図1 シーボルト関連年表

  18世紀 19世紀 20世紀
西洋   ・オランダ,フランスに併合(10年)
・ナポレオン退位
・ウィーン会議(14年)
・ワッテルローの戦い
・オランダにネーデルランド王国成立(15年)
・オランダ,再びジャワ島を領有(東インド植民地復活)(16年)
・イギリスがシンガポールを領有(19年)
・イギリスがマラッカを領有(24年)
・清(中国)アヘンの製造と栽培を禁ずる(24年)
・ジャワ島で島民がオランダに対する反乱を起こす(25年)
  ・オランダ,ニューギニアに植民地を設ける(28年)
  ・ベルギー,オランダからの独立を宣言する(30年)
・ベルギー王国が成立(31年)
・イギリス,ヴィクトリア女王即位(37年)
・アヘン戦争起こる(40年)
  ・ロンドンで万国博覧会開催(51年)
・パリ万国博覧会開催(55年)
・清(中国),イギリス・フランスと北京条約を結ぶ
・ロシア,ウスリー以東を割譲(60年)
・リンカーン,アメリカ大統領となる(60年)
・アメリカ,南北戦争開始(61年)
・ビスマルク,プロイセン宰相に就任(62年)
  ・オーストリア・ハンガリー二重帝国成立(67年)
・アメリカ,大陸横断鉄道完成(69年)
・スエズ運河開通(69年)
・ドイツ帝国成立(71年)
 
シーボルト
・誕生(96年)
・高等学校入学(10年) [14歳]
・ヴュルツブルク大学入学(15年) [19歳]
・イグナーツ・デリンガー教授,クリスティアン・ネース・フォン・エイゼンベック博士らの指導を受け,医学だけでなく博物学の関心を深める
・ヴュルツブルク大学卒業(20年)[24歳]
・オランダ領東インド陸軍外科軍医少佐に任命(22年) [26歳]
 
・ヴュルツブルク出発(6月7日)
  ↓
・オランダ・ハーグ到着(7月19日)
  ↓
・ロッテルダムでドゥ・ヨンゲ・アドリアナ号に乗船(9月23日)
  ↓
・ジャワ島のバタビア到着(23年2月13日)
【来日1年目(23年)】[27歳]
・東インド自然科学調査官兼任(23年)[27歳]
・日本在勤を命ぜられ,出島の商館医員に任命(23年)[27歳]
 
・ドゥ・ドリー・ヘズュスター号に乗船(6月27日)
    ↓
・激しい台風に遭う(8月5・6日)
    ↓
・出島上陸(8月12日)
 
・外科部屋に居住する
・前商館長ブロンホフの世話で美馬順三,湊長安,平井海蔵,高良斎,二宮敬作,石井宗譜,伊藤玄朴らが門人となる(23年)
・絵師・川原慶賀に動・植物などを描かせる
・タキ(其扇)と結ばれる
・宇田川榕菴から書簡を受取る(12月)
【来日2年目】(24年) [28歳]
・岡研介,高野長英ら門人となる
・通詞の楢林塾・吉雄塾を借り,医学教育・診療を行う(3月)
・長崎郊外の鳴滝に医学校「鳴滝塾」を設ける(6月)
・著者『日本博物誌』バダヴィアで刊行する
【来日3年目】(25年)[29歳]
・出島に植物園を設ける(4月19日)
・シーボルトの助手としてビュルガーおよび画家のフィレネーフェが出島に着く
・日本茶の種子をジャワに送り,栽培が試みられる
・シーボルト口述,高良斎訳『薬品応手録』を大阪で私費出版
【来日4年目】(26年)[30歳]
・商館長シュトューラーに従い江戸参府に随行する(2月15日〜7月7日)
 
★ビュルガー,高良斎,二宮敬作,石井宗譜,湊長安,川原慶賀も同行する
★道中,動植物,民具等の採集のほか,緯度・経度・標高高度なども測定する
★江戸滞在中は,兎唇手術,瞳孔拡大,種痘などの手術を行なう
★桂川甫賢,大槻玄沢,高橋作左衛門,宇田川榕菴,岩崎潅園,最上徳内ら多数の医者・学者に会い,多くの標本・資料を送られる
 
・出島植物園内にケンファーとツュンベルクを顕彰する碑を建てる
【来日5年目】(27年) [31歳]
・イネ誕生(5月31日)
・伊藤圭介,長崎に到着(9月24日)
【来日6年目】(28年) [32歳]
・伊藤圭介,長崎を去る。ツュンベルクの『フロラ・ヤポニカ』を贈る(3月)
・高橋作左衛門宛書簡と間宮林蔵宛小包を発送(3月30日)
・台風により出島甚大な被害に遭う(9月18日)
・ビュルガーに公務を引き継ぐ(10月1日)
・シーボルト,検使の尋問と家宅捜査を受ける(12月)
【来日7年目】(29年) [33歳]
・幕命で幽閉される(1月23日)
・台風で,出航が延期されたコルネリウス・ハウトマン号に日本での収集品を積む(2月24日出港)
・「日本御構」(国外追放および再入国禁止)の判決が下る(10月22日)
 
・ジャワ号で出島を出港(12月30日)
  ↓
・風待ちで小瀬戸に停泊中,妻其扇,娘イネ,二宮敬作,高良斎,石井宗譜らと会う(30年1月1日)
  ↓
・バタビアに到着(1月28日)
ヨーロッパに帰る
・バタビアを出港,オランダに向かう(30年3月15日)[34歳]
  ↓
・オランダのフリッシンゲン港に入港(7月7日)
 
・オランダ文部省の委任により,ブリュッセルに保管中の植物標本をライデンに移送する(10月)
・オランダ領東インド陸軍管理部将校となる(31年4月30日)[35歳]
・国王ウィレム1世はシーボルトの民族学コレクションの購入,前金を払う(4月30日)
・ライデンのラペンブルクに家を借用,「日本博物館」を開設し,一般公開する(国立民族学博物館の前身となる)(32年)[36歳]
・著作『Nippon』(日本)の第1分冊出版(1859年の20分冊で完成)(32年)[36歳]
・Fauna Japonica (ファウナ・ヤポニカ,日本動物誌)およびFlora Japonica (フロラ・ヤポニカ,日本植物誌)の第1分冊刊行(33年)[37歳]
・ライデン郊外のライダードルフに「気候馴化植物園」を設立。一部に邸宅「ニッポン」を建てる(40年)[44歳]
・オランダ王立園芸振興教会を設立し,ブルーメとともに会長となる(42年)[46歳]
 
★種子や苗木の繁殖と販売を目的とする施設「ロッドバルト商会」をつくり,後に「シーボルト商会」と改名される。1845年から1882年まで通信販売によって大量の種子・苗木の販売に成功する
・重要な論文となる『日本植物分類概梗』をツッカリーニと共著で発表(43年)[47歳]
・ヘレーネ・フォン・ガーゲルンとベルリンで結婚(45年)[49歳]
・プロイセン国籍を取得
・ライン川沿いのボッパルトに転居。ラペンブルクの邸宅を売却(47年) [51歳]
・長男アレクサンダーとともにマルセーユでイギリス船タイガー号に乗船。上海を経由し,日本に向かう(59年4月13日)[63歳]
  ↓
【来日】(60年)[64歳]
 
・長崎に着く(8月4日)
・オランダ貿易会社顧問として出島に入る(8月8日)
・鳴滝の旧邸を娘イネの名義で買い戻して移り住む(60年夏)[64歳]
・イギリスの園芸家ロバート・フォーチュンと会う(10月)
・横浜到着(61年4月19日)[65歳]
・江戸の赤羽根接遇所に着く(6月18日)
・イギリス仮公使館東禅寺襲撃による負傷者を治療(7月6日)
・滞在中,アメリカ公使,イギリス公使らと会う
・桂川甫賢来訪。日光で採集の植物を送られる(11月4日)
・江戸を退去して横浜に移る(11月17日)
・画家ワーグマン来訪(12月12日)
・アメリカ船ルイス号で長崎に着く(62年1月22日)
・長崎を出港(4月)[66歳]
・民族学コレクション公開のための『シーボルト博物館ガイドブック』ハーグで出版される(60年)
  ↓
・バタビアを出発(62年12月14日)[66歳]
  ↓
・ボンの家族のもとに着く(63年1月10日)[66歳]
・オランダ領インド陸軍参謀付名誉少将に昇進(63年)[67歳]
・日本で収集した植物を気候馴化植物園・ライデン大学植物園に植える
・オランダ領インド陸軍を依願退職(10月7日)
・ヴュルツブルクに移る(64年)(68歳)
・マルセーユで遣仏使節同行の三宅秀と会い,「鉱物標本」の返却を求められる(64年)。オランダのシーボルト民族学コレクションは,ホーヘヴールトの国立民族学博物館で展示
・『日本商工学校設立基金概要』,『国際日本商工振興教会』をパリで印刷(65年)[69歳]
・ミュンヘンの王宮,旧絵画館でシーボルトコレクション展示会開く(66年)[69歳]
・ミュンヘンにて死去(66年10月18日)[70歳]
・タキ,長崎で亡なる(69年5月23日)[享年62歳]
・シーボルト長男アレクサンダー及び3男ハインリッヒ,日本政府のウィーン万国博覧会参加の準備に携わる(72年)
・ヘレーネ,ヴィスバーデンで亡なる(77年)[享年57歳]
・ヴュルツブルクにシーボルト胸像が建てられる(82年)
・ヴュルツブルク,東京,横浜でシーボルト生誕百年記念祝典を開く(96年)
・「シーボルト先生宅跡之碑」が鳴滝の旧シーボルト邸跡に建てられる(97年)
・娘イネ,東京で亡なる(03年)[享年76歳]
日本
・ナポレオン戦争のためオランダ船の来港絶える(9年から14年まで)
  ・幕府,鎌倉で大砲の試射(18年)
・伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』が完成(21年)
・宇田川榕菴『菩多尼訶経』完成(日本最初の植物学書) (22年)
  ・幕府,異国船打払い令を出す(25年)
・鶴屋南北「東海道四谷怪談」江戸中村座で初演(25年)
  ・冷夏や風水害により,飢饉起こる(天保大飢饉)(33年から39年)
・渡辺華山を蟄居,高野長英,終身禁獄となる(蛮社の獄)(39年)
・蘭書翻訳書の流布を取締まる(40年)
・天保改革始まる(40年)
・幕府,学問教授所を再興する(42年)
・オランダ国王,将軍に開国を勧める書簡を送付(43年)
・土佐漁民中浜万次郎らがアメリカ船に送られ帰国(51年)
・アメリカ司令長官ペリー,サスケハナ号以下軍艦4雙を率いて浦賀に来航(53年)
・ロシア司令長官プチャーチン軍艦4雙とともに長崎に来る(53年)
・日米和親条約調印。続いてイギリス,オランダ,ロシアにも開港(54年)
・アメリカ,イギリス,オランダ,ロシアと修好通商条約に調印(58年)
・薩英戦争起こる(63年)
・幕府,横須賀製鉄所を起こす(65年)
・幕府,庶民の外国米輸入許可(66年)
・大政奉還(67年)
・5ヶ条の誓文発布(68年)
・開成学校,医学所を復興(68年)
・太陽暦を採用(72年)
・東京大学創設(77年)