第一部

学問のアルケオロジー


教育の整備—東京帝国大学の創設と列品の思想

東京帝国大学医学部「光学顕微鏡」 東京帝国大学医学部「ユリウス・スクリバ先生の医療器具」
東京帝国大学医学部「光学顕微鏡」

江戸時代に輸入された顕微鏡の多くは幕府献上品や諸大名所蔵品であって、蔵の中に保存されてきた。明治新政府による新医学教育制度の実施によって、解剖学教科では解剖学(肉眼解剖学)と組織学(顕微解剖学)が導入され、医学本科課程1年で解剖学と組織学の授業が行われた。本顕微鏡は明治初期にイギリスより輸入された最新型機種である。
【医学部1号機/総合研究博物館医学部門】
東京帝国大学医学部
「ユリウス・スクリバ先生の医療器具」

明治14年に東京大学に来任し、34年まで20年間にわたり外科学(一時眼科、産婦人科、皮膚科も兼任)を担当し、わが国の外科学の基礎を築いたドイツ人教師ユリウス・スクリバ(Julius Scriba)が治療に用いた外科器具類の一部である。
【明治22(1889)年購入/フランス製/総合研究博物館医学部門】
東京帝国大学医学部「脳の発生模式標本」 東京帝国大学医学部「腸のリンパ系統」
東京帝国大学医学部「脳の発生模式標本」

ヒト胎児の発育過程で、脳の形成を示した蝋模型である。脳は胎齢第4週より急に発育し複雑な発育過程を示す。胎齢第3週目から第10週目までの胎児の完全連続組織標本を整え、各切片を顕微鏡下で観察し、その所見を一定の倍率で忠実に描写した図版を作成し、これを連続させて復構完成させた教育標本である。
【医学部標本室】
東京帝国大学医学部「腸のリンパ系統」

脈拍を計ったり、静脈注射などで直接触れることができる血管に対し、リンパ管壁は非常に薄く細いので、部位によっては肉眼的に確認が困難である。この模型は、遺体の末梢細リンパ管から水銀を注入して立体的に剖出し、これを蝋で鋳型をとり復元された精巧な蝋模型である。体内にくまなく張り巡らされているリンパ管とリンパ節と、各部位の血管や臓器なども正確に整えられている。
【蝋細工/フランス製/医学部標本室】
東京帝国大学医学部「天然痘ムラージュ」 東京帝国大学医学部「角皮模式標本」
東京帝国大学医学部「天然痘ムラージュ」

蝋細工標本の技術は明治30年代にフランスからもたらされた。蝋を人体の型どりに用いて作るムラージュは皮膚科疾患の記録として有用であった。ムラージュは患部から直接石膏の雌型を取り、これにパラフィンと蝋の混合物を流し込み原型を得て、それに彩色を施したものである。明治31年から大正15年に医学部皮膚科学教授を務めた土肥慶蔵(1866-1937)はドイツ留学時代に医学教育におけるムラージュの有用性を認識し、それを国内にもたらし、長安周一や伊藤有などムラージュの名匠を育てた。
【大正時代/長安周一製作/医学部標本室】
東京帝国大学医学部「角皮模式標本」

西洋では古代ローマ時代から死者の顔を型どり(ムラージュ)し、それを蝋製のマスクとして保存するという風習があった。ミツバチの巣から得られる蝋すなわち蜜蝋はそのための格好の素材であり、こうした伝統がルネサンスに誕生した近代医学にも応用されることになる。
【伊藤有製作/総合研究博物館医学部門】
東京帝国大学医学部「義装具」 東京帝国大学医学部 高橋勝蔵 田口和美先生像
東京帝国大学医学部「義装具」

18世紀以降、武器の飛躍的な性能の向上にともない、各地での戦争は不幸にして多くの犠牲者をだした。体肢の一部を失った人びとの日常生活へのリハビリ、社会復帰を目指した補助具、および主に整形外科領域での症例において患部の固定補助具として、各種の器具が開発され、治療に用いられてきている。今回の展示品は昭和初期に用いられていた胸部固定具・義手・義足である。
【昭和初期/総合研究博物館医学部門】

東京帝国大学医学部
「高橋勝蔵『田口和美先生像』」

高橋勝蔵(1860-1917)は日本画家を志して北海道から上京、その後明治18(1885)年にアメリカに渡り、カリフォルニア・デザイン学校で学んだ。明治26年に帰国し、東京芝に芝山研究所を開設、翌27年の明治美術会では滞米作品を公開して注目を浴びた。この頃の作品である。
【明治27(1894)年/キャンヴァスに油彩/医学系研究科庶務掛】
東京帝国大学医学部「エジプト・ミイラ」 東京帝国大学医学部薬理学科「生薬標本375点」
東京帝国大学医学部「エジプト・ミイラ」

【末期王朝時代(紀元前900-600年頃)/総合研究博物館医学部門、医学部庶務掛】

東京帝国大学医学部薬理学科 「生薬標本375点」

独国メルク社製の薬用植物標本約270種、津村研究所製の和漢薬標本約60種、東京帝国大学医学部薬理学教室により収集された標本約40種よりなる。通し番号のついていない標本のなかには日本各地(千島・樺太を含む)で昭和11(1936)年から14(1939)年に収集されたものが含まれている。当時は教卓上に標本を陳列し、それを用いながら学生に対する講義を行ったと伝えられている。
【明治30年代以降/ドイツのメルク社製・津村研究所製/医学系研究科第二薬理学教室】
東京帝国大学理学部人類学科「チンパンジー(メス)」 東京帝国大学理学部人類学科「人体の交連骨格標本」
東京帝国大学理学部人類学科
「チンパンジー(メス)」

【交連骨格標本/総合研究博物館人類先史部門】

東京帝国大学理学部人類学科 「人体の交連骨格標本」

大正2年8月に木川の撮影した写真から坪井正五郎時代の標本であることが確認できるが、それ以外のデータは不明。この骨格標本は現在でも人類学の授業に使われている。
【大正2(1913)年8月以前/理学系研究科生物科学専攻・生物学科】
東京帝国大学理学部人類学科「人類学標本95点」 東京帝国大学理学部人類学科「オランウータン」
東京帝国大学理学部人類学科
「人類学標本95点」

北米大陸で発掘された先史人類の遺物の参照標本群。石器、骨格器、貝、石斧、土偶など、いずれも典型的な人類学標本がそれぞれ系統だって分類整理された小箱が、総数にして約200個存在する。標本ラベルのなかにマサチューセッツ州セーラムのエドワード・S・モース教授が「東京大学(Univ. of Tokio)のために(贈った)」と記されているものがある。明治10年代後半にはセーラムのピーボディ博物館から東京大学へ寄贈されていた可能性が高い。
【総合研究博物館人類先史部門】

東京帝国大学理学部人類学科「オランウータン」
【乾燥標本/総合研究博物館人類先史部門】
東京帝国大学理学部人類学科 井上清助製作 世界人類風俗人形 東京帝国大学理学部人類学科「人類学教室標本展覧會来観者名簿」(明治37年6月開催)
東京帝国大学理学部人類学科
「井上清助製作『世界人類風俗人形』」

明治23(1890)年の第3回内国勧業博覧会と明治33(1900)年のパリ万博に出品され「博多人形」の名前は国内のみならず、海外でも良く知られるようになった。その元祖井上清助は東京帝国大学の人類学教授坪井正五郎をはじめとする第一級の学者を監修者に仰ぎ、服飾の歴史や民族の差異をわからせる教育用教材人形「井上式地歴標本」を開発した。同種のものとして他にも「日本帝国人種模型」などがあり、これらは人種の識別用に使われた。
【明治43(1910)年-大正2(1913)年/博多人形/総合研究博物館人類先史部門】

東京帝国大学理学部人類学科
「人類学教室標本展覧會来観者名簿」(明治37年6月開催)
【明治37(1904)年6月4-5日/総合研究博物館人類先史部門】
東京帝国大学理学部動物学科「昆虫学標本約5千点」 東京帝国大学理学部動物学科<br>「動物学標本113点」
東京帝国大学理学部動物学科
「昆虫学標本約5千点」

明治14(1881)年東京大学理学部動物学教室の教授となった箕作佳吉の収集になる昆虫標本。コウチュウ目20箱、チョウ目33箱、その他3箱からなり、全体として5千点を超える昆虫類が保存されている。ドイツ人フリッツェが北海道で採集したオオキノコムシをはじめ、ギフチョウの発見者として知られる名和靖が明治22年に採集した「ギフヤマ」、中川久知の採集したシジミチョウ類、高千穂宣麿が明治17年に採集したエルタテハなど、歴史的に意義深い標本が含まれている。
【明治17(1884)年-38(1905)年/箕作佳吉収集/総合研究博物館動物部門】

東京帝国大学理学部動物学科
「動物学標本113点」

これらの標本群は動物学講義用の教育教材として、19世紀末から20世紀初めにかけて作られたものである。その殆どはアルコール液浸標本であるが、乾燥標本や剥製標本も混在する。標本群には三崎臨海実験所周辺で採集されたものをはじめとする内国産の他に、欧州、米国、東南アジアなど、外国産のものも相当数含まれている。【明治後期/総合研究博物館動物部門】
東京帝国大学理学部数学科「軌跡作図器群10点」 東京帝国大学工学部船舶工学科
「模型船『英国海軍軍艦フッド』」(縮尺750分の1)
東京帝国大学理学部数学科
「軌跡作図器群10点」

平面内で図形を動かすことによって得られる点の軌跡が扱われている。
【ゲッティンゲン大学教授Fr・シェリング博士考案/独国ハーレ社製/大学院数理科学研究科】

東京帝国大学工学部船舶工学科 「模型船『英国海軍軍艦フッド』」(縮尺750分の1)
【大正9(1920)年(?)/工学部3号館船舶工学科廊下】
東京帝国大学農学部獣解剖学科<br>
「ウシ石膏縮小模型群」ジャージー種(縮尺六分の一) 東京帝国大学農学部獣解剖学科<br>
「ウマ石膏縮小模型群」
東京帝国大学農学部獣解剖学科
「ウシ石膏縮小模型群」ジャージー種(縮尺六分の一)

6分の1スケールのウシの縮小模型である。明治16(1883)年から明治25(1892)年にかけて、ベルリンのマックス・ランズベルク(Max Landsberg)により製作された。品種としてはジャージー、ショートホーン、シンメンタールを中心とする。当時のベルリン獣医大学の飼育個体をはじめとし、ドイツの国内外で飼養されていた特定の個体を扱ったスケールモデルであることが記録されている。
【明治16(1883)年/ベルリンのマックス・ランズベルク製作/農学部3号館中央標本室(動物解剖学教室)】

東京帝国大学農学部獣解剖学科
「ウマ石膏縮小模型群」

ウシ石膏製縮小模型と同じ経緯により、ベルリンから東京帝国大学にもたらされた標本群である。日本では、戦前、役用馬と軍馬が重んじられ、獣医学・畜産学教育においてもウマが特に重視された。コレクションは、サラブレッド、ハノーバー、ピンツガウアなどの品種を含み、19世紀末に飼養されていた特定の個体を扱った6分の1のスケールモデルである。
【ベルリンのマックス・ランズベルク製作/馬の博物館】

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