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陶俑・木俑・土俑

(中国)


27 武人陶俑


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灰陶加彩
中国
東魏(544年頃)
高さ23.0cm
資料館建築史部門(K0033)

鎧兜で身を固め、矢を背負った武人を表わした俑である。もとは左手に何かを持っていたが失われている。弓を持っていたのであろうか。

胎土はきめ細かく灰色。身は中空で、足の下の部分が開いている。身は前半分と後ろ半分が別々の型で作られ、接合されたもので、側面に継ぎ目が残っている。頭は身とは別に作って接合したもののようである。全身に薄く白色の顔料が残り、さらには一部でややくすんだ朱色の顔料が見られる。もとは色鮮やかに塗り分けられていたのであろう。

これと同じ型を利用して作ったと思われるほどよく似た武人俑が、1956年に河北省呉橋県小馬廠村で発見された東魏時代の夫婦合葬墓に副葬されていた。墓から出土した刻字に、妻は興和3年(541年)に、夫は武定2年(544年)に、死亡したことが記されていたので、この武人俑もこの頃につくられたことが分る。

(谷豊信)

参考文献

張平一、1956、「河北県呉橋県発現東魏墓」『考古通訊』1956年6期、北京
河北省博物館・文物管理処編、1980、『河北省出土文物選集』、文物出版社、北京


28 文人陶俑


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灰陶加彩
中国
北朝(6世紀)
高さ23.0cm
資料館建築史部門(K0031)

冠を付け、袖の長い服を着て立つ役人の像である。手に何か持っていたようであるが、今は残っていない。これも墓に納めるために作った明器である。 型作りで、前半分と後ろ半分を別々の型から起こして結合したもの。身は中空で、足の裏の部分が開いている。胎土は灰色軟質で、焼成後外面全面にやや黄味がかった白色の顔料を塗り、さらにその上に部分的にくすんだ朱色の顔料を塗ったようだが、朱色はかなり剥げ落ち、窪んだ部分に僅かに残るだけである。

(谷豊信)


吐魯蕃(トルファン)出土俑(29〜33)

新疆ウイグル自治区内のトルファン盆地には九代にわたって麹氏高昌国(498〜640年)が栄えた。吐魯番県トルファン市の東南約40キロには高昌国の故城カラ・ホージャ(哈刺和卓)とその北西にアスターナ(阿斯塔那)古墳群がある。中国式の斜めに墓道をつけた土洞墓が多数を占めるアスターナ古墳群は、高昌城住民のための墓地(範囲南北2キロ、東西5キロ)とされ、1988年には全国重点文物保護単位に指定されている。高昌城址およびアスターナ墓地は、ドイツ隊、スタイン隊、大谷探検隊といった外国隊のほか、黄文弼を中心とする西北科学考査団などによって調査された。また新中国建国後には1959年以降アスターナに関しては少なくとも13回、カラー・ホージャに関しても4回にわたって新疆ウイグル自治区博物館が中心となって発掘調査を実施している(筆者未見だが、荒川正晴氏の昭和63年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書で、アスターナとカラ・ホージャ既発掘墳墓の内容が整理されている)。

今日では両者あわせて600を超える墓が発掘され、埋葬された人物がミイラとなったもののほか、壁画を含む絵画類、染織品、文書類、陶(木)製明器、儀仗兵を含む人物、動物を表わす塑造俑や木俑など多様な副葬品の存在が知られている。またアスターナから出土した文書類や百点を超える墓誌の研究を通じて、西晋泰始9年(273年)に始まり唐建中三年(782年)にいたる文書の存在が確認されている。この期間は、晋から十六国にいたる第1期(3〜5世紀)、麹氏高昌国の第2期(6〜7世紀中頃)および唐の西州に属していた第3期(7世紀中〜8世紀)に分けられる。大谷探検隊の将来品にはアスターナ出土のものとカラ・ホージャ出土のものの両方が含まれている(「旅順博物館所蔵品展——幻の西域コレクション」図録、1992年12月12日〜1993年1月10日、京都文化博物館、図版39〜43参照)。

一般に木芯塑造像の場合、木片の一端に胸から上の部分に粘土(干割れを防ぐために、草を切ったものや綿、獣毛などを混ぜ合わせる)を巻き付けて頭部を整形し、下地の上から彩色し俑の頭部を仕上げ、細い棒2本で下肢をあらわす(スタイン、Innermost Asia, Ast. iii.2.010など参照)が馬の鞍などに差し込んだ(同書、Ast. iii.2.012など参照)と思われる。両肩から鉄の棒が出るか穴があいていることがあり、これらを利用して紙ないし布製の着物を着せていたと思われる。木造彩色俑の場合、きわめて軽い木で人物像を整形し、ついで下地の上から彩色を加え、墨線を用いて目や髪の生え際などを表現している。


29 武人像


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木芯塑像彩色
中国
新疆ウイグル自治区トルファン
唐時代(8世紀)
高さ30.0cm
山中商会より昭和8年3月30日に購入。
大谷探検隊将来品(「特別展シルクロードの絵画」、大和文華館図録による)。
昭和51年11月26日、「東京大学東洋文化研究所創立記念日研究所所蔵品展示」において展示(目録番号26)。
昭和63年4月22日〜5月22日、「特別展シルクロードの絵画—中国西域の古代絵画」(大和文華館)において展示(目録番号64)。
東洋文化研究所

甲胄で全身をおおったこの塑造武人像は、長靴にいたるまで粘土で整形されている。彩色はあるものの背面はきわめて平面的に作られており、正面観照性が強調されている。頭部と両肩をまもる兜の頂部には亀裂が入っている。胸前の両手を直径0.5センチ程度の斜め向きの穴が貫通しており、長く細い棒状のものを保持していたことがわかる(スタイン、前掲書、Ast. iii.2.049など参照)。鼻が隆起し眼球が突出している。顔と手は肌色で、口唇と喉当てには朱色、眉、目、髭や長靴には墨や墨線を用いる。甲の下衣には白緑が用いられている。甲胄を構成する札の輪郭線には墨線を用いており、灰色と茶色の太い装飾的な線もときどき使用されている。太い灰色線上には、各札ごとに朱点が打たれている。

信祐爾)


30 男性頭胸像


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木芯塑像彩色
中国
新疆ウイグル自治区トルファン
唐時代(8世紀)
高さ19.0cm
山中商会より昭和8年3月30日に購入。
大谷探検隊将来品(「特別展シルクロードの絵画」、大和文華館図録による)。
昭和51年11月26日、「東京大学東洋文化研究所創立記念日研究所所蔵品展示」において展示(目録番号29)。
昭和63年4月22日〜5月22日、「特別展シルクロードの絵画—中国西域の古代絵画」(大和文華館)において展示(目録番号67)。
東洋文化研究所

木片に粘土を巻き付けて人物頭部を整形した木芯塑造像である。粘土が用いられているのは、身体の正面の場合胸まで、背中は肩の部分までである。白下地の上から肌色で彩色され、頭を墨で塗るほか眉、目と髪の生え際には墨細線が用いられている。墨点で表現された鼻穴と平板な両耳に対し、頬骨は高く表現されており鼻翼や口唇にはへらによる整形痕が見られる。両肩には約0.5センチ角の錆びた鉄芯が埋め込まれ、これを利用して紙製あるいは布製の着物を全身に着せていたものと思われる。胸の粘土には指紋痕が見られる。

信祐爾)


31 男子立像


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木造彩色
中国
新疆ウイグル自治区トルファン
唐時代(8世紀)
高さ33.0cm
山中商会より昭和8年3月30日に購入。
大谷探検隊将来品(「特別展シルクロードの絵画」、大和文華館図録による)。
昭和51年11月26日、「東京大学東洋文化研究所創立記念日研究所所蔵品展示」において展示(目録番号27)。
昭和63年4月22日〜5月22日、「特別展シルクロードの絵画—中国西域の古代絵画」(大和文華館)において展示(目録番号66)。
東洋文化研究所

木造彩色像で、朱色の宝珠形の膨らみを頂上に持つ茶色の頭巾(兜?)をかぶって直立する人物を表現している(「旅順博物館展」図録、出品番号43、トルファン・カラホージャ出土木彫武人俑参照。この札繋ぎの甲胄像の場合、同形式の兜をかぶり、膝下までの鎧を身につけている)。きわめて軽い木を整形し、下地の上から顔は肌色、膝丈まである長衣は白緑で、また眉、目、髭、顎髭のほか帯と長靴は墨で塗られている。体の両脇に帯から何かを垂らしていた痕跡が認められる。平面に整形された両肩先は腕を固定していたと思われる楕円形の部分が塗り残されている。

信祐爾)


32 男性胸像


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木造彩色
中国
新疆ウイグル自治区トルファン
唐時代(8世紀)
高さ11.5cm
山中商会より昭和8年3月30日に購入。
大谷探検隊将来品(「特別展シルクロードの絵画」、大和文華館図録による)。
昭和51年11月26日、「東京大学東洋文化研究所創立記念日研究所所蔵品展示」において展示(目録番号26)。
昭和63年4月22日〜5月22日、「特別展シルクロードの絵画—中国西域の古代絵画」(大和文華館)において展示(目録番号68)。
東洋文化研究所

軽い木を整形した木造彩色像で、下地の上から彩色(皮膚は肌色、口唇は朱色、着物は白緑)し、目、眉、髭、髪の生え際などを墨線で表現する。頭も墨で塗る。眼球部および頬を突出して表現するのにたいし、鼻穴は彫りくぼめている。両肩先の彩色されていない楕円形の平面には、かつて両腕が貼り付けられていたと考えられる。

信祐爾)


33 馬像


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木造彩色
中国
新疆ウイグル自治区トルファン
唐時代(8世紀)
高さ13.0cm、長さ13.0cm
山中商会より昭和8年3月30日に購入。
大谷探検隊将来品(「特別展シルクロードの絵画」、大和文華館図録による)。
昭和51年11月26日、「東京大学東洋文化研究所創立記念日研究所所蔵品展示」において展示(目録番号31)。
東洋文化研究所

きわめて軽い木を用いて、馬の全身を彫出したもので、白下地の上から灰色を塗っている。目やたてがみには墨を用いている。左耳が損傷を受け、右前肢が一部失われていることを除くと完形である。なお尻に直径約0.25センチの穴をあけており、尻尾の毛を差し込んだものと想像される。汗血馬として知られる西域の名馬を表現したと思われる木馬俑(スタイン、前掲書、Ast. iii.2.058など参照)に比べると、頭部や脚が太く、全体のバランスも異なっている。

信祐爾)


34 天王像


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塑造彩色
中国
唐時代(8世紀)
高さ69.0cm
文学部考古学研究室・列品室

眉根を寄せて目をいからせ大きな口をわずかに開いて忿怒の形相を浮かべる。右腕を頭の後側に振り上げ、左腕は目線の先に捉えた外敵を抑えつけるように斜め前方に突っ張り、腰を大きく左にひねって、仰向けになった邪鬼の頭を右足で、腹を左足で踏み据えて立つ。右手の拳には穴があいており、当初は持物(武器)が挿し込まれていたと思われる。

頭に被った兜は前立飾りをはじめ幾つかの装飾がつき、耳を覆う部分は外向きに翻っている。身体に纏った鎧は、頚護、龍頭形の被膊、前胸円護、腹護、護臍円護、骸尾、膝裾、吊腿などからなるいわゆる唐甲制によるものである。

白下地の上に施されていた彩色はかなり剥落しているが、眼の墨彩、甲に朱で描かれた文様などがわずかに残存している。

ずんぐりとした体部に比して頭部がかなり大ぶりにつくられ、全体にやや形式化した表現ながらも、頬から顎にかけての豊かな肉付けや、下半身の纏った衣をリズミカルに反転させるなど工夫を凝らした造形は、敵を威嚇するようなしぐさや恐ろしい形相とあいまって、天王像本来の迫力をよく表わしたものとなっている。

(小泉惠英)


35 灰陶犀


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灰色素焼き
中国
西晋時代(3世紀)
通尾高24.3cm、長さ28.0cm
大正3年10月12日、工学部建築史講座受け入れ。
資料館建築史部門(K0010)

灰色の素焼のやきもので作った動物像。背中に3本の角と2つのいぼがある。高く挙げた尾の先端は、欠けて失われている。胴の内部は空洞で、腹の部分に楕円形の孔がある。表面には黄土が付着している。

西晋時代の墓には、これと類似した、頭や背に角やいぼをもつ獣の像がしばしば副葬される。多くは灰陶(灰色の素焼土器)製であるが、青銅製あるいは青磁製(邵伝国1987、図564)のものもある。尾を高く挙げ、後ろ足を一歩引いて身構える姿勢も共通する。この一群の動物の像には、現実の犀をかなり忠実に模したものがあるため、一般に「犀」と呼ばれている。しかしこれら西晋時代の「犀」の中には、実際の犀とは違った特徴を持つものが少なくない。翼を持つものすらあるのである(河南省1957)。これらの動物像は、犀をモデルとしたにせよ、実は多分に空想的な、特殊な力をもつ動物であったことがわかる。

展示の獣も、背に1本の細長い角を持つこと、顔が豚・牛を思わせることなど、現実の犀を正確に表わしたものとは言い難いが、西晋時代のいわゆる「犀」に属するものと考えられる。出土地は不明であるが、西晋時代の灰陶の「犀」の分布から見て、華北地方であった可能性が高い。

漢時代以降、中国では焼きものなど安価な材料を用いて、人・家畜・家屋・什器などの模型を作り、墓に納める風が盛んになった。この非実用の品物を明器(めいき)と呼んでいる。これもそうした明器の1つである。

西晋の「犀」の特色は、角を前に向けて身構えるという攻撃的な姿勢をとっていることである。外部から侵入する敵から墓を守る役割を与えられていたであろうことは、容易に想像できることである。

漢時代の画像石・画像・青銅鏡などの図像には、頭から前に1本の角を突き出し、足を踏ん張り、尾を高く挙げている獣がしばしば登場する。また数は多くないが、灰陶や木でそうした獣を作り墓に納めた例もある(張朋川・呉怡如)。これらは普通「一角獣」と呼ばれ、西晋時代の「犀」とは区別されている。しかし角を前に突出し、尾を高く挙げ、足を踏ん張るさまはよく似ており、両者が無関係とは思えない。「一角獣」も「犀」も現代の学者が用いている名称である。当時の人々がこれらをどう呼んでいたかを含め、両者の関係を検討する必要があろう。

(谷豊信)

参考文献

河南省文化局文物工作隊第二隊、1957、「洛陽晋墓的発掘」『考古学報』1957年第1期、北京
邵伝国(編)、1987、『中国雕塑史図録(2)』、上海人民美術出版社
張朋川・呉怡如、『武威漢代木俑』、人民美術出版社、北京


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