はじめに




 「世界中に貝は何種類いるのですか?」「貝は何年くらい生きるのですか?」「なぜ熱帯の貝は綺麗なのですか?」「なぜ左巻より右巻の貝が多いのですか?」これらは、貝についてお話しした時に決まって尋ねられる質問です。私自身も長年考えてきた疑問です。そして、これらは最も答え難い質問です。このような単純な質問にさえ私達は満足に答えられません。貝類は分からないことだらけなのです。
 本書は東京大学総合研究博物館の展示「貝の博物誌」の図録として企画されました。この企画では主に以下の4つの項目に焦点を当てています。

 (1)貝類の基本的な分類群の特徴を簡単に概説しました。現在の系統分類では軟体動物門の現生種は8つの綱という単位に分類されています。貝類を研究するには、それらの動物学的な背景を知ることが重要になります。

 (2)次に、貝類の様々な形に注目しました。分類学を離れて、貝の形の規則性と多様性を探る試みです。特に形と機能の関係についての様々な考え方を紹介しました。記載的な説明に終始した部分もありますが、生物の全ての形を適応的な意味から説明できるとは限りません。単純な法則性だけでは全てを言い表せないこところが、貝の形の魅力でもあります。

 (3)貝類は昆虫に次いで地球上で最も繁栄している動物です。陸上が昆虫の王国だとすれば、海は貝の王国です。海中には貝が敷き詰められたように生息し、頭足類が我が物顔で泳ぎ回っています。そして陸上にもデンデンムシが黙々と這い回っています。そのような貝類の生息環境を一覧してみました。

 (4)最後に、貝と人のかかわりについても触れました。貝類は純粋な動物学や分類学だけの研究対象ではありません。水産学のような応用科学の重要な研究材料です。そして、21世紀の人類は地球上に存在する生物の一員として地球環境のことを考えずにはいられなくなりました。絶滅危惧種や環境保全は今日の重要なキーワードです。


 本書の内容には一般には馴染みのない教科書的な説明も含まれます。説明不足や「釈迦に説法」もあるかと懸念しています。しかし、解説に乏しい貝の写真集のような図録は作りたくないと思いました。そのような本は世界中にあふれるほど出版されており、類書の焼き直しでは物足りないと考えたからです。むしろ「貝類とは何か」を記した独自の解説書となることを目指しました。貝という身近な素材の中にも無限の学問の空間が広がっています。限られた紙面ですが、貝類学の一端をご紹介できればと思います。
佐々木猛智



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