第1部 第2章


「自然の体系」と東京大学


大場 秀章

 

 東京大学は19世紀も残り4半世紀となった1877年に創設された。当時、先進諸国の大学では、自然の体系の完成に向け植物や動物、鉱物、岩石などの自然史的研究に取組む一方で、 生物学では比較形態学や発生学など、種々の新興科学が生まれつつあった。東京大学では開学の時点において、こうした最先端の研究分野を取り入れる一方で、日本を中心とした地域の自然史的研究にも重点が置かれた。

 日本に産する動物、植物、鉱物を「自然の体系」へ位置づけるためには、分類学を中心とした研究が 欠かせない。日本で最初に設立された官立の大学としての責務との意識もあったと考えられるが、東京大学では自然史的な教育研究を切り捨てることなく大学での教育研究のプログラムに組み入れた。その結果、自然史から発展した生物学や地質学、鉱物学などの分野での教育では、自然史から始まり、分類学を経て、諸分科へといたる学問の歴史的発展を、その始原からある程度辿るかたちで教育研究を進めることができた。

 こうした教育研究方針が採択され実施された背景には、開学当初いわゆるお雇い外国人教師として 招かれ、本学での教育研究を支え学生の指導に当たった、当時の外国人研究者の存在がある。外国人教師全体からすると一部であろうと思われるが、大森貝塚発見で名高いモースなど、教師 として来日した彼ら自身が日本や周辺地域の自然史についての研究推進に多大な関心を抱いていたのである。日本での自然史研究がどちらかといえば、理路整然と推進され成果を上げてい くことができたのは、こうした教師たちの指導があっての部分が大きかったといってよい。

 日本の生物や鉱物を「自然の体系」上に位置づけるための日本動物誌、日本植物誌、日本鉱物誌の完成を大学の教育研究の中心に置いた東京大学では、研究のために日本各地から必要となる標本を収集していった。標本はたちまち教室の標本室を埋め尽し、満杯の状況を生み出した。本学には大学創設もまもない時期には博物館の構想があったといわれている。ただ、それは自然史 や考古学などの標本を収蔵保管し、研究を行うための研究博物館ではなく、展示を中心とした教育目的を中心とした博物館建設の構想であったらしい。自然史などの標本を一括して収蔵し研究 する、大学博物館の設置は第二次世界大戦前は構想されることもなかったと聞く。そのため、標本が溢れた各研究室の狭隘状態は改善されることなく、第二次世界大戦をむかえることになった。

 戦争終了後の一時期は生活環境などにより研究活動の低下が余儀なくされたが、1955年代に枚挙科学を時代遅れの研究と見倣す思想が一部でもてはやされ、そのひとつに含められた自然史研究も打撃を受け、多くの分野で後継者が激減した。そのような状況にもかかわらず多くの業績が生まれ、日本と日本周辺地域の自然の体系は、かなり細部にいたるまでその全貌が解明される状態になった。

 日本では他の大学やその他の研究機関に先駆け自然史研究に手をつけた東京大学は、日本における自然史研究を常にリードしてきたといってよい。時代とともこ研究が多分野に細分化される中で、植物や古生物、軟体動物などの研究分野では日本国内に限らず周辺地域における植物や一部動物の分析にまで及んでいった。さらに1950年代以降は、ヒマラヤや太平洋地域、南アメリカなどの地域をも視野に入れるなど自然史的研究は世界的な広がりをみせている。

 すでに指摘したように、多くの分野での自然史研究は本学に多量の標本をもたらした。 いたるところで標本が研究室を埋め尽くし、廊下にはみだす状況になっていたが、とくに1960年代 は目を被わんばかりの状況であった。標本が教室に溢れ出した状況を改善するために、標本を一元的に集中的管理し、教育研究の便に利するため、大学初の学内共同利用センターとして、総合研究博物館の前身に当たる東京大学総合研究資料館が1960年に設置された。

 総合研究博物館という大学博物館の設置で、集中的な標本の保管と管理が可能となり、とくに1960年代以降盛んになった海外での学術研究では、総合研究博物館は重要な学内での研究拠点となっていった。収集されてきた標本に新たな光を投げる新しい分析手法も登場し、地球の誕生から今日にいたる進化の全過程を掌中にした「自然の体系」の全体像を描くこともそう先のことではない状況にきている。総合研究博物館はぼう大な標本を単に保管する場所としてばかりでなく、自然史研究の場としてもその重要性を増しつつある。

 時代は遡るが、1897年には京都大学の前身である京都帝国大学が設立されるなど、東京大学以外の官立大学が次々と誕生することになった。そうした官立大学のうち明治から大正時代に設立された旧帝国大学では、設立当初は東京大学同様に自然史を教育研究の基礎として位置づけていた。そのため各大学でも本学に似て標本が山積みされる状況になっていた。それらの多くがかつての旧帝国大学を中心に設置された大学博物館の基礎的な標本群となったのである。本学はもちろん、大学博物館設置後は従来の研究に加え、自然史の標本は新たな視点からの研究財として新しい研究や教育に活用されることにもなったのである。

 地球共生をめざすというのが21世紀のモットーである。人類が他の生物をパートナーに認めた最初の世紀ということができる。広範囲な自然史研究を進めることで「自然の体系」の一層の深化をは かることは21世紀の社会設計のためにも必要である。またその成果を広く社会に還元する必要性は 今まで以上に高い。大学博物館の果たすべき役割りのひとつはそこにある。

 

 

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