百工比照

—江戸時代のタイムカプセル—

本谷 文雄




はじめに

 「百工比照」と書いて「ひゃっこうひしょう」と読む。百工とは諸種の工芸、ないしは工匠の意味であり、比照とは比較対照するという意味である。現在、前田育徳会が所蔵し、昭和五〇(一九七五)年に一括して重要文化財に指定された。

 百工比照は、加賀五代藩主前田綱紀が収集し、自ら名付けた工芸各分野にわたる集大成で、一部の資料に産地や呼称などが記され、きちんと整理分類されている点に大きな特色がある。保管は材質・用途・形態別に一一の箱と付属の二つの箱に納まっているが、釘や真珠などは和紙に一括して包まれており、正確な総点数すら数えることが難しい。ただ数え方にもよるが、二千点以上の数になるという。

 「どんなものでも数が揃えば時代が見える」「時代を経て淘汰されると価値がでる」このことを百工比照は我々に見事に教えてくれ、まさに工芸見本のタイムカプセルである。百工比照には、釘隠や擬宝珠のように七宝や象眼が施されて単独でも鑑賞に耐え得る実物資料も含まれるが、紙類のように単独ではそれほど価値のないものが大部分を占める。しかし、それらが集合した時には大きな広がりとなり、工芸見本を通して時代を映すことができるのである。

 江戸時代、多くの大名は茶道具などの書画骨董を収集したが、前田綱紀は誰もが収集の対象にしなかった工芸見本に着目したのである。筆者は「コレクションは人なり」と考えている。なぜなら、コレクションには集めた人の性格が如実に反映されるからである。そこで、百工比照について語る前に、コレクターである前田綱紀とはどんな人物であるかを繙いてみよう。


前田綱紀の人となり

 前田綱紀は、四代藩主前田光高(一六一五〜四五)の長男として寛永二〇(一六四三)年に生まれ、享保九(一七二四)年に没する。八二歳という長命であり、父の急逝により、わずか三歳で家督を継ぎ、実に七九年という長きにわたって藩主の地位にあった。彼は三代藩主前田利常(一五九三〜一六五八)に養育され、正室が会津藩主保科正之の四女摩須子であるという関係から保科正之が後見人となっている。

 前田綱紀は茶人であった祖父前田利常と違って、書画骨董の収集よりも学術的・資料的価値のある図書収集に目を向けた。幼年より書を読み、四書五経を暗記するほどで「毎夜深更迄書籍ヲ御覧候」ほどの読書家あった。と同時に、学者としても『四書私考艸書稿』など実に一二二部もの著作を残し、室鳩巣に「綱紀ほど博学な大名はいない」とまで言わせている。ちなみに叔父が『大日本史』の編纂で有名な水戸光圀というのも頷ける。

 前田綱紀の著作『桑華字苑』は、日本と中国の文字や書物に関する雑記帳で、これを座右に置いて徒然なるままに諸々のことを絵や拓本入りで記入している。また、書物の情報・調査などについての雑記帳『桑華書志』は、求遺書・家蔵書・見聞書の三冊からなり、ことあるごとに細々とした記入がみられる。これらの著述から彼が理路整然とした几帳面な性格であると同時に、記録魔・整理魔であったことがよくわかる。この性格ゆえに「百工比照」が生まれたのである。

 前田綱紀は木下順庵・室鳩巣・稲若水・五十嵐道甫など多くの学者や名工を招き、彼らを利用して殖産興業や芸術振興を図り、塩や絹織物などの各種の産物育成や加賀藩細工所の運営にも尽力している。


百工比照の内訳

 内訳は以下のとおりである。

 第一号箱

第一架 紙類/第二架 張付唐紙類/第三架 張付唐紙類/第四架 表紙類/第五架 外題紙類/第六架 金色類/第七架 木之類/第八架 木之類/第九架 蒔絵梨子地塗色類/第一〇架 色漆類/第一一架 革類/第一二架 織物類/第一三架 小紋類/第一四架 打糸類/第一五架 竹類/

 第二号箱

第一架 羽織類絵図/第二架 旗指物類絵図/第三架 甲胄籠手佩楯類絵図/第四架 武器注文書/第五架 馬具類絵図/第六架 作紋類絵図/第七架 巻物軸象牙籤等/第八架 鐶金具類絵図/第九架 諸色類絵図/第一〇架 空函/第一一架 空函/第一二架 空函/第一三架 染色類/第一四架 塗色類/


図1 「百工比照」第2号箱
「百工比照」と書かれた札が貼られた蓋をあけると、中に14の箱(架)が納まる。財団法人前田育英会蔵。

 第三号箱

第一架 金具類(高欄・長持等金具・鐶・鵄目類)/第二架 金具類(箱蓋金具・釘隠類)/第三架 金具類(戸金具・引手釘隠類)/第四架 金具類(引手・掛金具・擬宝珠・つまみ類)/第五架 金具類(棚金具類)/第六架 金具類(釘隠・棚引手・つまみ類)/第七架 金具類(釘隠・引手・取手類)/第八架 金具類(釘隠・引手・擬宝珠類)/第九架 金具類(棚金具・引手・釘隠類)/第一〇架 金具類(箱蓋金具・戸金具・釘隠類)

 第四号箱

右第一抽斗 手鑑七宝流金具/右第二抽斗 本朝禮書箱金具/右第三抽斗 金具牙籖等 右第四抽斗 錠鍵/右第五抽斗 金無垢金具等/右第六抽斗 彫金置文及押金/右第七抽斗 金具及鎖/左第一抽斗 屏風及長持金具/左第二抽斗 緒留根付/左第三抽斗 金具及鐶/左第四抽斗 琥珀及眞珠/左第五抽斗 根付及軸等/左第六抽斗 金具及軸/左第七抽斗 鐶及軸等/

 第五号箱

第一抽斗 釘隠・引手(寿帯鳥・瓢箪形釘隠等)/第二抽斗 釘隠・引手(寿帯鳥・釣瓶形釘隠等)/第三抽斗 釘隠・引手(寿帯鳥・釣瓶形釘隠等)/第四抽斗 釘隠・引手(寿帯鳥・釣瓶形釘隠等)/第五抽斗 釘隠(丸形双寿帯鳥釘隠)/

 第六号箱

第一抽斗〜第一一抽斗 七宝鳥籠釘隠/第一二抽斗〜第一四抽斗 七宝虫籠釘隠/第一五抽斗〜第二〇抽斗 七宝花籠釘隠/

 第七号箱

第一抽斗 金具鐶鋲/第二抽斗 釘隠・引手/第三抽斗 引手・揚巻/第四抽斗 引手・釘隠/第五抽斗 釘隠等/第六抽斗 状箱金具/第七抽斗 鐶類/

 第八号箱

第一架 擬宝珠/第二架 螺鈿密陀絵脚/第一抽斗 黒柿玉装板/第二抽斗 雑品/第三抽斗 引手釘隠/第四抽斗 包紙・竹字指/

 第九号箱 製本模型・焼印/

 第一〇号箱 百工比照参考書・建築調度絵図/

 第一一号箱 模製軸・革・裂類/

 付属 第一号箱 金具・金具模型・塗板片等/

 付属 第二号箱 錠金具/


百工比照を点検する

 まず、材質は紙・漆・木・革・染織・竹・金属などであるが、珍しい所では真珠・瑪瑙・琥珀・象牙・青貝・水牛角なども含まれている。ただし、陶磁器は四号箱左五抽斗「青磁菊形根付」や八号箱三抽斗「白磁釘隠」などがあるのみで極めて少ない。

 次に、産地は我が国のものが殆どであるが、中には紫檀・黒檀のように外国産の木材も含まれる。また、数は少ないが後藤勘兵衛作「九龍彫透鞍文」や清水柳景作「寿鶴蒔絵緒留」のように作者のわかる資料も含まれる。

 それでは、箱や素材ごとに簡単に中身を点検してみよう。

 まず、一号箱一架「紙類」は、大きさをほぼ統一して、右横に産地と呼称を墨書した紙札を貼付する。産地だけでも加州・越中・能州・山城・吉野・摂津・甲斐・甲州・伊豆・武州・常陸・美濃・上野・下野・奥州・越前・筑後・丹後・播磨・備中・伊予・土佐・大和・武蔵・三州・長門・羽州などの国名が見え、中には常陸水戸や常陸大田など、産地をさらに特定した紙もある。配列は加州・越中・能州など加賀藩領域が最初で、以下、国別に並べられる。

 同二架「張付唐紙類」裏面二面には「微妙院様於大津被 仰付古筆御屏風裏形之写」の墨書札があり、実物が入手できない場合は正確に写していることがわかる。

 同九架と一〇架の漆工見本は、特に見ごたえがある。九架「蒔絵梨子地塗色類」では表面に八列五段ないし三段に小板を貼った面が六面あり、右側に蒔絵名を書き、蒔絵粉の名称や蒔き方の状態が一目瞭然にわかるように工夫されている。例えば、二面には「やき金中平めこい梨地一・同二・同三・同小三・同さき」と蒔絵銘が記されるが、銘を小板と比照しながら読むと「やき金」は精練法による純度の高い金、「中平め」とは蒔絵粉の製法名・形状、「梨地」とは蒔き方、「同一・同二・同三・同小三・同さき」と、上から下にむかって蒔絵粉が細かくなっていることが分かる。また、右から左に「やき金中平め」粉を、「こい・中・うす」というように蒔き分けている。

 同一〇架「色漆類」は、変塗の見本で六列三段五重からなり、総数一五〇種にも及ぶ小板が貼られる。既に途絶えた塗りや、再現不可能な塗りも含まれ貴重である(1)

 同第七・八架「木之類」は、総数二〇一枚の木片からなり、こくたん・せんたん・したん・たかやさん・かし・くすなど様々な種類の木を板目・正目で分け、中には白板・砂磨・うづら目・細目などの名も見える。

 金工は、一号箱の一部と、三号箱から七号箱に及び、質・量とも最も充実している。一号箱六架「金色類」は、金・銀などの著色金属板を四段六列に並べたものである。

 三号箱は「小松葭嶋寺作御書院」「小松遠州座敷」「江戸遠州御座敷」「江戸寺作御書院」「江戸御成書院」の加賀藩関係の建築金具である。実際に使われていた金具を解体時に外したもので、札紙墨書により使用された場所もわかる。建物が残っていない今となっては、この金具によって当時の絢爛豪華な雰囲気を偲ぶしかない。

 四号箱は金工品を主体に珊瑚緒留や琥珀念珠などが納まる。

 五号箱は「小松葭嶋遠州御座敷二階」などの貼札から、小松城に使用されていたと推定される釘隠三一個と引手二個が納まる。

 六号箱の合計二〇枚に及ぶ釘隠は、鳥籠・虫籠・花籠の意匠に七宝を施した豪華なもので特に圧巻である。色彩の鮮やかさもさることながら、鳥・孔雀・蝉・蝶・蟷螂・牡丹・水仙・菊・桔梗・女郎花・百合など意匠の種類も多い。


図2 「百工比照」第3号箱第6架第1重釘隠引手等金具
木板にくぼみを設け、釘隠や引手を納め、1点1点に紙札が貼られる。右下に「江戸御下屋敷大御書院…」の記載がみえる。財団法人前田育英会蔵。

 染織では、一号箱一二架「織物類」・一三架「小紋類」・一四架「打糸類」などがあり、実物の横に呼称を書いた墨書札が貼られる。箱に納まっていたために状態も良く、褪色があまりみられない。

 二号箱一架の「羽織類」は、実物を縮小して正確に写し取った絵図を台紙に貼り、「日根野氏」「細川三斎」「津田道慶」「島野専甫」などの所有者名を記している。前田綱紀は入手困難な貴重本については、正確に写しとっており、この姿勢が百工比照にも活かされていることがわかる。

 一号箱一一架「革類」は、「うつらまき」「しやうぶかわ」など染め方の異なる染革が四八枚(一枚欠)貼られ、一一号箱にも「正平革」などが追加されている。

 以上、百工比照は実物資料、羽織類や「旗指物類絵図」など実物を写したもの、作紋類などの図案、釘隠のような実物資料、製本模型や模製軸や木製屏風金具模型などの模造品、「甲胄籠手佩楯類注文」のような文書、「釘隠之冩」などの冊子が含まれる。

 全体を通して、材質もさることながら、色合いや文様も重視され見事なデザインが多く、意匠にも重点が置かれていることがわかる。

 ともかく、百工比照は鑑賞目的でもなく、後世に残すためでもない。おそらく殖産興業も視野に入れ、更には加賀藩細工所の教材としての目的もあったと考えたい(2)

 紙面の関係から走り書きの説明になってしまったが、詳細は参考文献をご覧いただきたい。なお、百工比照の中には実際に残された工芸品と文様の一致するものが含まれる。例えば、一号箱九架裏面第六面「きんま塗」の鳳凰の図柄は、前田育徳会所蔵の「祖武雙璧軸箱」と同じである。


成立の背景

 前田綱紀が図書収集家であることは既に述べた。彼が図書収集と編纂事業の備忘のために座右においたとされる「燕間総目屏風」(現状軸装・前田育徳会所蔵)には「百工比照」の文字が見え、図書収集と編纂の一環として百工比照を考えていたことがわかる。また、図書目録である『手輯書目』には、漢籍の分類に従って経・史・子・集の四類に分けて「史類 食貨 百工比照」とみえ、成立を考える上で参考になる。

 『改作所舊記 巻六』の延宝六(一六七八)年の項目に、興味深い文書があるので、少し長くなるが紹介する(3)

 「御分國中於所々漉申紙品々、於江戸御尋に付、吉田逸角・由比新五郎方より當會所へ申來候。就夫紙漉申所々より、紙四五枚宛可上之由に候。然ども江戸に有合申紙、御國御土藏に有之紙之分指除、御覺書に名有之、當地御土藏に無之、御本紙上り不申候分、別紙書付遣候之條、此内支配之所々におゐて、漉申もの有之候はゞ、四五枚宛早々爲上可申候。一、二俣に而内曇・杉原も仕候様に由來候。是又御本紙持參樣可申渡候。
一、目録之紙名違仕も有之哉、又昔者有之唯今は無之紙も候哉、是も念を入承届尤に候。
一、薄墨などの樣成紙者、御本紙不及上候へ共、杉原之分に而候はゞ、不殘可指越由に候。
 一、右御急之御用に候之條、油斷仕間敷候。今日於御算用場申渡候へ共、爲念重而申觸候。
以上。
 
午二月廿日 
林十左衛門
 
 
木梨助三郎
 
三郡十村中
 
御覺書名有之當地御土藏に無之御本紙上り不申分
一、がんぴ紙 一、のし紙 一、市原役中折
一、はしおさす 一、相瀧紙 一、朱染寺紙
右市原役中折・はしおさす・相瀧紙之儀も、殘三色之分支配内すき申もの候はゞ、御本紙爲上可申候。以上。」とあり、この文書により、加賀藩の紙類収集の様子がわかる。


成立時期 造器寶鑑と百工比照

 百工比照に納まる文書は成立時期を考える上で重要である。それでは、年代順にみてみよう。

一〇号箱/釘隠の冩/天和三(一六八三)年

一一号箱/模製軸/貞享元(一六八四)年

二号箱七架/象牙巻物籤/貞享乙丑(一六八五)年 「百工比照」札

一〇号箱/江戸上屋敷等絵図/貞享五(一六八八)年

四号箱右四抽斗/錠/元禄二(一六八九)年

四号箱右五抽斗/鐶/元禄乙亥(一六九五)年

四号箱左三抽斗/棚金具/元禄九(一六九六)年

 また、九号箱に納まる黒柿など五枚の製本模型裏面には「辛酉之秋」とあるが、この干支は前田綱紀が図書収集を行った天和元(一六八一)年と思われる。

 百工比照の表題には、「造器寶鑑」と「百工比照」と書いた二通りの札紙が貼られていることに気づく。そこで「造器寶鑑」と書いたものを列挙すると、

 一号箱二架 張付唐紙類/同三架 張付唐紙類/同四架 表紙々(「百工比照」の札もある)/同九架 蒔絵梨子地塗色類/同一二架 織物類/同一三架 小紋類/

 二号箱一架 羽織類絵図/同二架 旗指物類絵図/同三架 甲胄籠手佩楯類絵図/同四架 武器注文書/同五架 馬具類絵図/同六架 作紋類絵図/同九架 諸色類絵図/同一三架 染色類となる。

 以上、「造器寶鑑」と書いたものは不思議と一号と二号の箱に限られ、しかも武器注文の冊子を除くと、箱を重ねた重箱形式ではなく、手鑑のように帖仕立の折本である点も見逃せない。

 一一号箱に納まる「文書」は特に重要なので全文紹介する。(/は改行を意味する)

 「百工比照入目六/織物 小紋/染色 羽織/作紋 旗指物類/鞍鐙類 鐶金具類/甲胄籠手佩 諸色類/楯類/羽織注文 甲胄籠手佩/楯注文/塗色梨地 旗指物注文/唐紙二 表紙々/七/〆十五帖/内三帖閉本也/戊午二月十六日/革之類/打糸之類 外題/〆廿品」(ただし一五帖の“五”の右横に小さく“七”が書かれる。)

 この文書で注目されるのは、〆十五帖すべてが「造器寶鑑」と書かれたものである点である。しかも「造器寶鑑」と「百工比照」が併記される「表紙々」が〆の最後に書かれているのも大きな意味があり、「表紙々」が名称変更の転機になったことがわかる。

 ここで問題になるのが干支「戊午」の年代である。前述した『改作所舊記』の内容などから延宝六年の「戊午」と推定される。よって、延宝六(一六七八)年以前に収集されたものは「造器寶鑑」で、以後は「百工比照」に変更したようである。ちなみに〆一五帖から漏れた一号箱五架「外題紙類」・同一一架「革」・同一四架「打絲」はすべて「百工比照」となっており矛盾はない(4)

 百工比照の収集は、前田綱紀在世中に完了した訳ではない。例えば、四号箱左二抽斗「緒留」の明和五(一七六八)年、同「珊瑚」の弘化二(一八四五)年、同「根付」の嘉永三(一八五〇)年、同「真珠」の万延元(一八六〇)年などの年号から、没後も追加されたことがわかる。実際に整理途中で余白のある面もあり、二号箱一〇架・一一架・一二架は全くの空となっている。また、必ずしも箱番号順に収集されたのではなく、整理分類の段階で入れ替えがあり、現在の箱番号に落ち着いたと思われる。

 さらに、付属一号箱は明治四二(一九〇九)年に金沢の骨董商宮地甚吉郎、付属二号箱は大正二(一九一三)年に織田小覚によって返納されたものである。(ということは百工比照の一部は外部に流出したことになる)

 なお、承応元(一六五二)年建立の「小松葭嶋遠州座敷」など建築金具の一部は、百工比照の本格的な収集が始まる以前のもので、個々についての年代設定は注意を要する。


最後に

 百工比照の成立は、前田綱紀の几帳面な性格もさることながら、加賀藩の財政が豊かであった延宝から元禄年間に多くが収集され、文化振興を充実するに絶好の時期であったという追風も大きな要因のひとつである。

 なお、平成一二年に通産省先導的アーカイブ映像支援事業として、「加賀前田家の遺産−百工比照」のDVD-ROMが製作されたことを報告する。




【註】

1 変塗については、新村撰吉、「近世の漆芸における漆工技術の資料調査−「百工比照」の色漆(変塗)の製作技術についてー」『東京芸術大学美術学部紀要』が詳しい。[本文へ戻る]

2 加賀藩の細工所は工芸品や調度品を製作したが、百工比照の見本の中には細工所で造られたものも含まれると思われる。しかし、細工所と百工比照の関係は今後の研究課題である。[本文へ戻る]

3 『改作所舊記 上編復刻』一九七〇、石川県図書館協会、三〇九頁より引用。[本文へ戻る]

4 この年代設定は、新村撰吉・郷家忠臣、一九六四、「ー近世漆芸技術資料−百工比照について」『ミュージアム』、一五八号と一致する。[本文へ戻る]



【参考文献】

毎日新聞社、一九七七、『重要文化財 二六 工芸品III』
石川県立美術館、一九八八、『前田綱紀展』
本谷文雄、一九九三、「百工比照について」『百工比照』石川県立美術館
本谷文雄、一九九八、「前田綱紀と博物学」『北國文華』復刊1号、北國新聞社



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