21 写真は「イメージ」なのか、「モノ」なのか





 一般に、複製技術時代は19世紀の写真の誕生とともに始まったとされる。しかし、黎明期の写真は「モノ」としての存在を見る者に強く印象づける。この時代の写真はマス複製の技術的な可能性より、むしろ個々人が自分や周囲の者の肖像を身近なものとする私的所有のあり方を深くつながっていたことを示している。やがて「キャルト・ド・ヴィジット」(Carte de Visite)と通称される名刺判肖像写真へと発展して行く、これら初期の肖像写真はその版型そのものが近代産業時代における「個人」の存在のありようを示している。

「写真が現われたことで、全戦線において展示的価値が礼拝的価値を駆逐しはじめる。だが礼拝的価値は、無抵抗に退却するわけではない。それが構える最後の砦は、人間の顔である。肖像写真が初期の写真の中心に位置するのは、偶然ではない。はるかな恋人や個人を追憶するという礼拝的行為のなかに、映像の礼拝的価値は最後の避難所を見いだす。人間のつかのまの表情となって、初期の写真から、これを最後としてアウラが手招きする。だからこそ憂愁にみちた、比類を絶した美しさが、そこに生まれる」(ヴァルター・ベンヤミン、同上)。


——ダゲレオタイプ

 ヨウ素蒸気によって感光性の与えられた銀メッキ銅版を暗箱に入れて露光し、水銀蒸気に晒して現像する。近代の画期的な写真術は、その技術の公表者ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの名を取り「ダゲレオタイプ」と呼ばれるようになった。対象を再現する精度が、それ以前にあった複製技術と比較にならぬほど高く、複製技術時代はこれをもって始まった。


21d-1 撮影者未詳、四女性の肖像
ダゲレオタイプ(二分の一プレート)、縦11.3、横14.2、アメリカ、1850年頃、第2036番

21d-2 撮影者未詳、二重肖像(少年から青年へ)
ダゲレオタイプ(六分の一プレート)、総革装ケース入、縦9.5、横8.2、アメリカ、1852年頃と1858年頃、第3116番

21d-3 撮影者未詳、男性肖像
ダゲレオタイプ(六分の一プレート)、総革装ケース入、縦9.3、横8.0、アメリカ、1850年頃、第3117番

21d-4 撮影者未詳、銃のケースを抱える女性肖像
ダゲレオタイプ(六分の一プレート)、総革装ケース入、縦9.1、横7.9、アメリカ、1850年頃、第1067番

21d-5 撮影者未詳、銃のケースを抱える、手の不自由な若い女性肖像
ダゲレオタイプ(六分の一プレート)、総革装ケース入、縦9.1、横8.0、アメリカ、1850年頃、第1325番

21d-6 サイモンズ撮影、骸骨のある男性肖像
ダゲレオタイプ(四分の一プレート)、総革装ケース入、縦12.0、横9.2、アメリカ、1850年頃、第3148番


——ティンタイプ

 1852年7月フランス人アドルフ=アレクサンドル・マルタンによって考え出されたもので、薄い鉄ないし亜鉛の板に黒色エナメルを塗り、その上にコロジオン感光液を塗布して露光させる。すると黒い地色の上に白から灰色の階調のネガ像を固定することができる。紙ネガ法の流行した西洋では普及しなかったが、安価でしかも耐久性のあったことから、南北戦争時代のアメリカで大流行した。これらは金属を支持体とすることから、別に「フェロタイプ」とも呼ばれる。

21t-1 男子肖像
コロジオン湿板写真(ティンタイプ)、亜鉛板、ケース縦11.3、横8.0、撮影地未詳(ブタペスト?)、1860年頃


21t-2 米国男児像
コロジオン湿板写真(ティンタイプ)、亜鉛板、ケース縦11.8、横7.8、アメリカ、1860年頃

21t-3 米国男性肖像
コロジオン湿板写真(ティンタイプ)、亜鉛板、ケース縦10.2、横8.1、アメリカ、1860年頃


——アンブロタイプ

 コロジオン湿板法でガラス板に固定した白色ないし灰色のネガ像を黒布や黒紙の上で見るとポジ像が浮かび上がる。1851年にイギリスで考案され、明治初期の日本でも「湿板写真」「ガラス写し写真」などと呼ばれ、東京、大阪、神戸など各地の写真館で大流行した。京都では寺町通りの掘与兵衛の写真館が先駆けとなり、京都を訪れる人がお土産代わりの「写真」に自らの姿を留めた。


21a-1 撮影者未詳、男子像
コロジオン湿版写真(アンブロタイプ)、ガラス板、革貼り箱入り、箱縦11.6、横9.2

21a-2 堀与兵衛撮影、「久川直次郎」肖像
コロジオン湿板写真(アンブロタイプ)、ガラス板、桐箱入り、箱縦10.6、横7.7、1879年(明治11年)、西京・寺町・仏光寺・南・写真師「掘」の印、「写真、明治十一年一月写之、久川直次郎、当十六歳」の箱書

21a-3 堀与兵衛撮影、「久川利賢」肖像
コロジオン湿板写真(アンブロタイプ)、ガラス板、桐箱入り、箱縦10.6、横7.7、1879年(明治11年)、西京・寺町・仏光寺・南・写真師「掘」の印、「当時四十三歳七ヶ月、久川利賢、明治十一年寅年一月写真、紀元二千五百三十八年一月二十三日識、服間仲綿入羽織、袴馬乗白小倉嶋、足洋沓依履見上兼ル、西洋織首巻」の箱書

21a-4 堀与兵衛撮影、「友三郎」肖像
コロジオン湿板写真(アンブロタイプ)、ガラス板、桐箱入り、箱縦12.4、横9.5、1879年(明治11年)頃、「友三郎、当時二十三歳春写之、寺町通仏光寺入ル、堀写真師」の箱書、京都寺町掘写真館

21a-5 堀与兵衛撮影、男子肖像

コロジオン湿板写真(アンブロタイプ)、ガラス板、桐箱入り、箱縦11.0、横8.1、1879年(明治11年)頃、西京・寺町・仏光寺・南・写真師「掘」の印



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