海岸の文明——

ガルバンサル、ペチチェ、ラス・アルダス

丑野 毅
東京大学大学院総合文化研究科




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ガルバンサル遺跡、ペチチェ遺跡

 エクアドルと国境を接するペルー北部海岸にある町、トゥンベス市から直線で東南東に四キロ、道沿いに走って九キロの位置にガルバンサル(Garbanzal)遺跡[挿図1]があり、同じくトゥンベス市の南一〇キロの所にペチチェ(Pechiche)遺跡[挿図2]がある。


[挿図1]ガルバンサル遺跡遺物出土状況


[挿図2]ペチチェ遺跡発掘風景

 この二カ所の遺跡は一九六〇年東京大学アンデス地帯学術調査団によって発掘調査がなされた。いずれも形成期を主体とする遺跡であり、立地も町を北に向けて流れているトゥンベス川右岸の河岸段丘上に残された遺跡でよく似た条件にある。河床からの高さもガルバンサル遺跡では七・一〇メートル、ペチチェ遺跡では一一・一二メートルの位置にあることも共通している。ただし、遺跡の性格は、ガルバンサルが「くつ型」をした墓を伴う遺物包含層を主体とした遺跡であるのにたいして、ペチチェでは炉穴や床状の面は見つかっているものの墓は発見されていない、という性格的な違いも見られた。

 同じような時代、近接した場所にある遺跡であることから、出土した土器の共通要素が多く見つかっているのは当然のことであるが、異なった特徴をもつ土器も少なからず発見されている。

 ガルバンサル遺跡では、墓および包含層から出土する刻紋や赤地白塗りの高坏型土器、ネガティヴ紋様の浅鉢を主体とする組み合わせ[挿図3]であるのに対し、ペチチェ遺跡からは刻紋による人物像を描いた鉢や把手付きコップとともに数多くの赤地白塗りの浅鉢[挿図4]が出土している。


[挿図3]ガルバンサル遺跡出土土器
上段−ネガティブ紋様鉢
下段−高杯型土器


[挿図4]ペチチェ遺跡出土土器
上段−赤地白塗り浅鉢
下段−刻紋様針と把手付のコップ

 赤地白塗りの浅鉢はガルバンサル遺跡からも出土しているが、よく研磨された赤地白塗りの浅鉢は見かけないタイプである。ネガティヴ紋様の浅鉢は、ペチチェからも僅かに出土しているが、ガルバンサル遺跡では多く出土していて主体的な土器タイプのひとつといえる。このことは高坏型土器についても指摘できる傾向であった。

 このように共通する要素を多分にもちながら、主体となる土器タイプの傾向に若干異なる様相の見られることは、文化的な差異ではなく遺跡の性格的な違いが反映された結果であると思われる。

 ガルバンサル、ペチチェの両遺跡から出土した土器は、ペルー中部以南の土器と部分的な共通点は見られるものの、土器群の型式を通じて認められる特徴は、その器形とともにペルー中部以南の遺跡において確実な類似性を見るのがむつかしい。この地域における調査は必ずしも十分になされているとはいえない状態であることから、推測の域をでるものではないが、北海岸地帯を範囲に囲い込むような地域的な文化圏の影響を受けた土器群であると解釈できる。



2


ラス・アルダス遺跡

 ペルー中部海岸北部の砂丘化した、低位海岸段丘の上に造られた遺跡である[挿図5]。パン・アメリカン・ハイウェイから二キロほど西に入った海岸際に、巨大な面積を占める建造物の痕跡が累々と広がっている[挿図6]。古くから知られている遺跡であり、東京大学アンデス地帯学術調査団が一九五八年に一般調査を行った際、ペルー人考古学者をまじえて小規模な発掘調査が行われている。


[挿図5]ラス・アルダス遺跡


[挿図6]ラス・アルダス遺跡の遺構概念図

 この調査の結果、形成期文化に属する多くの土器片とともに、布や土偶などの人工遺物と貝や魚骨などの自然遺物が発掘された。発掘された遺構の一部は半地下式の円形をした構築物や方形の建物の基礎部分であり、それらが角張った石を積み上げた石壁によって築かれていることも確認されている。

 一九六〇年以降、中部山岳地帯において東京大学の調査団が行ったコトシュ(Kotosh)遺跡では、最下層に先土器時代の神殿を含むアンデス文明形成期を主体とする建築物と、それに伴う土器や石器を主体とする膨大な遺物の認められる文化層が発掘された。コトシュ遺跡の調査は、アンデスの考古学研究が大きく書き換えられる契機となった発掘として位置づけられる重要な調査であった。

 このコトシュ遺跡の成果をふまえて、一九六九年におこなったラス・アルダス(Las Haldas)遺跡の調査は、さらに明確な目的意識をもつ調査となった。ラス・アルダス遺跡はペルーの考古学者F・エンジェル(F・ Engel)により、先土器時代の集落跡の存在を指摘されていた遺跡である。コトシュ遺跡の調査成果を視野に納めながら、海岸地帯における無土器文化の形成と、無土器文化が形成期文化に発展してゆく過程をとらえる、というテーマに格好の調査地として発掘の対象となったのである。

 大小合わせて十九区画の調査区を設け、二カ月半の調査期間を計画して発掘を行った結果、以下のような成果を得ることができた。

 遺構は一次調査の時にすでに確認されている円形構造をもつ半地下式の建造物を含め、いくつかの建物が調査された[挿図7]。しかしながら、先土器時代に属する確かな遺構を認めることはできなかった。文化層の確認はなされなかったものの、調査が遺跡の全域にわたれば現れる可能性を含めて先土器時代を第I期におき、大きく四期に区分した。調査された遺構は第II期から始まる三時期に分けられ、それらの建物に伴う石壁と床面を確認している。遺跡の表面に大きく横たわる主神殿の遺構は、四期区分で表すと第III期になり、第II期に作られた小規模建築および遺物包含層の上に築かれていることがわかった。


[挿図7]ラス・アルダス遺跡の円形構造を持つ半地下式の建造物

 それぞれの発掘区および各文化層からの出土遺物は多岐にわたっていて、海岸地帯におけるアンデス文明形成期の生活の一部を知る上で大きな成果がもたらされた。一九五八年、六〇年の二度にわたる発掘調査の遺物は、形成期文化に属する多くの土器片や土偶の土製品・布・紐・網などを含む繊維製品、貝や骨で作った釣り針のような貝骨製品。栽培植物の可能性が高いトウモロコシ・豆・瓢箪等、さらに貝・ウニ・魚骨・リャマや海獣を含む獣骨・海鳥の骨・海草などの自然遺物が発掘された。さらに人骨の一部も見つかっている。この人骨の耳の穴の周りに骨が増殖していることがわかり、形質人類学の小片保教授によって、海女のように潜水して生活をしていた人であった可能性が高いことが示された。出土した釣り針やいくつかの種類の網から見ても当然海に生活の重点が置かれていたことは間違いのないことであろう。

 これらの多様な遺物を眺めてみると、海産物の豊富なことは当然であろうが、トウモロコシ・豆・瓢箪・リャマ・繊維製品など山地あるいは内陸地域において生産された可能性のある品物も少なからず出土している。

 一方、コトシュ遺跡、クントゥル・ワシ(Kuntur Wasi)遺跡、ワカロマ(Huacaloma)遺跡など、海岸から一〇〇キロ以上離れた山岳地帯に営まれた遺跡からマクラガイ・ムラサキイガイ・ウミギクガイ・ホラガイのような海産の貝で作られた製品が出土している。土器型式の分布を調べてもわかるとおり、当時の人々はかなり広域にわたって交流のあったことを知ることができる。しかし、さらに直接的な交流はこのような生育環境のはっきりした産物によって示される。

 ラス・アルダス遺跡の発掘調査では、先土器時代の遺構を確認することができなかったものの、多くの出土遺物から海岸地帯と山岳地帯における交易関係を示唆する貴重な成果を上げることができた、とすることができる。





471-布、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ一四cm、文化人類部門


472-布、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ一〇・五cm、幅7.5cm、文化人類部門


473-漁網、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ一四cm、文化人類部門


474-漁網、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ二二・〇cm、幅一三・五cm、文化人類部門

475 476
475-スカシガイ、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ七・四cm、文化人類部門
476-スカシガイ、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ五・四cm、文化人類部門


477-チリアワビ、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ七・三cm、文化人類部門

479 478
479-フジツボ、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ七・一cm、文化人類部門
478-フジツボ、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ四・〇cm、文化人類部門

480 481
480-ウニ、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ三・六cm、文化人類部門
481-ウニ、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ三・七cm、文化人類部門


486-ヒョウタン、植物遺存対、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ五・〇cm、文化人類部門

487 488
487-ツメ(三点)、甲殻類、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ四・〇cm、博物館文化人類部門
488-ツメ、甲殻類、ペルー、ラス・アルダス、形成期、長さ四・八cm、文化人類部門




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