スクリーン
私たちは、ものの向こうにもののなりたちの秘密を、もののこちらがわにものがつむぎ出す物語を感じとっている。 砂丘という存在を介して想像力は翔く。砂丘博物館は想像力のひきがねだ。
砂丘博物館は自然と私たちの間に介在するスクリーンのようなものだ。
自然はその秘密をスクリーンに投影し、私たちはその想いをスクリーンに投げかける。
マルセル・デュシャンのアンフラマンス—薄膜的なるもの—に似て。
境界
緑と砂がせめぎ合うところに、人と人の交差する場所が生まれる。それは人と自然が出会う場所である。
人は自然からその叡知を汲み上げ、居住の技術を磨き、景観を織り挙げてきた。
人の営みと自然の営みの相互の交流は砂という環境に最も強く刻印される。
砂は境界そのものであり、そこで横断と交通の想像力が試されるからだ。
言葉と文字
「庭は言葉で、砂漠は文字だ」ジャック・デリダがエドモンド・ジャベスの詩を引いている。
言葉は目の前の声であり、現前であり、現在そのもの。
文字は痕跡であり、HISTOIRE—歴史・物語・出来事だ。
緑と砂の接点は、人と自然の接点であり、現在と過去の接点であり、声と沈黙の接点だ。
「砂を少し手ですくってごらん。言葉の虚しさがわかるよ」
砂の静寂は歴史と物語と出来事を秘めながら、あくまでも繙かれるべき書物としてたたずむ。
砂丘博物館はそんな砂の世界への誘いの舞台となろう。
自然の観測装置としての建築
砂の表皮がめくれて浮き上がる。浮いた表皮が天空を映し出し、大地の鼓動を響かせる。表皮に穿たれた孔は光と風と砂を呼吸する。透明な壁が風に運ばれる砂の呼吸を知らせてくれるだろう。天空と大地の観測装置としての建築。
ヘルメスの庭は大地に入り込んで、なだらかにパティオへとつながる。 パティオに面したカフェからは、オアシスの広場の活気が眺められるかもしれない。 青空を切り取ってアプローチを祝福するピタゴラスの屋根に穿たれた孔。大地と天空、庭と砂丘、人間と自然を結びつける、サンボリズムの空間。