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ナショナル・ギャラリー・オブ・ヴィクトリア

磯崎 新アトリエ


この設計競技では現代美術の動向に即した、全く新しい展示空間のあり方が提案されている。コンピュータを駆使して生成された有機的なフォルムは、内部に躍動感あふれるダイナミックな空間を作り出す。それは、絵画や彫刻といった旧来のアートの枠組みを超越するような現代美術の試みにも対応できる空間的な強さを備えている。

現代美術はサイト・スペシフィックであるといわれている。これは「インスタレーション」に代表されるような、ある特定の場所、空間との関係性の中でのみ成立するアートのあり方を意味している。これに対し、旧来の美術は額縁に納められ、各地の美術館を移動する。この目的に、空間の無限定性、無性格性をもって対応しようとしたのが、いわゆる近代美術館である。そこでは多様な美術品に対応可能とすべく展示壁面は可動で、空間的な特性はできるかぎり消去される。この特性をループルに代表される第1世代の美術館と対比して、第2世代の美術館として要約することができる。

外観外観
内部設計図
これに対し、サイト・スペシフィックな作品は移動しない。短期間で消滅することさえある。コンピュータビデオなどの新しいメディアを駆使する。このような現代美術のあり方は展示空間のあり方に抜本的な変革を迫る。無性格な空間よりは、むしろ芸術家にインスピレーションを与えるような特徴ある性格をもった空間が要請される。そして、このような空間性をそなえた美術館は第3世代の美術館とよばれる。

今回の増築プログラムの大枠はナショナル・ギャラリー裏手の、現在庭園として利用されている敷地に企画展示室やメディア・アートに特化したギャラリーを中心とした施設群を付加し、美術館としては全体の規模を2倍に拡張する、ということであった。その際、旧館についても外観を保存しつつ、内部空間を大幅に再編することが課題として与えられていた。ナショナル・ギャラリーは世界各地の様々な時代に対応する広範なコレクションをもっている。ルネサンス以降のヨーロッパ絵画からインド、中国の古美術、日本美術にいたるまで収集されている。いわば博物館機能を一部内包したような美術館である。しかし、その中で大きな比重をしめるのは、もちろんオーストラリア絵画、しかも今世紀に入ってからのものである。このことから、今回の増築のプログラムにおいても、その重点が現代美術に置かれていたことが理解される。私たちの提案では、旧館部分を第1、第2世代の美術館として最適化すべく再編した上で、増築部分は第3世代の美術館として特化した空間構成を試みることにした。

このような主旨から増築部分は、うねる曲面を全面的に採用した有機的なフォルムで構成される。その全体は大きく3つのフォルムの組み合わせで構成される。そのうちの1つは6枚のうねる壁面の断片を組み合わせたもので、内部に企画展示ギャラリーが納められる。他の2つのマスは壷状のフォルムで、それぞれグレート・ホールと呼ばれる多目的ホールと小劇場である。この2つの壷状のフォルムは、企画展示ギャラリーと同様のうねる壁面の断片を用いて連結される。これらの有機的なフォルムと、これとは対照的な直方体のクラシックな構成をもつ旧館との間には、ガラス屋根が金面的に掛けられ、あたかも内部化された彫刻庭園とでもいうべきホワイエ/ロビー空間がひろがる。企画展示ギャラリーのうねる壁面は、奈良市民ホール(1992-)やラ・コルーニァ人間科学館(1995)で用いられたクロソイド曲面による壁面を発展させたものである。全体は断片化した曲面の集合体として構成され、しかもそれぞれの断片は大きく捻じれ、流動する空間の特性が強化されている。この壁面の断片どうしは無造作に相貫し、その隙間から内部に外光がとりこまれる。また天井のスカイライトは波長の異なる正弦曲線を組み合わせて構成したもので、クラコフ日本美術技術センター(1994)での経験を発展させたものである。こうして構成されるシェルの内側は、床面積2,000m2、天井高7.2mの直方体を内接する空間で、多様なインスタレーションを誘発する。グレート・ホールは立席で800人収容の多目的ホールで、巨大な巻き貝の内部のような空間である。内部は、上部のスカイライトからの光で満たされる。もう一つの壷状のオブジェクトは250席の小劇場である。

スケッチ画
構造図
これらの有機的な造形はすべて、数学的には非一様有理Bスプライン曲面という単一の手続きで記述される。これは70年代にド・カステリオやベジエといった人たちによって開発された曲面の記述形式で、現在コンピュータ上で曲面を扱う場合、もっとも一般化された手法といえるだろう。そして、この曲面はコンピュータ上で変形し、切断し、編集することができる。一見、複雑に見える曲面も数学的には一意に定義されている。この事実が作図の再現性を、そして施工を保証する。この例で代表されるように、曲面や曲線がコンピュータ上で、ほとんど立方体や球と同程度、自由に扱えるようになったことで設計のプロセスも大きく変化した。まず3次元のモデルが構想される。そして、それを任意の平面でスライスしたものが平面や断面の基準線となる。その上で、プログラムの適合性や内部の組織化がシミュレートされる。

これは、建築の幾何学の進化ととらえることができる。ナショナル・ギャラリーの旧館の設計者はサー・ロイ・グラウンズという建築家であるが、彼は60年代に、このナショナル・ギャラリーを手がけたのち、70年代中ごろにかけて順次、隣接する敷地に劇場やコンサート・ホールを完成させていった。ローカルに産出するブルー・ストーンの基檀上に長方形のナショナル・ギャラリー、楕円形のステート・シアター、円形のコンサート・ホールという3つのオブジェクトが並立して芸術センターが形成されている。このことから彼は純枠幾何学の建築家として知られていた。わたしたちの提案は、この幾何学的な文脈の延長線上に位置する。現代美術の動向にそくして、未来指向の空間を提示すること。それを、最新のコンピュータ・テクノロジーを駆使して構築すること。この一点に、この計画の主題は集約されていたといえるだろう。

メルボルン、オーストラリア 1996年9月
Melbourne, Australia September 1996


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