19 複製技術時代の始まり





 西洋で15世紀に始まった「版画」は、様々な技法こそ存在したものの、長らく複製メディアとしての特権的な地位を保ち続けた。しかし、19世紀前半に始まる写真の台頭とともに、複製技術としての地位を追われ、芸術的な創造にその活路を求めるようになる。初期の写真家が複製再現の対象に選んだのは、絵画そのものでなく、複製物として存在する版画であった。いまだ石版画のような大画面を実現するまでには至らなかったが、複製版画を再現してみせる写真の存在は、オリジナル/コピーの二項対立図式が複製技術時代の始まりからして、不毛な仮説であったことを黙示している。


19-1 ブールジョワ画、ロガ刻、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の「使徒聖ヨハネ頭部」
版画による複製、オリジナル石版画(試刷り)、縦39.2、横30.3、紙寸縦44.1、横32.2、フランス、19世紀中葉

 18世紀末にオーストリア人ゼーネフェルダーが考案した石版画は、19世紀後半を「複製技術時代」へと導く原動力となった。マス・プロダクションを可能とするこの複製技術は、やがて多色刷りをも可能とし、有名・無名のイメージを19世紀都市社会のなかへ流布させて行く。「石版画をもって、複製技術は根本的に新しい段階に到達した。絵画を石の面に写し出す作業は、木片に刻み込んだり銅板を腐食させたりする作業とは違って、はるかに簡潔で的確だから、石版こそが、たんに版画を(それまでと同様に)大量に市場に出すだけにはとどまらず、日毎に新たな画面を市場に出すことをも、初めて可能にしたのである。石版画によって版画は、日々のできごとを絵画化する能力をもつこととなり、活版印刷と歩調を合わせはじめた。といっても、始まったばかりの石版画は、その発明から数十年とたたないうちに、写真に追い越されてしまうことになる」(ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』、野村修訳、岩波現代文庫、2000年)。


19-2 撮影者未詳、ラファエッロの『小椅子の聖母』の銅版画
写真による複製、オリジナル鶏卵紙印画、直径10.5、イギリス、1850年代末

 誕生して間のない写真技術が名画複製の道具とされていたこと、しかも被写体が名画そのものでなく名画の複製版画であったことは、はなはだ興味深い。ここには複製の複製の複製の・・・・・・というコピーの入れ子図式の始まりがすでにあり、オリジナルとコピーの二項対立が失効しているからである。なお、日本での写真の創始者の一人と目される島霞谷の写真帖のなかにも、この複製写真が貼り込まれている。


19-3 イニシャル〈R/I〉の写真家、ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂天井画」の「巫女頭部」
写真による複製、オリジナル・ゼラチン・シルヴァー・プリント、縦41.7、横29.3、イタリア、1930年代

 複製技術としての写真の長所は、被写体を自由自在に枠取れること、拡大縮小を自由に行えることにある。大きな壁画の一部を切り取ってみせることで、全体の俯瞰的な視野からは捉えきれない細部にも、また別な美の宿りのあることを実証する。モノの大きさの限界や、空間的・時間的な隔ての障壁を超えることができる、それが写真すなわち技術による複製の特性なのである。



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