マーク・ダイオンの『驚異の部屋』

飯田高誉

 

2002年9月早朝、鮪の解体などでごった返してる東京の築地市場にアーティストのマーク・ダイオンの姿があっ た。東京の巨大な胃袋を象徴しているこのフイッシュ・マーケットの現実的迫力における「秩序と混沌」、そして速度、ノイズ、流通など都市の多様性を表象しているこの市場に、本展覧会のフィールド・リサーチのために来 日したアーティストは大いに魅了された。東京大学総合研究博物館小石川分館で開催される本プロジェクトは、東京というメガロポリスをメタファーとシンボルにして、東京大学キャンパスという磁場に蝟集された特異 な「ゴミ」を学生ヴォランティアとともに収集し、東京大学の博物館や研究室付属の医学標本など膨大な収蔵品の中からマーク・ダイオンの眼を通して選び出し、収蔵品と「ゴミ」を等価に並列化して展覧していくのである。このプロジェクトのヴォランティアやコラボレーターは、博物館の教授陣と学生である。このように作家の活動をサポートする東京大学総合研究博物館によるガイダンスとコラボレーシヨンは本展覧会の核を成すものである。また本展は、博物史的コンテキストにおいて東京という都市をトポロジカルに横断しながら、隠された膨大な「もの」 に潜んでいる「時代層」や既存の価値観 によって見過ごされていた「バロック的な美 jを顕在化さ せていく、かつてないチャレンジングなプロジェクトでもあるのだ。マーク・ダイオンを引き寄せた築地という磁場は、東京という都市のダイナミズムと猥雑さを映し出す、まさに生きた「驚異の装置」である。つまり、この市場 が人間の器官のアナロジーとして、また都市機能そのも のが身体的なメタファーとして捉えられることによって潜在的なもうひとつの位相空間が現出し、本展覧会に設置した「博物館のなかの博物館」 (Museums in the Museum) ともい うべき「驚異の部屋」と通底していくのである。「気圏」 「地下圏 」 「水圏」「地上圏」 「人間 」「理性と規矩」「大きいもの」 「小さいもの」 という8つのテー マによって区分された「驚異の部屋」 は東京という都市の多様な顔貌と生態を映し出すのである。

ニューヨークを拠点に作家活動をしているマーク・ダ イオンは、 1961年、米国マサチューセッツ州ニューべッドフォードに生まれる。生地環境がアーティスト、マーク・ ダイオンを誕生させたといっても過言で、はない。 そこは、 ジョン万次郎関係の展示をしているアメリ力最大の捕鯨美術館があり、ダイオンは幼い頃からこの美術館や産業博物館に足繁く通って様々なインスピレーシヨンを蓄え込み、貝を蒐集する夢想癖のある少年で、あった。 まさにこの幼少期の体験が彼の現在の活動を支えており、礎となっていることは言うまでもない。 1984 年から1年問、現在活躍中の美術家の多くを輩出している登竜門とも、いべきホイット二一美術館のインディペンデント・スタディ・プログラムで学び、アーテイス卜のアシュリー・ピカートンのアシスタン卜をしながら現代美術の生生しい状況を冷静に垣間見てきたのである。 1987年、ドイツ・力ッセルの国際美術展ドクメンタ 8に参加し、90年以降、環境問題をテーマに多くのフィールド・ワークに取り組み、その結果として作品を発表している。オランダ、ドイツ、フランス、東欧などで展覧会を開催し、学者、地元の環境保護団体の人々やヴォランティアとともに精力的にフィールド・リサーチを試みながら数々のプロジェクトを実現している。

このようなダイオンの多岐にわたる創作活動の源泉は何なのだろうか? ここでマーク・ダイオンの作品プロジェクトの思想と方法論の成り立ちや背景を検証するために、彼に少なからず影響を与えた作家たちに言及しながらダイオンの作品における特異な創造性を浮かび上がらせてみたい。例えば、生物生態と環境問題の相克を「民族的神話」に溶け込ませて「芸術と社会」をテーマに絵画、インスタレーション、パフォーマンスなど幅広い表現活動を行ったヨゼフ・ボイス、アース・ワークやランド・アー卜と呼ばれる表現ジャンルの先駆者で、 エントロピーをテーマに「秩序」と「混沌」 、「人工」 と「自然」などの両義的法則性を検証したロパー卜・スミッソン、箱というフォーマットを表現メディアにして天体図、星座、楽譜などをコラージュしミクロコスモスを構築したジョセフ・コーネル、廃棄された建築的構造物を文字通り脱構築し新たなもうひとつの空間を再生し続けたゴードン ・マッタ = クラークなどのアーティストたちは、ダイオン自らが語るように彼らの作品だけではなく生き方をも含めても影響を受けた今は亡き偉大な作家たちである。また、現在活躍中のハンス・ハーケ、卜ム・バ一、工リクソン & ジーグラ一、ジェイ、ノン・サイモンらは、思想的 に親近感を抱くアーテイス卜で、また作品制作において方法論的アプローチを共有できるアーティストは、アレクシス・ロックマン、グレゴリー・クリユードソン、ポブ・ブレンだということである。マーク・ダイオンは、このように多様な現代美術家さえも自らの「驚異の部屋」のキャビ ネットに配置し自らのインスピレーションの宝庫にして いるのだ。この部屋では、歴史をリニアに遡るのではな く、過去、現在、未来がループ状になり時制の枠を自由自在に超えていくのである。十六世紀から十七世紀 のハプスブルク家の皇帝たち、フェルディ ナント一世、 マクシミリアン二世、そしてルドルフ二世は、いずれも熱烈な蒐集狂で、彼らが王宮内に設けた陳列室は、「驚異と怪奇の美」を蒐集した「芸術および驚異の部屋」 (Kunst und Wunderkammer) というべき博物館であった。これは、本展覧会のタイトルになった「驚異の 部屋」( ヴンタ二一カンマー ) の由来である。「この鬼面ひとを驚かす態の博物館には、世界中から集められた、およそありとあらゆる奇妙きてれつなものが、所狭しとばかりに並べられていたらしいのである。珍妙な形をしたガラス器、宝石の童、黒檀や雪花石膏や蛇紋岩の小さ な彫刻、古代の楽器、自動人形、動物のミイラ、太古の獣の骨、アルコール漬けの畸形、植物の変態、南洋の貝殻、鉱物の標本、光学器械、天球儀、甲胃、……魔法書、祈祷書、オルコール、ピストル、髑髏、等々」 ( 泣津 龍彦著『夢の宇宙誌−−コスモグラフィア・ファンタステ ィ力』より ) 。

マーク・ダイオンは、既存の美術館の在り方に疑問を抱いている。十八世紀の産業革命以降、モダニズム思想がいたるところに浸透し博物学においても例外では なかった。好奇心と興奮に満ちた「驚異の部屋」ともい うべき博物館に溢れかえっていたオブジェが、みるみるうちに分類整理され、博物館の別名が「墓場」となったのである。一方、現代美術においても公の美術館自体 が資金難で入場者動員を図るために観衆を子供扱いするようなわかりやすい企画プログラムを数多く立案している。しかし、一方では様々な社会的問題や芸術の存在理由を問うようなプログラムが表現の場を失いつつある。まさに美術館がテーマパーク化している。「美 術館は、スプーンで口に運んであげるような答えを観衆に用意するのではなく、いくつかの間題を投げかけ誘発すべきなのだ。私は、特に珍奇な博物館 (Curiosity Cabinet) や驚異の部屋 (Wunderkammers) に陳列収蔵された前啓蒙期の驚くべきコレクションの発想としての見世物と知識の狭間の対立的な緊張感に作家として興味をそそられる」とマーク・ダイオンは語っている。

1999年、ロンドンのテムズ川の潮の満ち引きによって 流れ着いたり、廃棄堆積して層を成したゴミ・オブジェを考古学的アプローチによって発掘、洗浄、そして分頼していくプロジェク卜"Tate Thames Dig" を地元のコミュ 二ティに属するヴォランティアの十代の子供たちと中心 に行い、分類された多様な生物の骨、貝殻、木片、陶 器、ガラス瓶から消費社会の残骸となった携帯電話、クレジット・力一ド、マイクロチップなど現代から二十世紀以前までを遡及する「時代の層」をプロジェクトの結果としてテート・ギャラリーに展覧したのである。まさに 数世紀のうちに堆積したゴミは「宝」になり、現代社会が 消費したかつて価値のあった廃棄物は単なるゴミになる!? というまさに価値観の転倒が起こっている。ダイオンは、こうしたプロジェク卜に代表されるように「現代都市の生態とエコロジーの関係」 、「環境汚染 / 破壊によ る種の絶滅あるいは進化 / 退化の問題」など「都市と自然の関係性」を歴史学者や文化人類学者、科学者、生物学者など異なったジャンルの研究者とコラボレートしながら、フィールド・ワーク、ワークショップ、レクチャーな どを通して作品化してきでいる。彼は、美術界だけでな く、社会的なアクティビス卜として国際的に評価されている。マーク・ダイオンはひとりの美術家という存在を超えて、まさに美術というジャンルをあらゆる人々に開放し、歴史的にまた社会科学的な視点、の下で都市コミュ二ティの活性化を促すことを意図している。

ミュージアムの根源を自然科学と芸術の境界領域の中で横断的に読みかえ、現代美術というジャンルを結果的に逸脱しながら活躍しているダイオンの個展を開催することは、ミューージアムのみならず社会的役割にお ける芸術の新しい魅力と活力を見いだす可能性を苧 んでいる。また、都市集中型の大量消費社会が臨界状態に達している状況では、実体のないシミュラークルが飽和し、ク'口ーパリゼーションという御旗の下にインターネッ卜によって張り巡らされた情報のインフレーションを起こしている。携帯電話もコンビュータも持たないダ イオンではあるが、単純に現代のヴァーチャル・ネットワ ークを否定せず現代社会の価値観である速度性、正確さ、仮想現実性などをゆっくり立ち止まって再確認する作業を丹念に行うことが重要であると語っている。マーク・ダイオンは、まさに「知の考古学」によって未来の あるべき社会モデルの一端を浮かび上がらせようとし ているのだ。

(本展キュレーター)

Top:
Roundup: An Entomological Endeavor for the Smart Museum of Art, 2000
Bottom:
History Trash Scan,1996
Groto of the Bear-Revisited, 1998
Top:
Collectors Collected, 1994
Bottom:
Buried Treasure, 1999
Cabinet of Curiosities for the Wexner Center for the Arts
Tate Thames Dig, 1999
Top:
Alexander von Humbolt (Amazon Memorial 2000)
Bottom:
The American Acclimatization Society, 1998
Deep time pour (for Lord Kelvin and Robert Smithson), 2001

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