IV エトルリアの墓地、大型記念墓、岩窟墓


36  ポプローニアと北エトルリア:      Fig.97-100    Pl.29−32
北エトルリアの前7世紀から前6世紀初頭にかけての大型記念墓は、一般的に石製ブロックあるいは石板で構築されており彩色装飾はもたないが、その一部は、周縁部がクレピス(円筒形の低い壁)で囲まれた大きな墳丘(最大直径80m)で被われていた。ポプローニアにおいては偽似ドームを備える最も古い墓室墓が例証される。東方化様式期の重要なネクロポリスや墓は、ポプローニア以外ではヴェトゥローニア、ヴォルテッラ西部一帯(カサール・マリッティモ、カサーリア)、フィレンツェ近郊(クイント・フィオレンティーノ、アルティミーノ)、キャンティ一帯(カステッリーナ・イン・キャンティ)およびコルトーナ/カムチーアで見いだされ、これらの墓にはしばしば金製装身具や象牙細工など非常に豪華な副葬品が内蔵されていた。墓はほとんどの場合、羨道と前室に加え単数あるいは複数の主室や翼室から成り立ち、方形の墓室墓は石材の迫り出しによる切妻型の天井で被われていたのに対し、トロス式の円形墓は持ち送り式偽似ドームを備えていた。ポプローニアとヴェトゥローニアのみで記録されるのは、四角形の墓室に石材の迫り出しを方形から円形へとしだいに変化させた偽似ドームを被せた例証である。死者は多くの場合、石製の寝台の上に安置された。

Fig.97 ポプローニア:ポルカレッチャ墓地:金細工の墓:前7世紀末
Populonia,Porcareccia−Nekropole,Tomba delle Oreficerie:Ende 7.Jh.v.Chr.


Fig.98 ポプローニア:サン・チェルボーネ墓地:棺台の墳墓:前7世紀第3四半期
Populonia,S.Cerbone−Nekropole,Tumulo dei Letti funebn:
3.Viertel 7.Jh.v.Chr.


Fig.99 ポプロ−ニア:サン・チェルボーネ墓地:カッリ(2輪車)の墳墓:前7世紀中葉
Populonia,S.Cerbone−Nekropole,Tumulo dei Carri:
Mitte 7.Jh.v.Chr.


Fig.100 ヴェトゥローニア:小悪魔の墓2:前7世紀後半
Vetulonia,Tomba del Diavolino2:2.Hälfte 7.Jh.v.Chr.



37  チェルヴェテリ:      Fig.101-104    Pl.33-35
南エトルリア沿岸地帯の極めて重要な都市であったチェルヴェテリには、エトルリアで最も広大で保存状態も一番良好なネクロポリスが残されている。この古代都市をとり囲むバンディタッチャ、モンテ・アバトーネ、ソルボと大きく3つの地域に分けられる墓地のうち、現在も研究および見学に最適であるのはバンディタッチャのネクロポリスに他ならない。特に前7世紀から前3世紀にかけての何千にもおよぶ墓からは、この地域の墓建築の発達、死者祭礼、また宗教について厖大な情報が提供される他、数多くの、特に前7世紀には非常に豪華であった副葬品を通してエトルリア人の美術や手工芸についても多くの知識が得られる。東方化様式初期および盛期の、しばしば最高で4基にもおよぶ複数の墓室墓が含まれた貴族の大型墳丘に続き、前7世紀第4四半期頃からはほとんどが道沿いに並べられ、墓室墓1基のみを内蔵する小型化された墳丘へと変化していったが、前6世紀中葉からは碁盤目状の道に沿って並ぶ立方体型の墓が優勢となった。ほとんどの場合凝灰岩から刳りぬかれた墓室墓は、主に前7世紀後半および前6世紀、さらに時代を下って前4−3世紀には、梁天井や格天井、コーニス、寝台、玉座、祭壇およびレリーフなど、部分的に住宅建築を反映した特別豪華な内装建築に特徴付けられた。エトルリアでチェルヴェテリのネクロポリスほど適確に“死者の町”のイメージを具現化した例は他には見られない。

Fig.101 チェルヴェテリ:バンディタッチャ墓地:墳丘(墓室墓):前7世紀末
Cerveteri,Banditaccia−Nekropole,Tumulus mit Kammergrab:
Ende7.Jh.v.Chr.


Fig.102 チェルヴェテリ:バンディタッチャ墓地:
大型墳丘(刳形つきクレピスと頂部への傾斜路を備える):前7世紀前半
Cerveteri,Banditaccia−Nekropole,groBer Tumulus mit profilierter
Krepis und Rampe:1.Hälfte7.Jh.v.Chr.


Fig.103 チェルヴェテリ:バンディタッチャ墓地:
船の墓1(寝台付き):前7世紀中葉
Cerveteri,Banditaccia−Nekropole,Tomba
della Nave mit Totenbett:Mltte7.Jh.v.Chr.


Fig.104 チェルヴェテリ:バンディタッチャ墓地:
墓地の通りに沿って並ぶ立方体型墓:前6世紀後半
Cerveteri,Banditaccia−Nekropde、GräberstraBe mit Würfelgrabem:
2.Hälfte6.Jh.v.Chr.



38  南エトルリアの岩窟墓/摩崖墓:      Fjg.105-112    Pl.36-41
南エトルリア内陸部の一部は険しい峡谷に刻まれた、絵のように美しい凝灰岩の風土には数多くの岩窟墓が現れた。これらの墓やネクロポリスは年代的には大きくふたつのグループに分けられ、古い時代(前6—5世紀)の例証は、主にブレーラ、サン・ジュリアーノ、サン・ジョヴェナーレおよびトゥスカーニアに、それより年代の下る新しい時代(前4世紀後半—前2世紀初頭)の例証は、ノルキア、カステル・ダッソ、またソヴァーナに集中している。岩窟墓/摩崖墓の類型には、立方体型、半立方体型、偽似立方体型の他、さらに大掛かりな家型、柱廊型、エディクラ型、神殿型が挙げられるが、それと並んでファサードに何の手も加えていない非常に簡素なタイプもあった。岩窟墓の現象は何より地質的な条件を前提としたが、多くの場合、大型で時にはレリーフ装飾も施された後期のファサードに例証されるように、墓所有者およびその一門の体面顕示の欲求もその要因であった。この時代的に後の段階ではファサードはまったくの見せかけ、あるいは見せるためのものとなり、墓室自体は隠れるかのように地下へと移動した。また最も重要な岩窟墓は古代都市からすぐ目にとまる場所に位置することが多かった。岩窟墓は、これらの例証の類型異型ともども、アルバニア、マケドニア、トラキア、小アジア(特にリュキアとカリアの各地域)、ロードス島、パレスチナ、ヨルダン、またキュレナイカなど主に東地中海圏の数多くの地域にも見出される。この現象の頂点を極めるのは、古代ナバタイ王国の首都ペトラに残された、前1世紀から後1世紀にかけての摩崖墓の、一部は巨大ともいえるファサードである。

Fig.105 トゥスカーニア:ピアン・ディ・モーラ地域:
柱廊付き岩窟墓:前6世紀後半
Tuscania,Pian di Mola,Felsgrab mit Porticus:
2.Viertel 6.Jh.v.Chr.


Fig.106 トゥスカーニア:ピアン・デイ・モーラ地域:
柱廊付き岩窟墓:前6世紀後半
Tuscania,Pian di Mola,Felsgrab mit Porticus:
2.Viertel 6.Jh.v.Chr.


Fig.107 ブレーラ:ピアン・デル・ヴェスコヴォ地域:
家型岩窟墓:前6世紀後半
Blera,Pian del Vescovo,Felsgrab in Hausform:
2.Hälfte 6.Jh.v.Chr.


Fig.108 ブレーラ:カセッタ墓地:半立方体型岩窟墓:前6世紀後半
Blera,Casetta-Nekropole,Halbwürfel-Felsgrab:
2.Hälfte6.Jh.v.Chr.


Fig.109 ノルキア:フォッソ・デッレ・ピーレ地域:
大型偽似立方体型摩崖墓:前3世紀
Norchia,Fosso delle Pile,monumentale
Scheinwürfelgräber:3.Jh.v.Chr.


Fig.110 カステル・ダッソ:前3世紀の立方体型岩窟墓:
Castel d'Asso,Felswürfelgrab des
3.Jhs.v.Chr.:nach S.C.Constant Dufeux,Record drawings of ancient
monuments(1825-1833)S.25


Fig.111 チヴィタ・カステッラーナ:前4-3世紀の柱廊付き岩窟墓
Civita Castellana,Felsgrab mit Porticus des 4./3.Jhs.v.Chr.:
nach S.C.Constant Dufeux,Record drawings of ancient
monuments(1825-1833)S.13


Fig.112 ソヴァーナ:イルデブランダの墓:前3世紀の神殿型岩窟墓
Sovana,Tomba lldebranda:Tempel-Felsgrab des 3.Jhs.v.Chr.