「シーボルトの21世紀」展 展示品一覧1)List of exhibits
1) 谷川愛,石田裕美,清水晶子,大場秀章.なお,末尾に(T),(S)と記された解説はそれぞれ谷川,清水による. 展示品画像一覧
1 新訂萬國全圖縦116,横197.0,高橋景保作製,亜欧堂田善銅刻,文化7年(1810),銅版筆彩,金粉入り台紙に貼付,東京大学総合研究博物館地理部門蔵. 江戸幕府が天文方高橋作左衛門景保(1785-1829)に作製させた世界図である.1780年イギリス製のアロースミスの世界図を原図として,天文学者間重富の調査や,日本に関しては伊能忠敬や間宮林蔵らの成果を取り入れている.この図は東西の半球図からなっているが,日本が世界地図の中心となるように,これまでの東西を入れ替えてある.また,図左上には京都を中心とする斜軸法の世界図も描かれており,日本を世界に強く意識した最初の世界図であり,江戸時代全般を通じて,最も優れた世界図であった.その後,同じく幕府天文方の山路諧孝(やまじゆきたか)によって「重訂万国全図」として改訂され,さらに大学南校による改訂を経て,明治初期の世界図の基本となった.(T) 2 木造人頭模型鈴木常八製作,人頭解剖模型,檜材に胡粉,彩色,奥行21.5,幅15.5,高21.5,寛政6年(1794),後頭部内面に「鈴木常八作之,寛政寅十月」の墨書あり,桂川家旧蔵,東京大学大学院医学系研究科・医学部医学標本室蔵. 寛政6年5月阿蘭陀商館長から贈られたフランス製蝋細工模型を,幕府官医桂川甫周(1754-1809)が職人鈴木常八を使って模造させたもの.桧材を寄せ木し,胡粉の地塗りの上に岩絵具で彩色が施してある.両眼には仏像に使われる玉眼が用いられている.頭の表皮を剥ぎ,浅層筋と静脈を表現している. 桂川家は日本での西洋医学の発展に貢献した.甫周はシーボルトに先立って来日したツュンベルクに接し,ウプサラには甫周がツュンベルクに送った書簡が保管されている.甫賢はシーボルトと接し,その高い学識がシーボルトに感銘を与えた.(T) 3 三宅コレクション東京大学総合研究博物館小石川分館 江戸期以来の医学一家である三宅艮斎(1817-68),秀(1848-1938),鑛一(1876-1954),仁(1908-1969)の四代にわたる数々の歴史資料.幕末〜戦後期の文書・写真類,医学標本や医療器具,科学機器,鉱物・植物標本のほか,秀が幕府遣欧使節の随行員として渡仏した際に購入した物品,鹿鳴館の衣装や日用品などの私物,国会議事堂の模型などの記念品等文化史的に貴重なものも含んでいる.艮斎は種痘所創設の発起人の一人.秀は医科大学教授・医科大学長・名誉教授を歴任,貴族院議員も務めた.鑛一・仁ともに名誉教授となった.(T) 3-1 鉱物標本鉱物168点,木箱入り,木箱縦24.0,横33.0,高14.0,ドイツ語による標本の解説ノートあり,添付文書1点あり「鉱物標本 三宅艮斎が収集したもので一度シーボルトの手に渡ったがその後再び我が国に帰ったもの 三宅氏蔵」,三宅コレクション,東京大学総合研究博物館小石川分館蔵. 三宅艮斎が佐倉藩出仕時代に収集した鉱物標本.文久元年(1861)シーボルトの江戸参府の際,接見した艮斎が鉱物標本の鑑定を依頼したところ,シーボルトは鑑定のために全てをヨーロッパに送付してしまった.長男秀が遣欧使節の随員としてマルセイユにいたとき,シーボルトに会い,送り返すことに同意を得たもの.この他にもシーボルトに渡った標本があるようであるが,現在は所在不明である.(T) 3-2 シーボルト賞牌銅,直径5.0,高0.3,1896年,紙箱入り,表外周書「PHILIPP FRANZ VON SIEBOLD ★ ERFORSCHER JAPANS」,表内周書「GEB.Z.WURZBURG 17.FEB.1796」・「GEST.Z.MUNCHEN 18.AUG.1866」,裏書「1896★ ZUR ERINNERUNG AN DIE 100 JAHRIGE GEBURTSTAGFEIER」,紙箱上書「賞牌」,三宅コレクション,東京大学総合研究博物館小石川分館蔵. 日本の探検者であるシーボルトの生誕100年を記念して作られた賞牌.(T) 3-3 伝シーボルト先生使用の皿磁器,伝オランダ製,直径24.0,高3.5,木箱入り,三宅コレクション,東京大学総合研究博物館小石川分館蔵. 添付文書2点あり 「シーホルト先生使用ノ皿由緒書
文政八年度蘭医志伊母児土氏長崎蘭舘ニ渡来ス楢林栄建楢林宗建崎ノ大村街ニ居住ス文政十亥年患者治療及ヒ医術研究ノ為メ志伊母児土氏ヲ屡我家ニ招待ス仝氏ハ食器ヲ携エテ来リ終日診察治療ス後食器ヲ我家ニ遺与ス今ニ蔵スルコト久シ以テ今回 明治二十四年四月
呈
三宅秀国手大先生 長崎生 楢林栄叔拝
古和蘭焼皿 二器
「此弐枚アリシモ壱枚ハ余ノ義弟故佐々木東洋翁ニ分与シタリ 三宅 秀」
文政10年(1827),シーボルトは佐賀藩御側医師楢林栄建,宗建兄弟の自宅を訪れて患者の治療をし,医学を伝えた.この皿は,その際にシーボルトが持参してきたものと伝えられている.明治24年(1891)に楢林家子孫の栄叔より三宅秀に皿二枚を贈呈したとの由緒書がある.さらに,秀は一枚を妹峯の夫である佐々木東洋(1839-1918,医者,大学東校病院長,杏雲堂医院設立)に分与したようである.秀の父艮斎は天保元年(1830)から8年間,栄建のもとで蘭方医学を学んでいる.また,宗建はジェンナーの牛痘種痘法の普及に努めた人物であり,鳴滝塾では伊藤玄朴と同門である.安政5年(1858)に江戸で玄朴らが中心となり,種痘所(東大医学部の前身)を創設した際に集った蘭方医の一人に艮斎がいる.(T) 3-4 シーボルト先生写真モノクローム,横72.0,高115.0.添付文書(紙片)2点あり. 写真台紙にJULES GÉRUZET, PHOTとある.写真に添えられた2点の紙片のうちひとつは,ブリュッセルのEcuyer通り27にあったJules Geruzetの名入りのもので,それには「Tot Gedachtenis aan den Heer Tanaka Lentaro van Ph. F. von Siebold oude meester van Japansche Geleerde]というシーボルト直筆の贈呈文が記されている.また別の同封紙片の文書には,「田中廉太郎氏より貰受ける.元治元年5月20日?」とある.(T) 4 シーボルト外科証明書縦34.0,横50.0,額装,岡家旧蔵,早稲田大学図書館蔵. シーボルトが岩国藩周防国熊毛郡平生村出身の医師岡泰安(1796-1858,本名惟雄,号平陵)に与えた外科技術証明書. 岡泰安は幼時より英才の誉れ高く,20歳の頃より各地を遍歴して漢方や究理学(物理学)などを修めた.文政4年(1821)に父泰純の跡を継いで郷里で眼科を開業し,文政9年に長崎へ遊学.阿蘭陀通詞吉雄権之助の塾に入門し,またシーボルトの鳴滝塾で外科を学んだ.高い技量を認められ,名誉の証書を授与されて帰郷した. この証明書により,泰安の蘭法医としての名声が高まり,弘化元年(1844)に周防国岩国藩主吉川家に仕官した.藩主の眼病治療に成功したため,安政4年(1857)に侍医となったが,翌5年に流行したコレラに罹って急死した.(T) 5 宇田川榕庵 ヒポクラテスの像絹本彩色,江戸時代後期,宇田川榕庵画,縦57.0,横31.5,額装,早稲田大学図書館蔵. 蘭法の臨床医学は文政年間にシーボルトによって伝えられた.そして安政4年(1857)に来日したポンペの本格的な指導により,蘭法医学に対する世評はにわかに高まった.医学生の長崎往還がさかんになり,江戸や大阪でも開業する蘭法医が現れ,おおいに繁盛したと伝えられている. 一方,当時の伝統的な儒医は,「淮南子」に記された「神農」像を本草医学の神として祭り,医業の証としていた.これに対して,蘭法医たちは古代ギリシア医学の大成者・西洋医学の父たる「ヒポクラテス」像を掲げ,医師の守護神として崇拝したため,この図像は珍重された.江戸後期から明治初期まで,渡辺崋山筆のほか,各種のヒポクラテスの画軸が作られた.(T) 6 蘭学者見立番付三種のうち 蘭学者相撲見立番付紙本墨書,縦63.0,横48.3,額装,松平斉民収集『芸海余波』収載,早稲田大学図書館蔵. 江戸時代中期以降,相撲や芝居の番付に擬して,森羅万象を格付けしたり,役どころにあてこんだりする見立番付と称されるものが流行した.蘭学者相撲見立番付は,寛政年間の蘭学者100余名を相撲の番付に仕立てたものである.東西の大関は宇田川玄真(1769-1834),石井庄助(1743-?)となっている.大槻玄沢の開いた蘭学塾芝蘭堂で阿蘭陀正月(蘭学者が西暦の正月に集う新元会)の余興に書かれたものといわれ,書写のまま津山藩主松平斉民が収集・製作した『芸海余波』に収められている.(T) 7 芝蘭堂新元会図(複製)紙本彩色,市川岳山画,縦206.0,横144.0,軸装,早稲田大学図書館蔵. オランダ商館では,在留オランダ人が太陽暦の1月1日に新年の祝宴を開き,長崎奉行所の役人などオランダ商館に関係の深い日本人が招かれた.長崎の人はこれを阿蘭陀正月とよんだ.蘭学者大槻磐水(玄沢)は長崎遊学中の天明6年(1786),通詞吉雄幸左衛門が開催した祝宴に招かれた.磐水は江戸に帰り,寛政6年閏11月11日が太陽暦の1795年1月1日に相当するところから,居宅京橋水谷町の蘭学塾芝蘭堂において賀宴を催した.これが江戸における元旦の宴の起源である. この図はその時の様子が描かれており,参加者が賛文を書いている.磐水の次男磐渓(平次)が図幅に仕立て,原図の上に磐水の絶筆「病中即時」を掲げた.大槻家の阿蘭陀正月(新元会)は,磐水長男玄幹の没する天保8年(1837)まで開催されたという.(T) 8 泰西本草名疏木版,伊藤圭介著,文政12年(1829)刊行,B5版,東京大学大学院理学系研究科附属植物園蔵. 伊藤圭介(1803-1901)が,文政11年(1828)長崎にてシーボルトより贈られたツュンベルクのFLORA JAPONICA(日本植物誌)をもとに日本産植物の学名(ラテン語)をABC順に並べ,対応する和名と漢名を記した出版物.リンネの性分類体系にもとづく日本で最初の著作.伊藤圭介は長崎でシーボルトの指導を受け,分類学の知見を深めていった.圭介が受けた指導は類推するしかないが,シーボルトを通して,植物の体系的な理解と植物自体を正確に記載する方法とその意義を知ったと思われる.『泰西本草名疏』の上梓はその成果のひとつである.圭介は後に東京大学員外教授となり,日本における近代植物学の幕開けに関わった.(T) 9 伊藤圭介・シーボルト画像紙本彩色,縦153.0,横72.0,伊藤篤太郎摸,軸装,早稲田大学図書館蔵. 文久2年(1862),来日していたシーボルトを「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派員でイギリス人画家チャールズ・ワーグマン(Charles Wirgman)が描いた肖像のスケッチ画を後年,伊藤圭介の子息篤太郎が模写し,圭介の肖像とともに軸装したもの. 圭介は24歳の時,長崎でシーボルトの指導を受け,後に蕃書調所などに出仕,東京大学創立と共に員外教授となり,東京大学最初の公式刊行物である「小石川植物園草木目録」,「東京大学小石川植物園図説」等を編纂した.明治21年(1888)日本最初の理学博士となった.(T) 10 Job Baster著,NATUURLUNDIGE UITSPANNINGEN早稲田大学図書館蔵. シーボルトが宇田川榕庵に贈ったシーボルト署名入りの本.本の正式なタイトルは,Natuurkundige Uitspannigen, behelzende eenige waarneemingen, over sommige Zee-planten en Zee-insecten, &tc. 1762年から65年にかけてオランダのハーレムで出版された.(T) 11 Kurt Sprengel著,ANLEITUNG ZUR KENNTNISS DER GEWÄCHSE1802-04年,Karl August Kümmel (Halle), 3冊,早稲田大学図書館蔵. ドイツの医者で植物学者のクルト・シュプレンゲル(1766-1833)の「植物学入門」. 文政9年(1826),シーボルトが宇田川榕庵に贈ったシーボルト署名入りの本.宇田川榕庵による名著「植学啓原」3巻(天保6年)の参考書として用いられた.これらが贈られた1826年の3月にシーボルトはオランダ商館長とともに将軍家斉に謁見している.(T) 12 阿蘭陀加比丹并妻子之図紙本彩色,文政元年(1818),縦18.3,横124.6,木箱入り,東京大学附属図書館蔵. ブロムホフ家族図は,文化14年(1817)に出島商館長として来日したブロムホフの一家を描いている.当時,西洋婦人の上陸は許されず,妻子は前館長ヅーフ(Hendrik Doeff)とともにオランダに帰国した. 箱書きによると,商館長ヤン・コック・ブロムホフ(Jan Cock Blomhoff)39歳,妻デッタベル・フスマ31歳,倅ヨハンネス・コック・ブロムホフ2歳,乳母プレトルネルラ・ミュンツ23歳,下女マラテイ33歳が描かれており,この図は幕府からの指示で,一家の絵を描かせ,大通辞の末永甚左衛門が提出したとある. 文政20年(1823)ブロムホフは6年間にわたる任期を終えて長崎を去り,新しい商館長ステューレルと医官シーボルトが着任する.(T) 13 蘭主書翰使節持参途中之図紙本着色,縦30.0,横652.0,東京大学附属図書館蔵. 1844年オランダ軍艦が長崎に来航し,使節コープスは国書を幕府に提出のため,江戸に上ったが,図はその様子を伝えたもの. 14 紅夷人旅館図紙本着色,模写,昭和6年(1931),縦33.9,横415.0,東京大学史料編纂所蔵. オランダ船出港後の出島での遊楽を描いた絵物語である.跋文によれば,藤一純が士分の者の家から借用して写したことを伝えている.本品は東京大学史料編纂所が当時の所有者,許斐友次郎から借用し,中尾勝徳が模写したものであり,その完成が1931年である. 15 肥前長崎図木版彩色,耕寿堂発兌,梅香堂再板,縦68.0,横47.0,東京大学総合研究博物館地理部門蔵. 16 シーボルト著NIPPON1852年,縦600,幅425,2分冊,東京大学附属図書館蔵. いわゆるシーボルトの『日本』の初版で1832年から1851年にかけて,20分冊で出版された. 17 P. F. von Siebold, FAUNA JAPONICAVol. 1, MAMMALIA REPTILIA 1833年,縦400,幅約310,東京大学附属図書館蔵. いわゆるシーボルトの『日本動物誌』の第1巻で,哺乳類・爬虫類(両生類含む)(Mammalia Reptilia)を含む.このうち哺乳類の部4分冊は1842-1844年,爬虫類(両生類を含む)は3分冊として1834-1838年に出版された. Vol. 2, AVES 1850年,縦400,幅約310,東京大学附属図書館蔵. シーボルトの『日本動物誌』の第2巻で,鳥類を含む.12分冊として1844-1850年に出版された. Vol. 3, PISCES 1842年,縦400,幅約310,東京大学附属図書館蔵. シーボルトの『日本動物誌』の第3巻で,魚類を扱う.15分冊として1842-1850年に出版された. Vol. 4, CRUSTACAE 1833年,縦400,幅約310,東京大学附属図書館蔵. シーボルトの『日本動物誌』の第4巻で,甲殻類を扱う.7分冊として1833-1849年に出版された. 18 変化朝顔植物図譜国立歴史民俗博物館蔵 18-1 あさがほ叢四時菴彰著,琴鱗画,1817年,上,下2冊. 江戸で初めて刊行されたアサガオ図譜で,100の園芸品を彩色図で掲載する.太田南畝が序文を書いている. 18-2 都鄙秋興(とひしゅうこう)成田屋留次郎撰,野村文紹画,1857年,3巻. アサガオの園芸品種が豊富に出現した幕末の奇品122図を収める.しかし,図の多くは粗雑である.成田屋留次郎は本名を幸良弼という. 19 躑躅譜坂本浩然著,1836年完成,東京大学大学院理学系研究科附属植物園蔵. ツツジ類119品の彩色図譜で,細部まで特徴がよく描かれている. 20 シーボルト鉱物標本オランダ国立自然史博物館蔵. シーボルトおよびビュルガーによって収集された日本産鉱物標本.特に珍しい標本が収集されているわけではない.愛媛県産の輝安鉱,和田峠の黒曜石など少数の例外を除くとむしろ特異な外見,あるいは特別な産地,地方独特の呼び方などが基準となって集められている.この点からみても当時の日本における学問としての鉱物学の水準が植物学や動物学に比して格段に低かったことを示している.標本はシーボルトおよびビュルガーによって集められたものより,関係する日本人によって集められたものが圧倒的に多い. 21 日本地図(複製)シーボルト作成,個人蔵. シーボルトの『日本』の付図として出版された. 22 カノコユリ(Lilium speciosum ,ユリ科)(花)液浸標本シーボルト採集,ライデン大学国立植物学博物館蔵. シーボルトが導入した日本の野生植物中でとくに驚異の目が向けられた植物のひとつ.当時の著名なイギリスの植物学者リンドレーは,花びら(花被片)は「ルビーやガーネットが付いており,水晶のように輝いている」とその美しさを賞賛した. 23 カラタチ(Poncirus trifoliata ,ミカン科)(果実)液浸標本シーボルト採集,ライデン大学国立植物学博物館蔵. 地中海のシトロンやミルテ(ギンバイカ)のように冬も葉が青々と茂る常緑植物はアルプス以北に住む人々の憧れの的であり,その栽培が可能な室,オランジェリーが造られた.シーボルトは日本のシトロンの仲間,柑橘類に大きな関心を寄せていた.カラタチは中国原産で,現在ではシトロン(Citrus)とは別の属(Poncirus)に分類される変わった柑橘類である. 24 ヤマコウバシ(Lindera glauca ,クスノキ科)果実瓶入り標本シーボルト採集,ライデン大学国立植物学博物館蔵. おしば標本では保存が困難な果実や種子は別途に標本とする.シーボルトは多数の果実や大形の種子は乾燥したままガラス瓶に容れて標本とした.ヤマコウバシはシーボルトとツッカリーニが新種として記載したクスノキ科の木本植物である. 25 コウヨウザン(Cunninghamia lanceolata ,スギ科)球果瓶入り標本シーボルト採集,ライデン大学国立植物学博物館蔵. コウヨウザンは針葉樹スギ科の1種で台湾,中国大陸に分布する.日本への渡来年代は明らかではないが,シーボルトは『フロラ・ヤポニカ』でこれに2図版を割いて図示している.同書104図版に描かれた球果(松かさ)はこの標本にもとづくものと思われる. 26 カヤ(Torreya nucifera ,イチイ科)種子瓶入り標本シーボルト採集,ライデン大学国立植物学博物館蔵. いわゆるカヤの実である.イチイの1種として記載されたカヤを北アメリカ産のTorreya の一員であることを明らかにしたのはシーボルトとツッカリーニで,『フロラ・ヤポニカ』にも載る(129図版). 27 木材標本最上徳内作成,ライデン大学国立植物学博物館蔵. 最上徳内が作成した樹木の材標本である.各種の材標本にはその樹木の葉が描かれている.標本は全部で45点あり,全体が桐箱に収納されている(写真左から27-1,2,3,4,5). 27-1 ネムノキ Albizia julibrissin Durazz(マメ科)相州(サガミ)産. 標本にはネブノキの名が記されている.相州は相模の国(神奈川県の大半)をいう. 27-2 ハリギリ Kalopanax septemlobus (Thunb.) Koidz(ウコギ科)蝦夷産. 標本には「せん 即山桐也」とある.この標本に記されるセンまたはセンノキの名も広く用いられる.シーボルトは『日本』で,シネ・ニ(ヤマキリ),おそらくCatalpaあるいはPaulowniaだろう)は大木で,50フィート以上もある.アイヌ人はこの幹をくりぬいて小舟を作ると書いている. 27-3 オオバボダイジュ Tilia maximowiczii Shirasawa(シナノキ科)蝦夷産. 標本にはシナ,蝦夷名としてコベレゲフの名がある.シーボルトは『日本』で,「コッペレゲフ(日本ではシナノキ(Tilia parviflora (?))は蝦夷および樺太の山間に育つが,この木の内皮を使って船索を作る,と記述する. 27-4 ミズナラ Quercus crispula Blume(ブナ科)蝦夷産. 標本には楢(ナラ),蝦夷名としてベロニの名がある.標本裏面には,これからオールをつくること,樹皮上に生えるキノコ(クルマ)が食用になる,というシーボルトの書き入れがある.『日本』には標本上の記載を総合した記述がある. 27-5 イヌシデ Carpinus tschonoskii Maxim.(カバノキ科)相州(サガミ)産. 標本にはソロ,シテの名がある.ともにシデ類(多くはアカシデまたはクマシデ)をいう名前である.また,「椎茸ヲ作ル」と記される. 28 種子標本ライデン大学国立植物学博物館蔵 種子標本は台紙に貼り付けて保管することが困難な種子やその他の植物体の一部を収納した標本である. 28-1 イスノキ Distylium racemosum Siebold & Zucc.(マンサク科)ビュルガー採集. 28-2 キスゲの1種 Hemerocallis sp.(ユリ科)シーボルト採集.ギボウシ属Hostaの1種であるが,シーボルトはキスゲ属としている. 28-3 カラスウリの1種 Trichosanthes sp.(ウリ科)シーボルト採集. 28-4 キリ Paulownia tomentosa (Thunb.) Steud.(ゴマノハグサ科)モーニケ採集. これは種子でなく,花の標本. 28-5 クマヤナギ Berchemia racemosa Siebold & Zucc.(クロウメモドキ科)シーボルト採集. 28-6 イヌビエ Echinochloa crus-galli (L.) Beauv.(イネ科)シーボルト採集. 28-7 ホシアサガオ Ipomoea triloba L.(ヒルガオ科)シーボルト採集. 29 植物おしば標本37点シーボルト採集(一部は伊藤圭介,水谷助六採集),ライデン大学国立植物学博物館蔵. (詳細は表1に示す)(S) 表1.シーボルト採集標本1).ライデン大学国立植物学博物館蔵.
1) 標本の一部は伊藤圭介あるいは水谷助六により採集されている.
30 葉伊藤圭介作成,ライデン大学国立植物学博物館蔵. 江戸時代,伊藤圭介が作成したおしば帖で,圭介からシーボルトに贈られた. 31 蝦夷地出産草木(一)作成者不明,ライデン大学国立植物学博物館蔵. シーボルトが江戸滞在中に寄贈されたが,作成者はわからない. 32 Siebold & Zuccarini,FLORA JAPONICA1835年,縦410,幅約320,2分冊,東京大学附属図書館蔵. 日本ではシーボルトのフロラ・ヤポニカと呼ばれている.1835年から1870年にかけて,30分冊として出版された.共著者ツッカリーニはミュンヘン大学教授. 33 草木花実写真図譜明治初期刊,木版色刷4冊,川原慶賀編,早稲田大学図書館蔵. 本書は天保7年(1836)に刊行された『慶賀写真草』を色刷したもの.「写真」とは真の姿を映すリアルな絵という意味である.川原慶賀はシーボルトのお抱え絵師として有名で,出島への出入を許され,シーボルトの求めに応じ多くの植物画,肖像画,風俗画を描いた.(T) 34 シーボルト直筆手紙ライデン大学国立植物学博物館蔵. 35 FLORE DE JARDIEN,I東京大学総合研究博物館蔵. 36 アジサイ宣伝ビラシーボルト作成,ライデン大学国立植物学博物館蔵. 37 SIEBOLD’S FLORILEGIUM OF JAPANESE PLANTS,IaY. Kimura and V. I. Grubov編著,Maruzen(東京)出版,1994年,東京大学総合研究博物館蔵. 川原慶賀らが描いた日本植物の写生図はシーボルトの手元に残された.シーボルト没後に写生図は未亡人によりロシアの科学アカデミーに売却された.本書はその全写生図の原寸ファクシミリ版(1図を除く)である. 38 F. A. W. Miquel著,PROLUSIO FLORAE JAPONICAEC. G. van der Post, Amsterdam and C. van der Post, Jr., Traiecti ad Rhenum (Utrecht),1865-1867年,個人蔵. 本書は同じ著者が編集した論文集Annales Musei Botanici Lugduno-Batavi(ライデン植物学博物館紀要)に発表された,オリジナル版である.本書の表題は『日本植物誌試論』の意味で,シーボルトとその後継者が日本から収集した植物標本を総合的に研究した最初の論文で,多数の新植物が発表された.詳細は本書6章を参照. 39 シーボルト植物標本東京大学総合研究博物館蔵. 日蘭修好400年を記念してライデン大学から東京大学に寄贈された,シーボルトとその後継者により採集された標本.(詳しくは表2に示す).なお,寄贈標本全体については9章を参照.(S) 表2.シーボルトとその後継者が収集した植物おしば標本.東京大学総合研究博物館蔵.
40 映像「UKIYOE TRIP」演出:山田矩子,編集:安竹 治 映像制作協力:(株)イエローツーカンパニー 渡辺ゆかり 協力:東京伝統木版画工芸教会 41 映像「花ひらく」演出:山田矩子 映像制作協力:(株)イエローツーカンパニー 渡辺ゆかり 協力:菅野守彦,近間慎一,清水晶子 参考文献磯野直秀,2002,『日本博物誌年表』,平凡社.
片桐一男,2000,『江戸の蘭方医学事始』,丸善ライブラリー,丸善.
神谷敏郎・吉田穣,1995,『わが国で200年前に作成された西洋医学教育標本「木造人頭模型」』東京大学総合研究資料館ニュース33号,東京大学総合研究資料館.
静岡県立中央図書館ホームページDigital 葵文庫「葵文庫が語る江戸後期・明治初期の歴史資料解説[新訂万国全図]」(http://digital.tosyokan.pref.shizuoka.jp/aoi/2_history/q290_4.htm)
東京大学総合研究博物館地理部門,1974,「第9回展示 日本における地図の歩み」東京大学総合研究資料館.
徳島大学附属図書館 貴重資料高精細デジタルアーカイブ「重訂万国全図」.(http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/007/index.html)
西野嘉章編,2001,東京大学コレクションⅩⅡ「真贋のはざま」,東京大学総合研究博物館・東京大学出版会.
三浦義彰,1996,『医学者たちの一五〇年』,平凡社.
早稲田大学図書館ホームページ(http://www.wul.waseda.ac.jp/index-j.html)
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