佐藤久名誉教授年譜
1920年(大正9年) 4月1日秋田生まれ | |
1941年 | 旧制水戸高等学校卒業 |
同年 | 東京帝国大学理学部地理学科入学 |
1943年 | 田山利三郎博士のニューギニア調査団に加わる(1月~7月) |
同年 | 東京帝国大学理学部地理学科卒業、大学院特別研究生となる |
1944年 | 陸地測量部嘱託となり、空中写真判読資料の整備、実習生への指導にあたる |
1945年8月 | 陸地測量部が松本市へ疎開 |
1949年 | 理学部地理学科講師 |
1950年 | 「空中写真による土地調査と写真判読」執筆(日本写真測量学会) |
1950年代~ | アンデス山脈の地形研究に取り組む |
1951年 | 「断層の地形学的研究」で理学博士取得 |
1952年 | 助教授就任 |
1958年~ | 東京大学アンデス地帯学術調査団に参加 |
1961年 | 教授就任 |
1980年 | 退官 |
2020年(令和2年) 3月23日 永眠 |
資料の概要
空中写真、空中写真判読資料、地図、ペルー調査時の写真帳などを含む。
(1)空中写真
収納する紙袋の記載から中国方面を撮影した空中写真がほとんどと思われるが、正確な撮影地域、枚数等の把握には至っていない。
(2)空中写真判読資料
空中写真と判読のための解説がまとめられたもので、太平洋戦争直前から終戦までの間に作成された。「将校教育用 空中寫眞判讀資料」(陸地測量部、昭和15年度)や、「中支那方面判讀資料」(支那派遣軍總司令部、昭和16年)、「ラングーン及モルメイン附近判讀資料」(第二課第五班)など計11冊。そのほかには、地形の種類別に地形図上に解説を書きこんだ「各種地形ト其ノ現図著眼 其ノ二」(陸地測量部)もある。
(3)地図
終戦以前の陸地測量部や参謀本部製の地図を多く含む。台湾図(臨時土地調査局、明治37・38年調製)(4枚)や一万分一・五千分一演習場図(陸軍歩兵学校・陸地測量部、昭和4~16年)(7枚)など、太平洋戦争以前の軍関係の地図に加え、マリアナ諸島及びカロリン諸島の十万分一図(参謀本部、昭和18年製版)(16枚)、小笠原諸島(1枚)及び千島列島(29枚)の五万分一陸海編合図(参謀本部、昭和19年製版)、二十万分一南西諸島兵要地誌資料図(参謀本部、昭和19年調製)(2種類)など、大戦の後半に製作された軍事関係の地図が多い。また、旧版五万分一図(国内)(436枚)も含まれる。
(4)ペルーにおける写真
ペルーで撮影された写真が8冊の写真帳に収められている。それぞれに番号が付され地名やメモ書きが記されているが、残念ながら撮影年月日の記入がない。故佐藤名誉教授は、東京大学アンデス地帯学術調査(1958年~)に参加しているが、一方で独自に1950年代にアンデス山脈の地形研究を行っており、これらの写真がどちらのものか確証がない。
解説
佐藤教授の専門は、地理学のなかでも地形学で、学位論文「断層の地形学的研究」(1951年)では、空中写真を多用している。佐藤教授の回想によれば、学生時代から地理学研究に向けた空中写真の活用に関心をもち、独学のようなかたち解説書を読み、実習をおこなっていたが、東京大学理学部を短縮措置で卒業したあと、1944年には陸地測量部からの要請により、同部に動員された少年たちに空中写真判読を指導する立場となった。これに際して、使用済みの中国の空中写真から、教材用の判読資料の収集も行っていたという(佐藤2009)。
他方、第2次世界大戦末期の1945年になると、参謀本部の渡辺正陸軍少佐がアメリカ軍の日本本土上陸にそなえて地理学者を組織した「兵要地理調査研究会」の若手メンバーとなるだけでなく(渡辺正氏所蔵史料編集委員会2005)、陸軍歩兵学校の要請でアメリカ軍の関東地方上陸に備えた対策の立案に関係した調査も行うようになった。この記述から、英国やアメリカの地理学者が行った、第二次世界大戦中の戦時勤務に類似する仕事が日本でも遅まきながら行われたことがわかる。自然地理学中心の調査・研究となるが、敗色濃い時期に行われたもので、その意義はほとんどなかったと回想されている。
その間、陸地測量部は長野県に疎開しており、そこにも訪問するが、8月が近づくとすでに空中写真のフィルムや軍用図の焼却が開始されており、焼却予定の貴重資料を戦後に備えて持ち帰ることとなった。満員の列車にのりこんで、重い荷物を東京に運んだわけである。
生前にお宅にお邪魔してこれらの資料の一部を拝見することができたが、佐藤教授はそれらを他に寄贈などされずに手元に置きつづけた。戦中期の資料として、行き場を見つけることができなかったと考えられる。佐藤教授の訃報に接し、これらについて、ふさ夫人にお尋ねしたところ、それらしいものがあるということで、お宅にうかがったところ、少なからぬ日本陸軍撮影の中国大陸の空中写真のほか、同陸軍作製の空中写真判読資料、さらに各種地形図がみつかり、貴重な資料として判断して、総合研究博物館に搬入し、現在分類整理を開始している。
このうち空中写真判読資料は、すでに概要を報告した(小林・栗栖2003)。類似の資料は、アジア歴史資料センターが公開している資料や国立国会図書館にもほとんどなく、アメリカ議会図書館収蔵の接収資料に匹敵する。また中国大陸などの日本軍撮影の空中写真は、アメリカ国立公文書館や同議会図書館に接収されたものが収蔵されているが、国内ではほとんど知られておらず、焼却を免れた貴重資料として、早急に標定作業を進める必要がある。現在まで、終戦期に近いものが多いという感触を得ている。
佐藤教授の空中写真利用への関心はその後も持続し、1947年には日本写真測量学会の設立に尽力し、また1950年には著書『空中写真による土地調査と写真の判読』(日本写真測量学会刊)を刊行した。空中写真の利用は、日本では主に軍事目的で開始されたこともあり、その歴史が充分にわかっているとは言えない。佐藤教授の回想や収集資料は、戦中期~戦後の空中写真の利用の一局面を示す貴重なものと評価される。
佐藤教授はまた、1958年以降、東京大学のアンデス地域の調査隊の一員として何度も南米に渡航し(佐藤1967)、その撮影資料も残している。お宅には、その際の日記、さらにはフィールドノートも残されていると考えられ、長い歴史を持つ東大のアンデス調査の草分けの時代の資料として、ふさ夫人のご協力を得つつ、さらに収集をつづけたい。
参考文献
小林茂・栗栖晋二2023.「故佐藤久東京大学名誉教授蔵の空中写真資料(書冊)の目録と解説」外邦図研究ニューズレター14: 68-73.
佐藤久2009.「終戦前後の地図と空中写真、見聞録」小林茂編『近代日本の地図作製とアジア太平洋地域』大阪大学出版会、326-251.
佐藤久1967.「アンデス高地の高原地形」ラテン・アメリカ研究8: 3-30.
渡辺正氏所蔵史料編集委員会編2005.『終戦前後の参謀本部と陸地測量部』大阪大学文学研究科人文地理学教室.
[年譜][資料の概要]:栗栖 [解説]:大阪大学小林茂名誉教授
2024年3月 理学系研究科 栗栖 晋二