フィラテリーにおける偽造・模造・変造


内藤陽介 大学院人文社会系研究科・郵便学



 いうまでもないことだが、切手は郵便料金前納の証紙として発行される有価証券である。したがって、その偽造は、第一義的には通貨や株券、小切手などの場合と同様に解釈されることになるのだろう。

 しかし、その一方で、切手には、コレクションの対象として、有価証券としての額面や有効性とは別に、マーケットに流通する上での価値が付与されている。この場合、収集家を対象にマーケット・プライスを釣り上げるために行われる偽造(変造・模造なども含む)は、本質的に、偽札よりも美術品の贋作に近いものとなる。

 本稿では、以下、これら両者の「偽造」の中からいくつかの類型を紹介することで、「真贋のはざま」という課題を、フィラテリー[1]の視点から考えてみようとするものである。


有価証券としての切手の偽造


菊切手偽造事件


 郵便料金前納の証紙としての切手を偽造し、それにより、郵便料金分の現金を詐取しようとする輩が現れるであろうことは、近代郵便制度の発足時から想定されていた[2]。もっとも、紙幣と比べた場合、切手の額面は往々にして低額であるから、偽造コストの割には得られる利益が少ない。それゆえ、郵便使用を目的とした切手偽造事件は、偽札事件と比べると、はるかに発生件数は少ない。

 わが国の場合、こうした郵便使用を想定した切手の偽造事件としては、1913(大正2)年に発生した「菊切手偽造事件」がその代表的な事例ということになろう。

 菊切手とは、1899(明治32)年から使用されていた通常切手で、印面中央に菊花紋章が大きく描かれていることからこの名で呼ばれている。

 さて、菊切手の偽造事件は、1913年9月、横浜元町郵便局の局員が書留郵便用に貼付されていた10銭切手の異常に気づいたことで発覚。調査の結果、主犯格の人物のほか、切手売捌総代人、共犯の写真師、印刷業者が逮捕され、額面にして約1万円分の10銭および20銭の偽造切手[図1]が押収されて事件は早々に決着した。

図1 郵便使用を目的とした偽造(10銭および20銭の偽造切手)

 事件が早期に解決されたため、この偽造切手はほとんど世間に出回ることはなく、現在、10銭切手が5枚(使用済のみ)、20銭切手が8点(未使用3点、使用済5点)が確認されているのみである。

 なお、切手偽造事件の発覚後、偽造切手の実物を入手したトレイシー・ウッドワード(当時、神戸在住で日本切手の大収集家として知られていた)は、偽造切手を自分宛の書留郵便物(在上海の日本郵便局留置)に貼って郵便物を差し出している。偽造切手の使用例としては、このウッドワード差出の封筒が現存する唯一のものとされている。

 ウッドワードが偽造切手を貼った書留をわざわざ差し出しているのは、彼が、偽造切手の行使により郵便料金を詐取しようとしたためではなく、偽造切手とその使用例が収集対象として価値をもつものであると考えたからである。

 フィラテリーの世界においては、郵便使用を想定してつくられた偽造切手は、(その所持が合法か非合法かという問題は別として)正当な収集対象とみなされている。特に、郵便史研究においては、切手の偽造事件はその国の郵便史上の重要事件として注目されるのが一般的で、偽造切手の郵便使用例は、真正品の使用例に比べてはるかに資料的価値が高いものとされている。

 ウッドワードの行為も、こうした文脈に沿ってなされたものであり、有価証券としての切手と収集対象としての切手が、本質的に別次元のものとなっていることを象徴的に示しているといってよいだろう。

 ちなみに、現在の『日本切手専門カタログ(以下、日専)』によると、件の偽造切手の使用済の評価額は10銭・20銭ともに40万円となっているが、真正の使用済切手の評価額は双方ともに50円[3]となっている。


国家による切手の偽造


 戦時において、敵国の経済を混乱させる目的で、国家が通貨を偽造する例があることは広く知られている。

 国家の発行する有価証券である切手の場合にも、同様の文脈で敵国の切手を偽造して散布するという事例が見受けられる。いわゆる謀略切手である。

 謀略切手のルーツは第一次世界大戦にまでさかのぼることができるが、そのピークは第二次世界大戦期の欧州戦線である。

 今回の展示では、第二次世界大戦末期、アメリカが作成し散布したドイツ切手の偽造品[口絵24-2]を紹介している。実物と並べて比較してみると、印刷の版式や目打ちのピッチなどが異なっていることが識別できるが、偽造品のみを見せられた場合には素人目には識別は困難と思われる。

口絵24-2

 こうした謀略活動の一環として作成された偽造切手が、経済の撹乱という点で、はたして偽札ほどの効果を挙げたか否かは大いに疑問だが、行政に対する国民の信頼性を低下させ、戦意に水をかけるという点では一定の効果をもたらしたのではないかと思われる。

 なお、謀略切手の中には、郵便使用を想定して偽造されたと思われるもののほか、政治宣伝の一環として作成されたものも少なからず存在している。

 たとえば、図2は、1943年のテヘラン会談を皮肉ってナチス・ドイツが作成したパロディ切手で、その元になったのは1937年にイギリスで発行されたジョージ六世の戴冠式記念の切手である。

図2 ナチス・ドイツが作成したパロディ切手

 オリジナルの切手の王妃エリザベスがスターリンに取り替えられているほか、パロディ版では左右の上部にダビデの星が描かれている。また、印面上部の“POSTAGE REVENUE”は“SSSR BRITANIA”に、印面下部の“12 MAY 1937”は“TEHERAN 28.11.43”に、それぞれ取り替えられ、王冠には槌と鎌が配されている。さらに、パロディ版では、中央の飾り文字はSSSRとなっており、右端には鳥に変わってソ連の国章が入れられている。

 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツはこうしたパロディ切手を少なからず発行し、イギリスやソ連を痛烈に皮肉っている。こうしたパロディ「切手」は、実際には郵便に使用することができないラベルのようなものだが、プロパガンダ活動の一環として国家が切手を元に「偽造」したものとして、フィラテリーの世界においては、“forgery”の分野に含まれるものとして、切手に準じるものとして扱われている。


収集対象としての偽造・変造・模造


切手本体の偽造と模造


 さて、収集対象としての切手に関しては、早くから、ニセモノがつくられてきた。

 初期の時代のニセモノは、外国人観光客などを対象とした安価な土産物として作られたものや、海外向けの輸出用につくられた参考品が主流で、本物の切手を見慣れた人物の目には用意に識別できる水準のものであった。[口絵25-1]

口絵25-1

 これに対して、フィラテリーが次第に発展してくると、収集家の懐をねらった精巧な偽造品(ないしは模造品)もつくられるようになる。

 特に、戦争や革命などの非常事態下で暫定的に発行・使用された切手の類には、マーケットで効果に取引されている割には、印刷やデザインが素朴なものが多いため、精巧な偽造品が数多く流通し、収集家や研究者を悩ませている。

 こうした偽造品とは別に、「模造品」とも言うべきグループも存在する。その代表的な存在が、稀代の天才「切手模造家」、ジャン・ド・スペラッティ(1884—1957年)の手になる作品群[図3]である。

図3 ジャン・ド・スペラティの作品

 スペラッティは、1884年に中部イタリアのピストイアに生れた。生来、模写の際にすぐれていたとされ、化学や写真術にも造詣が深かった彼は、兄の一人が切手商を生業としていたこともあって、切手収集にも関心をもち、切手の模造に手を染めるようになったといわれている。

 スペラッティによる切手の模造は、1942年、彼の作品がフランス税関によって摘発されたことによって明るみにでた。

 すなわち、その精巧な出来栄えから、彼の「作品」を高価な真正品と解釈した税関側が、これに課税しようとしたところ、スペラッティはこれが自らの作った模造品であることを主張。裁判の過程で、彼の「作品」は真正品との鑑定が何度か下される。これに対して彼は模造を証明するため摘発を受けたものと同じ切手を再度模造し、これを提出。結局、1948年になって、彼の「作品」がきわめて精巧な模造品であることが法廷においても認められることになった。

 スペラッティは生涯に350点を超える「作品」群を残したが、これらは、1954年、今後新たな作品を作らないとの条件で、英国郵趣協会によって引き取られている。

 彼の作品は、模造する切手と同時代の切手用紙を調達[4]した上で、切手デザインや刷色を精巧に模写し、さらに、必要であれば、本物そっくりの消印をも押印するというもので、模造品としての完成度はきわめて高い。

 このため、スペラッティの作品は、いわゆる贋造品を制作・販売するという点ではコストがかかりすぎ、採算という点からは割に合わないものであったとも言われている。こうしたことから、彼の作品は、通常の切手偽造とは一線を画すものとみなされ、現在では、収集家のマーケットにおいて、それなりの高額で取引されている。

 スペラッティの場合、彼が模造の対象とした切手は、主として19世紀の西欧を中心とした地域で発行された精巧な出来栄えのものであり、それゆえ、彼は、自らの行為を偽造ではなく、切手という美術品の複製(模造)であると主張しえたといえよう。

 ところで、スペラッティによる模造品の制作は、あくまでも、彼個人の作業として行われていたのだが、切手の発行者である国家ぐるみで模造品を作るという事例もある。

 そうした国家による大掛かりな「模造」の例としては、例えば、1950年代の中国や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の再版切手[口絵24-4、5]を挙げることができる。

口絵24-4
口絵24-5

 一般論としていえば、日常的に郵便局で発売されている通常切手は別として、記念・特殊切手の場合、当初の発行枚数が売り切れれば増刷されることはきわめて稀である。しかし、1950年代の中国や北朝鮮の場合、海外の切手収集家の要望に応えるため(すなわち、外貨を獲得するため)との理由から、後日、在庫切れとなった記念・特殊切手の「再版」(reprint)を行い、販売したことがある。

 厳密に言うなら、フィラテリーの世界で「再版」という場合、通常は、元の印刷原版を用いて、後日、改めて印刷したものを指している。しかし、この時期の中国や北朝鮮の「再販」切手の場合は、オリジナルの原版を用いているのではなく、元の切手の図案を再現し、改めて版を作り直したもので、こうしたものは「官製模造」として本来の再版切手とは区別される。ただし、中国や北朝鮮の切手の場合は、慣例により、オリジナルの切手を「初版」、後に製造されたものを「再版」と呼んでいる。

 彼らの製造した「再版」切手は、多くの場合、例えば、「北朝鮮切手100種」とか「同200種」といった袋詰にされ海外に輸出されており、切手本来の目的どおりに郵便に使用される例は稀である。


変造される使用例


 収集対象としての切手やその使用例に関して、偽造以上に厄介で頻繁に生じるのが「変造」である。

 これは、上述のように、切手本体を偽造(ないしは模造)するということは現実の問題として相当に困難をともなうので、既存のマテリアルに手を加えてより市価の高いものを作り出し、その「付加価値」の部分を収集家から詐取しようとするものである。

 例えば、加刷(既存の切手の上に文字や金額などを新たに印刷すること)が施されたことによって、台切手よりもはるかに高額で取引されるようになる場合には、安価な台切手にニセの加刷が施されることがあるし、使用例が稀少な切手の場合には、郵便印の偽造などによりニセの使用例を作成するというケースもある[口絵25-3]。

口絵25-3

 特に、使用例の場合、切手・消印ともに真正のものを使っていても、現実には後になって作られた変造品というものがあるので厄介である。

 こうした変造品の例としては、日本占領下の香港での日本切手の使用例を変造したルース・カバーの事例を紹介しておこう。

 第二次世界大戦中、日本軍の直轄植民地とされた香港では、日本本土と同じ切手が使用されていた。こうした使用例は、日本切手の収集家にとって興味深い収集対象として人気があり、通常の国内使用例に比べて高値で取引されていた。

 こうした背景の下、1956(昭和31)年、突如として日本切手の香港での使用例が大量に日本・イギリス・香港のマーケットに出現する。

 このとき出現した使用例の多くは、航空便用の封筒に日本切手が貼られたもので、宛名の大半は“Mr. H. da Luz, 64, Macdonnell Road, Hong Kong”となっていたことから、名宛人である切手商の名を取ってルース・カバーと呼ばれている。

 ルース・カバーの真偽については、その出現当初からさまざまな議論があったが、今日では、戦後、香港に残された大量の日本切手を戦後のインフレにより安価に手に入れたルースが、何らかの手段を使って入手した真正の消印を用いて日本占領時代の封筒に見せかけて変造したものということで概ね決着している。

 口絵[25-3]にあげた封筒は、そうしたルース・カバーの一例で、1944(昭和19)年に発行されたはずの東郷平八郎の7銭切手に1943(昭和18)年の消印が押されており、変造品であることが一目瞭然となっている。

 このように、個々のパーツはいずれも真正のものでありながら、総体としてはニセモノという例は、フィラテリーの世界ではけっして少なくない。稀少な使用例で切手も消印も真正だからといって飛びつくと、火傷をしかねないということの好例といえよう。

 なお、ルース・カバーが、終戦直後に登場したのではなく、日本の高度成長期が開幕しつつあった1956年に出現したという点にも注目しておきたい。

 ニセモノをつくって一儲けをたくらむ連中にとっては、商品としてのニセモノを買い取ってくれそうな顧客の懐具合は、きわめて重要な問題なのである。


むすびにかえて


 以上、本稿では、フィラテリーにおける偽造・模造・変造に関して、その代表的な例を紹介してきたが、切手を有価証券として見るのか、それとも、収集対象として見るのか、というスタンスの相違により、その意味づけも異なってくることがおわかりいただけたものと思う。

 もちろん、フィラテリーに関する偽造・模造・変造の問題については、本稿で触れた以外にもさまざまな議論があるのだが、最後にひとつだけ、日本における切手の「真偽」の判断について、簡単に触れていくことにしたい。

 従来、日本では切手やその使用例の真偽について、主として勘と経験に依拠した鑑定がなされてきた。しかし、こうした鑑定方法に頼っているだけでは、やはり限界があるし、日本社会全体が説明責任の重要性を認識しつつある現状を考えると、社会的には説得力に乏しいものとみなされかねない。

 真偽の鑑定には一定の経験的蓄積が必要なことはいうまでもないが、今後は、その説明に説得力を付与していくための努力が求められることになろう。

 こうした現状を改善するため、(財)「切手の博物館」では、2001(平成13)年度から、日本および関連地域の郵便史料についての鑑定サービスを開始したのは喜ばしいことであり、その試みには大いに期待したいと考えている。



【註】

[1]フィラテリー(Philately)とは、切手をはじめとする郵便資料(切手の使用例としての封筒・葉書類や消印など)の収集・研究の総体を指す用語。日本語では「郵趣」と訳されることが多い。ただし、この訳語が定着してしまった結果、日本ではフィラテリーが「趣味の切手収集」と同義語として扱われることが多くなり、フィラテリーの社会性が著しく制限されることとなったといううらみがある。それゆえ、筆者は、各種の郵便資料から国家や社会、時代や地域のあり方を再構成しようとする知的生産活動(これも本来はフィラテリーの一部に含まれる)に関しては、通常、「郵便学」という表現を用いている。ただし、「郵趣」であれ「郵便学」であれ、その対象として扱っている郵便資料は、基本的には共通のものであるから、本稿の場合には、両者を包摂する大概念として、以下、フィラテリーという語をあえて和訳することなくそのまま用いるものとする。[本文へ戻る]

[2]1840年にイギリスで世界最初の切手が発行された際、その図案にはヴィクトリア女王の肖像が取り上げられたが、これは、偽造防止という観点から採用されたプランであるとされている。[本文へ戻る]

[3]最もありふれた使用済切手に対する評価額で、たとえば、珍しい消印が押されたものや、印刷の色調や目打のピッチなど、切手として希少なバラエティとみなされたものに対しては、より高額な評価づけがなされることもある。ただし、件の10銭切手と20銭切手に関しては、真正の切手のなかに偽造切手より高い評価を受けるようなものはまず存在しないと考えてよい。[本文へ戻る]

[4]模造対象の切手と同時代の切手のシートの耳紙部分をそようしたり、より安価な切手の印面を拭い去って利用したりしたと伝えられている。[本文へ戻る]

【文献】

天野安治「菊一〇銭、二〇銭——郵便使用目的の偽造品」『日本フィラテリー』、1986年10月号。
魚木五夫「スペラティ」『郵趣』、1966年3〜5月号。
魚木五夫「菊切手偽造事件裁判の判決書から」『郵趣』、1988年2月号。
中国切手研究会「香港——ラズカバー特集」『中国郵便史研究』、1995年6月号。
土屋正義『南方占領地切手のすべて』(上・下)、(財)日本郵趣協会、1999年。
内藤陽介『切手が語る香港の歴史——スタンプ・メディアと植民地』社会評論社、1997年。
内藤陽介『北朝鮮事典——切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国』竹内書店新社、2001年。
(財)日本郵趣協会『菊切手の時代』(財)日本郵趣協会、1999年。
(財)日本郵趣協会カタログ委員会(企画・構成)『日本切手専門カタログ2002年版』日本郵趣出版、2001年。
松本純一『郵便史コレクションの作り方——その構成と展示の実際』日本郵趣出版、1990年。
無署名「永遠に尽きぬ欲望……、偽造/模造」『郵趣』、1996年6月号、25—30頁。




前頁へ   |   表紙に戻る   |   次頁へ