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せんだいメディアテーク

古谷誠章


メディアテーク:人や情報が錯綜する森

01 私たちはいつもいろいろなものをもち運んでいる。手帳、ノート、雑誌、展覧会のちらし、パーティーの案内・友だちの手紙…。移動しながら思い思いの場所でそれらを取り出す。

02 ヘッドホン・ステレオが出現したとき、音楽はオーディオセットの前で聴かなくてはならないものではなくなった。電車に乗りながらでも、横断歩道を渡りながらでもよい。目の前を音楽とは無関係な情景が流れていく。いつ、どこで、何をするか、時間、空間、行為の組合せはまったく自由になった。

03 普通の図書館の入口はひとつで、中には図書館の機能がひとかたまりに詰まっている。それは美術館も同じ。入口がひとつで一度入ると、出口まで展示空間だけが連続している。借りた本を読みながら展示室へ入ることも、いくつかの作品をつまみ食いして、途中で会場から抜け出してほかのことをすることもできない。

04 展覧会で今日はあれとこれを観て、続きはまた明日にしたい、ということもよくある。仮に有料の場合でも、各会場の入口で磁気カードをチェックすれば、会場がバラバラに離れていてもかまわない。

デザイン画模型模型

05 ここの開架書庫には本、CD、ビデオソフトなどが、まったくランダムに配架されている。来館者は手に取った本を自分の好きな場所(眺めのよいラウンジでも、ひとりになれる場所でも、ギャラリーにでも、カフェにでも、パフォーマンスの会場にでも、外の並木道にでも)にもっていって読み、返すときにバーコードさえ読ませれば、任意の書架に返却できる。つまり本は来館者によってもち運ばれつねに移動している。一冊の探したい本があるときは、手近な端末機を使って、その本が今どの棚に返されているかを検索する。コンピュータは即座に答えてくれるだろう。

06 お目当ての本を見つけたら、その隣に全然関係ないけどおもしろそうな本が並んでいたりする。他の来館者のもたらした偶然によって、未知の世界への入口が開いている。そして、その本を抜き取ったら本棚の向こうには何やら楽しげなワークショップの様子が見えている。

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08 私たちが日頃都市の中で経験する情景もこうしたものである。さまざまな目的をもつ人々がいろいろな速度ですれちがう。このメディアテークでは人々の行為がお互いを触発しあうことが目論まれている。来館者は自分の空間、自分の時間、自分の行為を、自分で組み合わせる。そこを今日までまったく知らなかった人が通り過ぎる。

09 この建物は、人、もの、時間、空間、風景、情報が縦横無尽に錯綜する「メディアの森」である。外周のスリットから一歩館内に入ると、予期しない様々なものが待ち受けている。人々は特別な目的がなくても、森にやってきて、思い思いの時間を過ごす。メディアの森を散策する来館者自身が、別の人々を触発する発信者となる。

10 メディア・テクノロジーが発達し、情報を自宅にいながら簡単に引き出せるようになったとき、現場にわさわざ身体を運ぶ意味とは何だろう。偶発的、非予知的に、まったく目的外の情報に遭遇することの価値は、逆に非常に大きな意味をもつだろう。

11 館内には遭遇と相互触発のチャンスが常に変化しながら錯綜している。「情報の市場」のようなこの中を、身体の感覚を総動員しながらぶらぶら歩くことは、未知の世界のウィンドウ・ショッピングをすることだ。

12 ここには実にさまざまな「場所」がある。天井の高いところ、幅の狭いところ、深い谷のようなところ、明るい光が射し込むところ、風の吹き抜けるところ、雨に濡れるところ、床が斜めなところ、壁の傾いたところ、足音の響くところ、遠くの音が開こえるところ、寒いところ、暗いところ…。性格づけされた空間のヴァリエーションは、そこを舞台に引き起こされるべきアクティビティを契機づける。これはただの無色透明の箱ではない。

13 ビジターも、アーティストも、この中の好きなところに陣取ることができる。そして思い思いに好きな姿勢を取ることができる。館内のさまざまな空間は、無数のフィルターによって調整する。障子や、格子や、ガラスや、パネルなど、おのおのの遮断の度合が異なるフィルターを組み合わす。外光を遮断したいビデオアートは、真っ暗に閉ざされたシェルターの中で、あるいは外の音を集めて行うサウンド・インスタレーションは、無数の穴の開いた半透明の箱の中で行われる。

14 たとえば誰かが館内で楽器を弾ける場所を探そうとする。近くの「情報コンセント」に携帯端末を接続する。今どこにどんな場所が空いているのか直ぐわかる。このメディアテークの開館する西暦2000年頃には、ワイヤレスでも可能だろう。展覧会を予定しているアーティストも、同じように館内の空間のデータベースから、自分の意図に合う場所を捜し出す。もちろんバーチャル・リアリティを躯使して、3次元の中で作品の展示状態をシミュレートするだろう。いうまでもなく自分のアトリエからも電話回線を通じて自由にアクセスできる。

15 ここでは情報を得ることもできるし、情報は自ら発信することも当然できる。館内は同時多発的に種々のパフォーマンスや、それぞれのプレゼンテーションが行われている。おのおのは互いに独立した行為やアートだとしても、この「メディアの森」でたまたま隣り合わせたことで、インタラクティブな状態となる。観客(クリエイターのひとりとも呼べるわけだが)はそれらをつなぎ合わせて、彼/彼女の独自の「番組」を「編集」することになるだろう。

16 もちろんここではもっと積極的に、キュレイターがリードしたかたちでのコラボレーションを企画することができるだろう。さらにはここの一日の活動情報を発信する専用のテレビチャンネルをもつことも可能だ。メディアテークが、文字通り市民のコミュニケーション・メディアになる。

17 ここでは従来のすべての機能が、空間的にシャッフルされている。階や、ゾーンや、セクションでは分別されていない。作品の搬入やブック・モービルの発進、作品の制作や、修復、あるいは次のイベントの相談さえもが、来館者からも垣間見えている。実空間はかなりカオティックだが、空間やものの情報をコンピュータの内部で完全に整頓しておくことで、完璧な施設管理が可能となる。


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