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神岡地方における鉱山の発見は8世紀初めの養老年間とする説がありますが、本格的な開発は、16世紀末、金森長近につかえた茂住宗貞によると言われています。元禄時代には衰退し、銅・鉛鉱山として細々と稼行されていたようです。
明治になると、三井組が神岡に進出し神岡鉱山稼行を始めました。その後、近代的な工法を西洋から積極的に導入し、選鉱・製錬設備の近代化も図られました。日清・日露戦争から非鉄金属である亜鉛の重要性が認識され活発な採掘が行われました。昭和に入ると戦時産業に対応するべく増産体制がとられましたが、第二次大戦後は、乱掘などの戦争中の後遺症に苦しみました。
昭和48年のオイルショックによって、生野・別子・足尾などの日本を代表する鉱山が次々と閉山しましたが、神岡鉱山は近代的採鉱法を導入して高能率鉱山として生き残りました。
また、近年はニュートリノ観測のためのカミオカンデ・スーパーカミオカンデが設置されていることで知られています。
本展示では、神岡鉱山の図資料とモノの両面からの総合的検証を試みました。神岡鉱山の鉱物・鉱石・岩石、東京大学の研究者が残した研究素材、坑内スケッチ、坑内ボーリング資料、さらには資源探査のための600mボーリングコアなどから神岡鉱山を多角的に解剖してみました。また昭和25年ころに撮影された映画「飛騨のかなやま」をデジタル化して上映し好評を得ました。
その神岡鉱山も、この展示が終了するその日に鉱山部門が閉山となりました。本展示が、奇しくもその記念展となったことは担当者として感慨深いものがあります。ご協力を戴いた神岡鉱業はじめ皆様に感謝いたします。
(本館教授/バイオ鉱物学)
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(城西国際大学助教授・本館協力研究員)
Ouroboros 第14号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成13年7月13日
編集人:西秋良宏/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館