はじめに

2007年10月、本部門収蔵庫の移動式平箱棚より、陸平出土と思われる標本を確認した。平箱には「未整理」と記され、複数の遺跡の石器や土器などが収納されていた。そのうちの標本箱5箱に「陸平」と書かれたラベルが付随していた。これらは、本館標本資料報告 No. 67『東京大学総合研究博物館人類先史部門所蔵 陸平貝塚出土標本』(初鹿野・山崎・諏訪、2006)としてすでに記載・出版した標本と同じく、本館収蔵の陸平標本のうち、明治~昭和初期に発掘・収集された標本群に属するものである。

追加確認した標本は29点で、内訳は骨角器8点、獣骨7点、貝14点であった。全ての標本に「OK」との注記がなされ、13点に博物場番号が注記されている。このうち、8点は ”Okadaira Shell Mound at Hitachi”(Iijima and Sasaki、1882)に記載されている標本である。これにより、英文報告標本のうち行方不明であるのは土器13点、石器3点、骨角器類2点となった。

陸平データベースとして、資料報告 No. 67(初鹿野・山崎・諏訪、2006)に基づいた「陸平貝塚出土標本データベース」がすでに公開されている。追加確認した29点をこのデータベースに加え、改訂して公開する方法もあったが、土器以外の標本について、全容把握の簡便性を損なうと思われた。そこで、別項目のデータベース、「陸平貝塚出土標本(石器、骨角器、獣骨など)」として公開することとした。

本データベースでは資料報告 No. 67(初鹿野・山崎・諏訪,2006)の表3表4を更新し、データシート及び標本一覧リストを新たに作成し直している。また、追加標本では、複数の遺物に対して同一の標本番号(人類学教室原番号、あるいはA番号)が付与されている標本が多くみられた。そこで、個々の遺物を特定する便宜上、新たに枝番号を加えることとした。枝番号は基本的に人類学教室原番号の後にハイフンで続ける番号とした。これに伴いデータベースの仕様に「枝番号」の項を追加した。

なお、標本の確認調査と整理・情報化などの実際の作業は、初鹿野博之、佐宗亜衣子、野口和己子が行った。写真撮影は上野則宏によるものである。追加標本は現在、他の陸平標本が収蔵されているPD-4の列に移動し、保管されている。


⇒表3 変更後の土器収蔵状況

⇒表4 博物場目録との対応関係

2008年7月

佐宗亜衣子(東京大学総合研究博物館)

初鹿野博之(宮城県教育庁・文化財保護課)

山崎 真治(沖縄県立博物館・美術館)

諏訪 元(東京大学総合研究博物館)

2009年6月付記

現在表示しているものは2009年6月に最終更新したものである。

平成19,20年度科学研究費補助金使用

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