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慰霊空間I、I’

隈研吾・隈研吾建築都市設計事務所


慰霊空間CG画像 慰霊碑の設計を依頼された。

某企業(注)の物故社員のための慰霊碑である。

慰霊碑とは、ひとつの物質(たとえば石碑)を媒介として、死者のメモリーへとアクセスしようとする装置である。われわれは、まず、物質を媒介としなくても、メモリーへとアクセスする事は可能ではないかと考えた。物質(たとえば石碑のような図像性の強いオブジェクト)は、逆に、その物質そのものへとわれわれの注意を喚起し限定してしまって、肝心の死者のメモリーへのアクセスを妨害する可能性もあるように、われわれには感じられた。

この考えを突き詰めていけば、慰霊碑、あるいは慰霊のための空間などは不要であるという考えに行き着くかもしれない。すなわち自分の部屋にいて、パソコンやネットを通じて、めいめい死者のメモリーへとアクセスすればいいという考え方である。確かにそのようにしても死者のメモリーへとアクセスする事は可能であろう。しかし、それだけでは物足りないという人間もいるに違いない。お彼岸には、やはりわざわざ墓参りをしたいという人間もいるのである。身体をある特定の空間へ置く事によって、はじめてアクセスできる種類のメモリーと感情とが、あるはずなのである。そして大事なことは、その「何者」かは、石碑を作れば即、獲得できるという種類のものではないという事である。繰り返しになるが、その「何者」かは、石碑を作る事で石碑そのものに邪魔をされてしまって、却ってわれわれから遠ざかってしまうかもしれない。

今回、われわれは慰霊碑ではなく、あくまで慰霊空間を作ろうと考えた。ここで敢えて空間という言葉を用いたのは、空間という言葉にはいわゆるリアルな空間(物質を素材として作られている空間)とバーチャルな空間(物質を素材とせずに作られている空間)との相方を包含するだけの、曖昧性、許容性があるからである。その相方を竣別するのではなく、相方の空間を重層させる事に、われわれは特別に強い関心を抱いている。なぜなら、そもそも、2つの空間は、とても峻別などできないほどに重層し融けあっているからなのである。われわれは純粋なリアル・スペースの中に棲む事もできなければ、純粋なバーチャル・スペースの中に棲む事もできないのである。脳にとってみれば2つの空間はひとつなのである。

その重層を意識的に建築計画に導入し、それによって建築計画と呼ばれているものの領域と射程とを拡張していく事に、われわれの関心はある。もっと正確にいえば、そのような拡張なくしては、「建築」という職種、あるいは学問は、存続が難しいのではないかという危機意識がある。

今回のプロジェクトにおいてはまず、与えられたリアル・スペース内の敷地(24m×12m)全体が、ひとつの慰霊公園として計画された。この公園は地上部分にはいかなるオブジェも突出せず、樹木(シラカシ)が植えられているのみである。そのフラットな地面に経路が堀込まれ、その経路はGL-1.0mレベルまで下降し、再び上昇するような、U字型の平面形状をしている。地中へと下降する行為を媒介として、過去という時間へと意識を遡行させていこうという試みである。この経路の両側壁面に、物故者の名前が全て識されている。リアル・スペースにおける慰霊空間の構成は以上である。この空間を仮に、慰霊空間Iと名づけた。

われわれが生きているこの現実の空間(仮にRと名づける)と、死者たちが棲む空間(仮にDと名づける)との媒介をこのIと呼ぶ空間が果たすのである。われわれは空間Iに足を踏み入れ、その中の経路を歩む事で、空間Rからひととき逸脱して、Dにアクセスする事が可能となるのである。それが空間Iの役割である。

次のプロセスとして、空間Iと空間Dの間にコンピューターを用いてもうひとつの空間I’を挿入することを試みた。空間I’はいわゆるサイバー・スペースという事になる。空間Iには死者の名前が識されていたが、さらに進んで、空間I’にはより具体的な姿、情報を伴った死者達が実際に棲んでいる。I’の生成法に即していえば、まずI’はひとつの谷として構成される。死者の谷である。谷の深さは空間Iの深さに対応している。深度をパラメーターにして、時間が空間化されているのである。

次に谷の中に死者達のアドレスが決定されていく。谷の中央に道が通るのだが、死者の生まれた場所をパラメーターにして道からの距離が決定され、生まれた月日もパラメーターにして谷における深さが決定される。

次に死者の生きた時間をパラメーターにして、谷の中の微地形が決定されていく。長く生きた物の用地には土が高く盛り上げられ、細かい地形のヒダが生成されていくのである。そのヒダの上に、死者それぞれに対応して樹が植えられ、樹の上に名前が識されていく。樹種は性別に対応している。このようにして、死者の谷がひとつの森へと姿を変えていくわけである。

このようにして作られた空間I’は空間化された集団的過去帳といってもいい。空間Dへとアクセスするために、すなわち昔の人達を思い出すための媒介として、このような空間化された過去帳が用意されている。もちろんこんな媒介は必要ないという人、神聖な気持ちをそこなうと感じる人もいるだろうが、人間の記憶には限界があるし、情報を通じて、昔の人の記憶が蘇るという事もしばしあるので、空間IとDの間にI’を挿入したわけである。

以上のようにR、I、I’、Dという4つの空間が存在するわけであるが、最も肝心な事は、これらの空間がひとつにつらぬかれている事である。そのための仕掛けに、すなわち、RとDの媒介が有効に働くための仕掛けに対し、人々は昔から最も心を砕き、知恵を絞ってきたのである。たとえば線香をあげるという身体動作を媒介として、あるいは鐘のかすかな響きを媒介として人間は空間RからDへと、容易に下降していく事が可能となっていたのである。

今回は空間Iの壁面に識された物故者の名前の脇に、花を活けるための小さな穴を用意した。そこに花を活けるという身体の動作によってR、とI、I’、Dとが容易に、そして自然に接合されるのではないかと考えたのである。いわゆるサイバー・スペースとリアル・スペースが接合されるためには、そのような身体動作の活用が鍵になると考えるからである。今日サイバー・スペースについての議論は、ほとんどそのスペース自体の性状や構造に向けられがちであるが、より大事なのはサイバー・スペースとリアル・スペースの接合の問題であり、そのためには、それら2つのスペースに対する身体の参加の問題に着目しなければならないとわれわれは考えている。

注)今回の展覧会のために

空間Rと空間Iの間に、空間I”が挿入されている。I”が東大総合博物館内に、空間Iの一種のモデルとして実際に建設される空間である。そこでは空間Iの経路が、深度方向のみ現寸、水平方向は3分の1スケールに縮小されて再現されており、IにかわってRとDの媒介をはたすことが期待されている。

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GRASS NET

東京下町の住宅密集地区に、高度な防災機能を有する、公園ネットワークを形成するプロジェクト。

「身体」を守り、育てるためのシェルターとして公園を再定義しようとする試み。「身体」は建築によって守られるというのが、かつての建築の定義でもあったわけだが、公園にミニマムな生態学的装置、電子的装置を付加する事で、公園自体をシェルターとして、すなわち「家」として再生させようとする試み。

この試みによって公園は19世紀に、20世紀的な視覚の対象物としての存在を脱却し、全感覚的、全身体的な環境装置へと転換される。INTERNETがアクセスする者全員の脳をエレメントとして脳の救済を目的として構成される一大ネットワークであるように、GRASS NETは身体をエレメントとして身体の救済を目的として構成される一大ネットワークである。

ECO PARTICLE

沖縄宮古島の自然の中に、自然と人工物とが分かちがたく溶融したひとつの循環的な環境を構築しようとする試み。基本的な考え方は人工物(建築)の中に棲むという形式にかわって、環境の中に棲むという生活の形式を打ち立てる事。そのために、人工物を細かな粒子(PARTICLE)に分解し、コンピューターの制御システムを動員しながら、環境全体をひとつの対立形式(自然対人工)ではなく、循環形式として再生させる事。自然対人工という空間的二項対立の打破にも、コンピュータは有用であると考えられる。

具体的には、水という自然要素と人間の生活環境とを溶融させた樹底都市。森と生活環境とを溶融させた樹底都市。媒介的インフラにかわって自然エネルギーを活用した生産的、自律的インフラの提案であるビオインフラの3つの部分より構成される。


(注) 高崎に本社のある(株)井上工業。前会長、井上房一郎は地方における文化活動の先駆者の一人として著名でブルーノ・タウトの日本滞在の支援、「ここに泉あり」の群馬交響楽団の設立等の活動が知られている。


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