と生体計測資料、藤田恒太郎による歯牙歯列標本、小川鼎三の下で作成された動物の脳の連続切片標本なども名高い。

 東京大学医学部の創立は、江戸の蘭方医の拠金によって「お玉ヶ池種痘所」が創設された安政5年(1858年)と定められている。種痘所はその後「西洋医学所、「医学所」、「大学東校」などと移り変わり、明治10年(1877)東京大学医学部へと発展した。こうした伝統の中で教育研究用に蓄積された標本類は膨大な点数にのぼる。下記に著名な例を一部示す。

 人体の解剖学が困難であった江戸末期から明治初期には、欧州から輸入された特殊な人体模型が教材として活用されていた。当時の模型標本として、実物のおよそ10倍の大きさの眼球模型が保存されている。最初の海外留学生としてオランダで眼科を学んだ伊東方成が、持ち帰ったものである。

 皮膚科学においては色彩、形態ともに千変万化の疾患記録を残すために、明治後期から大正時代においてはムラージュ法が盛んに用いられた。これは、疾患部に石膏を当てて凹型を取り、これにパラフィンを主剤にした蝋を流し込んで複製をつくり、これに患部の彩色を施す方法である。皮膚科教授土肥慶蔵は、ドイツ留学時にその技法を習得し日本に導入した。今日では幻の伝染病となった天然痘の症例など、現在ではほとんど見られなくなった皮膚症状をムラージュ標本によって観察できる。

諏訪 元

 

 

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