3 オホーツク フィールドワーク

ホタテガイの話

佐々木猛智




東京の市場で売られていたホタテガイ(二〇〇一年六月購入)。殻高一一一ミリ、殻長一一四ミリ。
耳状部の孔に通されたプラスチックの紐の存在から耳吊り式で養殖されたことがわかる。

  ホタテガイは日本が世界に誇る有用水産資源である。年間の生産量は五十万トン以上に達し、国内第二位のカキ(約二十二万トン)に圧倒的な差をつけて、食用貝の王者の座に君臨し続けている。しかし、そのホタテガイもかつては生産量の変動が激しい不安定な資源であった。その難点を克服するために、およそ七十年も前から熱心な技術開発が行われ、今日の安定供給体制が確立された。現在の東京では一個百五十円足らずの値段で新鮮なホタテガイを賞味することができるが、それは長年にわたる技術開発のお陰である。その中心的役割を果たしたのが広大なサロマ湖を擁する常呂町であり、まさにホタテガイ養殖の聖地と呼ぶにふさわしい。すなわち、ホタテガイは常呂町を代表する天然資源である。

  ホタテガイは、軟体動物門・二枚貝綱・翼形亜綱・ウグイスガイ目・イタヤガイ科に属する二枚貝である。分布域は鹿島灘以北の本州太平洋岸・北海道・千島・樺太・沿海州・朝鮮半島北部にかけての寒流域に限られる。生息環境は水深数メートル〜一〇〇メートル付近の砂礫底である。

  ホタテガイは漢字では「帆立貝」と表記される。これは一方の殻は舟のように浮かび、他方の殻を帆のように立てて風を受けて海上を走るという空想から得られた名前だとされている。しかし、実際には海上に浮かぶこともなく、風を受けることもない。ラテン語の学名はPatinopectenyessoensis(Jay, 1857)というが、patinoは「皿」、pectenは「ホタテガイ類」、yessoensisは「蝦夷地方産」を意味する。

  貝殻の形態は、二枚貝類の中でも特異的である。まず、左右の殻の色が著しく異なり、右殻は白く、左殻は褐色である。このように、体の左右で色が変わる例は動物では珍しい。さらに、左右の殻は非対称である。左殻よりも右殻の方が膨らみが強く大きいため、閉じた殻の縁からは白い右殻がはみだしている。

  右記のような殻の色彩は生息姿勢と関係しているらしい。ホタテガイは例外なく白い右殻を下に、褐色の左殻を上にして、海底に横たわっている。日の当たらない方が色白になるのは、カレイやヒラメと同様である。もし上面が白色であれば地味な海底から浮き立って見えるため、視覚に頼る捕食者に対して不利になることは想像に難くない(しかし、ホタテガイの天敵であるヒトデには眼がないためヒトデに対しては色は無関係である)。一方では、下側の殻も同様に褐色であったとしても別に不都合はないであろうという疑問が生じる。これは少しでも殻の色素の生産を節約するという意味があるのかもしれない。この二色を決定づける要因の説明は単純ではない。

  殻の「左右」は動物体の体軸に対する向きにより定義されている。口がある方が前で、肛門がある方が後ろである。背腹は、足のある方が腹側、内臓塊の側が背側である。貝殻の前後の区別はわかりにくいが、閉殻筋(貝柱)の付着部が偏っている側が後ろ側である。背腹は二枚の殻が固定されている側が背側、開いている方が腹側に相当する。

  通称「ひも」と呼ばれる外套膜の周縁部は多数の眼と触角を持ち敏感に反応する。ヒトデの来襲に対しては視覚に頼らず化学的に察知することが知られている。そして、万一ヒトデに襲われた場合には閉殻筋の力で二枚の殻を開閉させ、殻の腹縁または前後の隙間から水を噴射しながら、遊泳し逃れることができる。この際、外套膜の隙間を調節して、水を噴射する方向を変えることすら可能である。

  ホタテガイの摂餌は極めて受動的であり、じっと殻を開いたまま鰓の表面の繊毛のみを動かして植物プランクトンなどの浮遊物を集め、口へ運ぶ。海底では潮が流れてくる方向に腹縁を向けていると言われているが、これは餌を効率よく採るための工夫であろう。

  雌雄は殻の形態からは分からず、生殖巣の色から判断できる。雌は卵巣がオレンジ色であり、雄は精巣が白い。産卵期は三〜六月であるが、場所によって異なり、水温の低い北方ほど遅くなる。繁殖のタイミングは水温によって支配されており、産卵開始の温度は摂氏八−九度である。受精後およそ三十〜四十日間の浮遊幼生期を経て変態し、稚貝になる。稚貝は足から足糸と呼ばれる糸を分泌し、付着生活を送り、殻長〇・六〜一センチメートルくらいで足糸を失い自由生活に入る。変態直後の稚貝は褐色、紫・紅・白色などの斑模様を呈し美しいが、徐々に褐色と白の単一色に変化する。

  現在のホタテガイの生産の大部分は養殖によってまかなわれている。しかし、養殖といっても人工的な餌を与えるわけではなく、天然の環境を利用して行われる。養殖用の稚貝(種苗)の生産は人工授精により行うことも可能である。しかし、人工採苗はコストと労力がかかるため、通常は天然採苗が行われる。定期的に海中の浮遊幼生の分布量を調査して、ある大きさの浮遊幼生の密度が一定の値に達すると、網袋を利用したコレクター(採苗器)が海中に投入される。幼生は網に足糸で付着するため、効率よく海中から種苗を採取することができる。

  コレクターによって得られた稚貝は、貝の成長に伴いより目合いの大きな籠へと分散させる。籠に収容することでひ弱な稚貝を捕食者から守り、死亡率を低下させることができる。このように人為的な管理により種苗の初期減耗を抑える過程は「中間育成」と呼ばれている。三〜五センチメートルの大きさにまで育成された稚貝は最終的な漁場へと移される。

  ホタテガイの増養殖は「地まき式」と「垂下式」に区分される。「地まき式」は文字通り海底上にまいて自然に育つのを待つ方式であり、天然貝と生育環境は同様である。「垂下式」は海面に養殖設備を組んで吊り下げる方式であり、籠にいれて吊す「カゴ式」と貝殻の耳の部分に孔を開けて吊す「耳吊り式」がある。一般に、カゴ式よりも耳吊り式の方が、一定の面積でより多くの貝を収容できるという利点がある。しかし、耳吊り式は孔を開ける手間がかかること、付着物が多くなる点では不利である。耳吊り式で育てられた貝は耳の部分に孔があり、本来は海底に接していて縞麗なはずの右殻に付着生物が付着するためすぐに特定できる。また、右殻に薄く褐色の色がついて、左右の殻の濃淡の差が弱くなる傾向が見られるが、これは海底に接することなく不自然な姿勢で育てられたことによる影響であろう。

  「地まき式」の養殖は漁場整備から始められる。まず、ホタテガイの天敵であるヒトデ類を桁網でさらい徹底的に駆除する。そして、ヒトデだけでなく、天然に存在するホタテガイも除去されるが、これはホタテガイの規格を統一するという意味がある。大小さまざまなホタテガイが混じっていては出荷の時に具合が悪いからである。そして、整備された海底に同一サイズの種苗が大量に放流される。ホタテガイは一時的には遊泳する能力があるが、放流地点からはほとんど移動しないらしく、資源管理は比較的容易である。放流した海域と同じ海域へ出向いて漁獲すればよいのである。

  オホーツク海では、地まきの「輪栽」が行われている。一つの漁場を四つに区分し、毎年放流する区画と漁獲する区画を交代させる方式である。それぞれの区画には一年貝、二年貝、三年貝、四年貝というように粒がそろったホタテガイが生息することになる。そして、常に四年貝を漁獲する。このサイクルを守っていれば、ホタテガイ資源が根絶やしになる心配はない。このような方法は海の広いオホーツク海ならではの方式である。

  ホタテガイの主な生産地はオホーツク海沿岸、噴火湾周辺、陸奥湾、三陸などである。養殖設備の設置しやすい産地では、海中を立体的に利用できる垂下式の養殖が行われている。オホーツク海沿岸では春に流氷が押し寄せるため海上に養殖設備が設置できないが、浅くなだらかな海底が延々と続くため地まき式には最適の場所である。このようにそれぞれの産地では、地の利を活かした養殖法が取り入れられている。

  ホタテガイは、一年で約二センチメートル、二年で約六センチメートル、三年で約九センチメートル、四年で約一一センチメートルに成長する。最大で殻高二〇センチメートルくらいになり、寿命は十年以上に到達すると予想されている。三年目には性的に成熟し、産卵する能力を持つ。

  一般に貝類の貝殻の表面には「年輪」のような模様(成長輪)があることがよく知られている。成長輪は成長が完全に停止するか、あるいは極端に成長が遅い時期に形成される。しかし、成長輪から真の年輪を正確に特定するためには注意を要する。ホタテガイの場合、基本的には冬季の低水温によって成長が滞り、成長輪が形成される(冬輪)。しかし、本来は寒いところに棲む貝であるため、夏の高水温によっても成長輪が形成されることがある(夏輪)。さらには、産卵後は成長が必ず停滞し、悪天候によっても一時的に成長が止まるため、さまざまな種類の障害輪が形成されることになる。また、地まき式の養殖の場合には放流によるストレスによっても障害輪が形成されることが知られている。このように年輪状の模様は季節的な環境変化と短期的な偶然の要因によっても形成されるため複雑である。さらに海域によっても水温変化のパターンが異なるため、成長輪のでき方は全国一律というわけではない。

  養殖の技術が確立するまではホタテガイは北日本の地味な食材の一つであった。しかし、現在では全国区の食品としてすっかり定着し、海外へも輸出されている。ホタテガイは生の殻付で売られていることも多く、ボイルされたむき身は缶詰にされたり、そのまま冷凍される。貝柱のみの乾燥品もあり、加工法は幅広い。また、加工後に排出される膨大な量の貝殻は、養殖カキの天然種苗を採取するためのコレクターとして有効に再利用されている。

  ホタテガイは北の海の豊かさを最大限に利用した有用資源であり、日本のホタテガイ産業の隆盛は世界に名高い。しかし、養殖という極度に単純化された食料生産の様式は、ある限度を越えると生態系のバランスを崩し、物質循環の経路をゆがめる環境破壊の一因となる。現在ホタテガイは適切な資源管理のもとに生産が維持されているが、将来にわたる資源の永続と、さらなる生産性の向上を目指して、地球環境とのバランスのとれた循環型の資源利用の実践が求められている。




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